大阪のゴミと下水を一手に処理する「めちゃアートな施設」

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大阪湾に浮かぶ人工島・舞洲(まいしま)には、おとぎの国を思わせるカラフルでユニークな建造物が2つ存在する。ひとつはゴミ処理施設の舞洲工場、もうひとつは下水汚泥の処理施設・舞洲スラッジセンターだ。技術・エコロジー・芸術の融和のシンボルとして建てられたこれらの施設は、見学者を随時受け入れ、インバウンド観光客の間でも注目を集めている。世界でも珍しい大阪ベイエリアのランドマークは、どのような経緯で生まれたのか。また、どのような施設なのかを知りたいと、見学に訪れた。

テーマパークと間違われるカラフルなゴミ処理場

西九条から、大阪シティバス81系統・舞洲スポーツアイランド行きのバスに乗り、長さ1.6kmある此花(このはな)大橋に差しかかると、眼前に大阪湾が広がった。神戸の港湾風景も素敵やけれど、大阪も捨てたもんやないなぁと、ボンヤリ前を眺めていたら、橋の両側にポップでカラフルな巨大建造物が2棟現れた。それぞれ、頂上に金色の球体を戴く、高さ120メートルの塔が建っている。

この2棟の建物がゴミ処理場施設と汚泥処理施設であることは、にわかに信じがたい。それくらい、目を引くアートな建物なのだ。

両施設の外観をデザインしたのは、環境保護建築で世界的に有名なウィーンの芸術家・フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー氏。ゴミ処理施設の舞洲工場は2001(平成13)年、汚泥処理施設の舞洲スラッジセンターは2004(平成16)年に建てられた。

自然界にはどれひとつ同じものはないという氏の考えから、建物に使われている窓やセラミックの柱は、同じ形や色のものはない。自然界には定規で引いたような直線は存在しないことから、できるだけ直線を避け、曲線を多用したデザインとなっている。

舞洲工場壁面の赤と黄色のストライプは、工場内部で燃焼する炎をイメージしたもの。各所に見られる金色の球体は、全部で100個。こちらは勇気・希望・平等を表現しているそうだ。窓は装飾のものも合わせて526枚。壁は一部ツタに覆われていて、建物は緑と一体化している。

メルヘンチックな下水汚泥処理施設

舞洲工場の北側にあるのが、下水汚泥処理施設の舞洲スラッジセンターだ。こちらも屋根や壁面から緑が顔を覗かせていて、おとぎの国に遊びに来たよう。壁のアースカラーは自然の土との融和を象徴し、海や空に溶け込むような青い煙突の根元部分は、雨水が上部から流れ落ちることで自然に水やりができるよう、螺旋状に植栽帯が設けられている。

敷地内には溜めた雨水を利用した小川が流れ、トンボや鳥たちも遊びに来る緑豊かな憩いの場となっていて、ガウディの公園を思わせる噴水もある。両施設の屋外緑化地域は一部、開放されていて、テーマパークと間違われることもあるらしい。

ちなみに、日本に4ヵ所あるフンデルトヴァッサー氏デザインの建物のうち、3ヵ所は何と大阪にある。舞洲工場・舞洲スラッジセンターと、遊んで学べる子どものための博物館・キッズプラザ大阪(北区扇町)だ。残る1ヵ所は、東京・港区赤坂のTBS本社敷地内に置かれた「21世紀カウントダウン時計台」。しかし、これはオブジェ的なもので、建築物としてはいささかスケールが小さい。実は大阪という街は、魅力溢れる建築の宝庫なんよね。

ところで、迷惑施設と言われてきた自治体のゴミ・下水汚泥処理施設を、なぜ、これほど斬新なデザインで造ろうと考えたのだろうか。

始まりはオリンピック招致

いまから遡ること32年前。1992(平成4)年、元吉本新喜劇の役者で座長も務めた船場太郎市議(当時)が、大阪へのオリンピック招致を大阪市議会で提案した。これを西尾正也市長(当時)が同意したことで、話が動き始めた(注1)。1995(平成7)年、大阪市議会は2008年開催のオリンピックに向け、「第29回オリンピック競技大会の大阪招致宣言」を全会一致で決議。翌年、横山ノックこと山田勇府知事時代の大阪府議会でも、同オリンピックの大阪招致を全会一致で決議。日本オリンピック委員会に対し、正式に立候補を表明した。

1999(平成11)年には、財団法人大阪オリンピック招致委員会を設立。機運を盛り上げようと様々なイベント開催が進められた。しかし2001(平成13)年のIOC総会で大阪は落選。2008年オリンピックの開催地は、中国・北京に決定した。

一連のオリンピック招致計画で、メイン会場として考えられていたのが舞洲だ。現在もスポーツアイランド舞洲と呼ばれているこの人工島に、主な競技施設を集約、世界初の海上オリンピックという謳い文句にふさわしいランドマークとして建設されたのが、舞洲工場と舞洲スラッジセンターだった。

それにしても、だ。オリンピックのランドマークをゴミ処理施設と下水汚泥処理施設に、それも華やかで人の目を引くデザインにしようという発想は、ぶっ飛んでいて、ある意味すごい。日本全国に自治体は数あれど、良くも悪くも、こんな発想は大阪市にしかできんでしょ。

(注1) AERAdot.編集部“大阪で五輪を!

