「5000円」を借りて「3000円」だけ返しに来る..元保護司が語る伝説のストリッパー・一条さゆりの意外な「一面」

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1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。川口生まれの平凡な少女が送った波乱万丈な人生。その背後にはどんな時代の流れがあったのか。

「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。

『踊る菩薩』連載第124回

何度も世間を騒がせた女の「静かすぎる」旅立ち…伝説のストリッパー・一条さゆりの「最期」』より続く

元保護司の女性

私は彼女が以前世話になった元保護司の女性を訪ねた。元保護司は家族で薬局を経営していた。

この女性は1964年から88年まで保護司をしていた。一条を受け持ったのは、彼女が公然わいせつ罪で執行猶予付きの有罪判決を受けた72年3月である。その後、引退公演での逮捕・起訴、公判を経て、一条が和歌山刑務所で懲役刑に服したときも、この女性がずっと彼女の面倒をみた。刑務所で面会し、出所時に出迎えたのもこの女性だった。

花園駅近くの薬局を訪ねると、ちょうどこの女性が店番をしていた。一条の死亡について、「ずいぶん、急なんでびっくりした」と言った。

私は最後に会ったのはいつかとたずねた。

「ひと月半ほど前になりますかね」

この元保護司は近くのカレンダーをながめた。

「6月の中旬でした。ひょっこり訪ねてきて、おカネ貸してくれって言われたんです」

一条が入院する2、3週間前になる。

「顔色は普通やし、元気そうやったですよ。あれから急に悪うなったんやろか」

意外な「一面」

女性は保護司をやめた後も一条と個人的な付き合いをしてきた。一条は私にこう説明していた。

「本当に世話になった人です。あたしのことをいつも心配してくれる。しばらく会わなかったんやけど、釜ケ崎で暮らすようになって、入院しているとき、朝早く病院近くのコインランドリーに行ったら、薬局があるの。のぞいたらちょうど奥さんが座っている。それが私の保護司だった人。やけどしたとき(88年)に、お見舞いに来てくれた。そのお礼も言いました」

借財のため元保護司を頼った一条は、「阿倍野(大阪市阿倍野区)に気に入ったアパートを見つけたので引っ越す」と伝えている。

「引っ越しを手伝ってもらう人にジュースでも飲んでもらいたいから、2000円貸してちょうだい」

こう頼まれた女性は、2000円にさえ困っているのかと思いながら、さほど深刻には考えなかった。彼女は財布から5000円札を出し、そのまま渡した。

「引っ越しを手伝ってもらうんなら、これで助六寿司でも食べてもらったら」

「2000円でええんです。すぐに返しに来るから」

一条はいったん5000円札を受け取り、それを外で両替し3000円を返した。女性は「3000円を返しにくるなんて、池田さんらしいな」と思った。平気で嘘をつくわりに律義なのだ。

「先生、元気にしていてくださいよ。引っ越ししたらすぐに電話を付けて、連絡しますから」

一条は元気そうに出ていった。女性が彼女を見たのは、それが最後になった。

周りを楽しませるために“自分”をも騙して「嘘」をつく…男たちを虜にした伝説の踊り子の知られざる「素顔」』へ続く

周りを楽しませるために“自分”をも騙して「嘘」をつく…男たちを虜にした伝説の踊り子の知られざる「素顔」