チュニジアからはじまった「アラブの春」が、あらゆる国々で失敗に終わった《3つの原因》

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10月6日に行われたチュニジアの大統領選挙で、現職のカイス・サイード大統領が約91%を得票して再選された。しかし、野党候補が立候補を妨害されるなどしたため、野党は選挙ボイコットを国民に訴え、その結果、投票率は28%と低く、サイード政権の強権政治への反発が感じられた。

2010年にアラブの民主化運動「アラブの春」の先陣を切ったチュニジアは今、どうなっているのであろうか。

「アラブの春」から14年が経ち…

2010年12月、チュニジアでは、一人の青年の焼身自殺を機に、独裁政権に反対する民衆のデモが全土に拡大した。その結果、ベン・アリ大統領は、2011年1月にサウジアラビアに亡命し、23年間続いた独裁政権が崩壊した。これを「ジャスミン革命」と呼ぶが、この民主化の波はエジプト、リビア、シリア、イエメンなどの周辺諸国にも広がった。

エジプトでは、ムバラクの独裁政権への批判が高まり、2011年2月、ムバラクは大統領を辞任した。

シリアでも、40年にわたるアサド家の独裁に対する国民の不満が爆発し、2011年春に抗議運動が起こった。シーア派の政権によって虐げられてきたスンニ派の人々が中心になり、次第に武装化、過激化していき、反政府組織の「自由シリア軍」を結成した。

リビアでも反政府運動が活発になり、それを支援するためにNATOが軍事介入するに至った。この軍事支援を受けた反体制派の「リビア国民評議会」が2011年8月に首都トリポリを制圧し、10月にはカダフィの身柄を拘束し、殺害した。こうして、42年にわたる独裁政権が崩壊した。

イエメンでは、チュニジアでジャスミン革命が起こると、30年以上独裁を続けるサレハ政権への抗議活動が激化し、2012年2月、サレハ大統領が退陣した。2017年12月には、フーシ派がサレハを殺害した。

チュニジアが犯した「失敗」

民主化のうねりに人々が希望を抱いたのも束の間、アラブの春は挫折し、また独裁へと後戻りしてしまった。民主化が経済発展と生活水準向上につながらなかったからである。

ジャスミン革命でアラブの春の幕を開けたチュニジアでは、2014年1月に三権分立を徹底した民主的な憲法を制定した。大統領と首相で権限を分け合う仕組みであった。

しかし、新憲法の下で、政党政治、議会制民主主義は発展しなかった。

革命直後の議会選で、イスラム政党「ナハダ」が第一党になるが、世俗政党と対立し、革命後、8人も首相が交代する不安定な政治が続いた。ナハダは、縁故採用など汚職を繰り返し、経済は低迷した。

2019年10月の大統領選では、憲法学者で、清廉さで人気のあるサイードが当選した。既存政党に見切りをつけた有権者の支持を集めての当選であった。

2019年末に発生した新型コロナウイルスの流行は、主要産業である観光業を直撃し、さらに経済を悪化させ、貧困ライン以下の人が600万人にものぼった。

革命前の2010年に比べて、2021年には一人当たりGDPは9.7%下落した。失業率は13.1%から16.8%に増えた。

サイード大統領は、2021年7月には首相を解任し、議会を停止した。2022年3月には議会を解散し、6月には汚職に関わったとして57人の裁判官を解任した。そして、6月末には大統領権限を大幅に強化する憲法改正案を発表した。7月25日の国民投票で、この改正案は94.6%の賛成で承認された。

汚職撲滅、公平と正義を訴えるサイードを多くの国民が支持する。それは、政治家の権限争いで経済が低迷する状況に辟易し、強力な指導者に期待しているからである。しかし、投票率は30.5%にとどまった。政治そのものに対する国民の不信が背景にある。

他の国々でも挫折続き

他の国々でも、アラブの春は挫折していった。

エジプトでは、ムバラク退陣後、ムスリム同胞団系のムルシーが大統領に選出されたが、失政続きで、2013年7月、シシ国防相がクーデターを起こし、国民に支持された。そして、2014年5月の大統領選で、約97%を獲得して当選した。2018年3月の大統領選で再選し、2023年12月の大統領選で3選した。シシ政権は、言論の自由を制限するなど強権化している。

シリアでは、アサド政権側は、ロシアやイランの支援を受けて対抗し、反体制派と内戦となった。

これにISも介入したため、内戦が泥沼化し、大量の難民が発生した。国外に避難した人は660万人、国内で避難生活を送る人は670万人と、第二次大戦後、最悪の難民となった。

ロシアはアサド政権を継続させることに成功した。

リビアでは、カダフィ政権崩壊後、各派の対立が続き、2015年には暫定政権「国民合意政府(GNA)」ができた。首都トリポリを拠点とするイスラム勢力系のこの暫定政権と東部トブルクを中心とする世俗派の「代表議会」派が対立し、東西に二つの政府、二人の首相が存在する状況となってしまった。こうして、今も内戦が続いている。

イエメンでは、フーシ派と退陣したサレハが、サレハ後継のハーディー大統領と戦い、2014年以降、内戦が激しくなっている。ハーディー暫定政権はサウジアラビアの支援を受け、フーシ派の背後にはイランがいる。また、南部暫定評議会(STC)という南部独立を唱える勢力も存在し、UAEに支援されている。

人口3260万人のうち、450万人が国内難民となっている。

ヨーロッパでは、難民問題が大きな争点なっている。中東やアフリカでは、政情不安などで生活できなくなった人々が、地中海を経由してヨーロッパに逃げていく。

この難民・移民を受け入れる側のヨーロッパ諸国もたいへんである。とくに、昨年以降その数が急増している。チュニジアでは、サイード政権が反対派を弾圧したり、サブサハラのアフリカ系移民や学生への差別を強化したりしている。そのため、チュニジアから国外に逃れる者が増えている。

また、東西に二つの政府が対立しているリビアが、昨年9月に大洪水に襲われたが、これも難民の流出に拍車をかけた。

私は、若い頃チュニジアでも大学で授業をしたり、市民に講演したりしたが、かつてのカルタゴは地中海に面し、対岸はイタリアである。気候も温暖で、イタリアと変わらない。地中海に出れば、150km先にはイタリア領のラペンドーサ島がある。ここに、大量の移民がたどり着く。

失敗を招いた「3つの原因」

では、なぜアラブの春は失敗したのか。

第1は、独裁政権打倒後に、民主主義制度を定着させることができなかったことにある。政治家同士の権力争い、汚職の蔓延など、多くの問題が噴出し、統治不能になってしまった。

そこで、エジプトのように、強力な軍事指導者によるクーデターで軍政に戻ってしまった。また、チュニジアのように、三権分立が機能不全を来たし、大統領に権限を集中させる仕組みに変わってしまった。モンテスキューの掲げる理想の実現は容易ではない。

第2に経済運営の失敗である。新型コロナウイルスの流行、ウウライナ戦争の勃発などの外的要因もあるが、経済を発展させ、国民の生活を向上させないかぎり、民主主義は生き残れない。民主化によって生活水準が下がれば、民主主義への幻滅が広がるのは当然である。

第3は、民主化が国の分裂を招いたことである。リビアやイエメンがそうである。国を一つにまとめ上げ、統治できなければ、民主主義は定着しない。

アラブの春の挫折は、民主主義が優れた政治であると主張することを躊躇わせてしまう。しかし、独裁よりは遙かにましであることは再認識すべきである。

なぜいま中東では「独裁の復活」が起こっているのか?