舞洲工場のゴミ焼却能力は1日あたり900トン!

建設当初は大阪市環境事業局の所管だった舞洲工場。現在は大阪市、八尾市、松原市、守口市の廃棄物を広域処理するために設立された大阪広域環境施設組合が運営している。ここにやってくるゴミ収集車は、多い時で1日に約600台。1台につき1〜1.5トンのゴミを運んでくるので、1日約600〜900トンのゴミが運ばれてくる計算になる。現在、1日あたり約900トンものゴミが焼却処理されている。

ゴミを一旦溜めておくゴミピットの容量は15,000立方メートルで、小学校の教室55杯分にもなる。こうして集められたゴミは、ひと掴み約7トンの巨大クレーンで掴み上げられ、焼却炉の投入口・投入ホッパへ運ばれる。

気になる臭いは、密閉されたゴミピット内の空気を押込送風機で燃焼用として焼却炉に吹き込み、ピット内の気圧を外部の気圧より低く保つことにより、ごみ投入扉を開けても、ごみの臭気が外に漏れないよう工夫している。

ゴミは大きな格子の上をゆっくり移動しながら、下部から空気を送り込まれることで温度約900度で燃える。最初にガスバーナーで一定温度まで炉を温めると、後はゴミ自体が燃料となって燃えるのだそう。およそ5時間で完全燃焼したゴミは、体積がおよそ20分の1の焼却灰になる。焼却灰は、運搬用のトラックに積み込まれて処分場へ運ばれ、土と交互に重ねて埋め立てられる。昔は収集したゴミをそのまま埋め立てていたそうだ。

CO2排出ゼロの電気を生み出すなど、環境への負荷を低減

ゴミを燃やす時に出る高温の排ガスは、ボイラーで熱を回収。その熱エネルギーで年間約1億kWhもの電気を発電して、工場内で使用する電気を賄い、余った電気は電気会社に売却している。また、ボイラー内で生まれる蒸気の一部は、スラッジセンター(下水汚泥処理場)にも供給している。

排ガスに含まれるばいじん、塩化水素や窒素酸化物などの有害物質は、工場の建物のおよそ半分を占める排ガス処理施設で除去・無害化した後、先端に金色の球体が取り付けられた煙突から、ほとんど水蒸気となって排出する。

舞洲工場は粗大ゴミの処理設備も備えていて、1日あたり約170トンの粗大ゴミを処理し、鉄やアルミを回収してリサイクルも行っている。

2023(令和5)年度の舞洲工場の売電収入は約13億7900万円。粗大ゴミからリサイクルされたアルミや鉄の売却益は同年度で約7,500万円、スラッジセンターへの蒸気供給による利益は約600万円だった。

あまり知られていないが、ゴミを燃料に発電する「ゴミ発電」が日本で初めて行われたのは、今から約60年前の1965(昭和40)年、大阪市の西淀工場なんやそう。こうしたことも、施設を見学して初めて知った。

舞洲工場が誕生する10年前、1991(平成3)年度の大阪市のゴミ焼却量は約217万トンだったが、2021(令和3年)度は約86万トンで半分以下になっている。3R(リデュース・リユース・リサイクル)やゴミの分別の取組みが進んだことが要因なのだそう。

とはいえ、焼却灰の埋立て処分地には限りがある。ゴミを増やさない、出さない工夫は、一人ひとりが真剣に考えないとアカンよね。

舞洲スラッジセンターの汚泥処理能力は1日あたり750トン!

舞洲スラッジセンターは、下水処理場で下水をきれいにする過程で発生する汚泥を最終処理する施設だ。家庭や事業所から出る汚水と雨水が一緒になった下水は一旦、各地域にある下水処理場に送られる。

そこでは最初に大きなゴミや砂を除去した後、下水は沈殿池で小さな固形物を沈殿させて反応槽に入る。ここで空気が吹き込まれ、微生物が下水中の汚れを吸収・分解する。汚れを分解して増えた微生物の固まりを次の沈澄池(ちんちょうち)で沈殿させ、きれいになった上澄み(処理水)は、消毒後河川に放流される。

これら沈殿池や沈澄池で沈んだ固形物や微生物の固まりが汚泥だ。池底から引き抜いた汚泥は、濃縮して水分を減らし、消化(発酵)して有機分を消化ガスとして分離する等、減量化・安定化のための処理が行われる。発生する消化ガス(主成分はメタン)は、処理設備の加温や発電の燃料として有効利用される。

かつて汚泥は焼却炉のあった下水処理場へトラックなどで運んでいたが、地中のパイプを通じて輸送できるようになり、衛生面や臭いなどの問題がクリアされた。舞洲スラッジセンターでは、市内12カ所の下水処理場のうち、主に大阪湾沿岸に近い8ヵ所の下水処理場からパイプ輸送される汚泥を受け入れて、24時間処理している。

パイプ輸送されてきた含水率約98%の汚泥は、1分間に1800回転する遠心脱水機で含水率約80%まで脱水され、やわらかい粘土状の物体(汚泥ケーキ)になる。そして乾燥機の中で、350〜450度の過熱水蒸気で1日かけて含水率1%以下に乾燥させた後、0.8ミリ以下の粉末状に。これを溶融炉に投入して1,300〜1,400℃の高温で燃焼させると、瞬時に溶けてドロドロの融液になる。この融液を水で急速に冷却すると、建設資材や路盤材などに有効利用できる粒子の細かな砂状の物質(溶融スラグ)になる。

現在、同センターに輸送されてくる汚泥は、1日あたりおよそ3,000立方メートル=約3,000トン。その汚泥を脱水・乾燥・溶融処理することで、約20トン/日のスラグができる。

舞洲スラッジセンターでも、溶融炉で発生する排ガス中のばいじんや硫黄酸化物、窒素酸化物なども除去し、厳しい環境基準を満たした安全でクリーンな空気を煙突から排出している。また高温の排ガスの熱を、汚泥の乾燥に使用する過熱水蒸気の熱源や燃焼用空気の予熱に有効利用する等、省エネルギーに配慮したシステムになっている。

一方、私達が台所やトイレ等で使った後の水は、下水処理場できれいにして河川に放流されている。大阪市の中浜下水処理場においては膜分離活性汚泥法(MBR)という処理法の導入により、2021(令和3)年から、大腸菌等も通さない5000分の1ミリの濾過膜(ろかまく)で処理した超高度処理水の一部を、道頓堀川につながる東横堀川にも送水するようになった。大阪市はこれまで、多くの観光客でにぎわう道頓堀川と、それにつながる東横堀川の水質改善のため、水門操作による上流の大川の水の取り込みや、川底にたまったヘドロの浚渫(しゅんせつ)、大雨時に下水が川に流れ込まないようにする等の取組みを行っている。パリのセーヌ川より道頓堀川の方がきれい、というのはあながち間違いではなさそうだ。

大阪の河川が以前よりきれいになっているとしても、洗い物の時など油を流すといったことはもってのほか。下水や汚泥のパイプが詰まると大変なことになるそうだ。人体で例えると、血管に脂の固まり(プラーク)が詰まってしまうようなもの。油は布や紙で拭ってから洗い物をすることを、改めて肝に銘じたい。

他の都市では真似できない「発想」

2001(平成13)年に竣工したゴミを処理する舞洲工場の建設費は約609億円、2004(平成16)年に運転を開始した下水汚泥を処理するスラッジセンターは約800億円と言われている。

両施設の建設が計画された1990年代の大阪はバブル景気の余韻もあり、1994(平成6)年にはアジア太平洋トレードセンター(ATC)、翌年大阪ワールドトレードセンター(WTC)がオープンするなど、箱物建設が相次いでいた。2000年代に入り、そうした過剰な箱物建築やオリンピック招致活動等が市の財政を圧迫する中、誕生した舞洲工場と舞洲スラッジセンターに対しても、「税金の無駄遣い」と風当たりが強い時期もあった。

確かに、当時としては変わったデザインの不思議な施設だったかもしれない。しかし、今になって思えば、これほど市民生活に役立っている施設は他にあるだろうか。ゴミと下水、この2つの処理施設にお世話にならない人はいないはずだ。

テクノロジーは、自然を破壊することに使われるのではなく、自然と共生するために活用されるもの。この、フンデルトヴァッサー氏の哲学が表現されたデザインを、あえてゴミ処理施設と下水汚泥処理施設に採用した当時の大阪市はエラかった、と私は思う。私たちは今一度、「地球に優しい」生活を考え直さないといけないのではないだろうか。

両施設では随時施設見学が行われている。ホームページから見学を予約すれば、職員の方が丁寧に説明してくれる。建物内も、見学者の受け入れを前提としたデザインになっていて、氏が描いた絵画等も展示されている。

普段何気なく使い、廃棄しているゴミや汚水を、誰が、どのように処理されているのかを知ることは、とても大切なことだ。子どもはもちろん、むしろ「大人の社会見学」として、大阪市民・府民はもちろんのこと、ぜひ多くの人に訪れて欲しい。

私たちは、自然との調和をはかりながら

生きてかねばならない。

私達は、これまで不法に占拠してきた領分を自然に返すことによって

人類に夢を取り戻してやらねばならない。

よりよき世界、より美しい世界への希求なくして

私たちは生き残っていくことはできない。

1997年5月21日

フンデルトヴァッサー

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電話

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https://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000010364.html

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