親の死に目には会えなくてもいい…日本人の大半が誤解している「家族との最期の別れ方」

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元伊藤忠商事会長、そして民間人初の中国大使を務めた丹羽宇一郎さん。仕事に生涯を捧げてきた名経営者も85歳を迎え、人生の佳境に差し掛かった。『老いた今だから』では、歳を重ねた今だからこそ見えてきた日々の楽しみ方が書かれている。

※本記事は丹羽宇一郎『老いた今だから』から抜粋・編集したものです。

忘れられない思い出

私の母は専業主婦で、祖父が年老いて働けなくなると、本屋を手伝っていました。そのかたわら、地域の貧しい人たちや、生活のさまざまな面で生きづらさを感じている人たちの手助けをする民生委員のような仕事もしていて、自分のことよりも困っている人たちに目を向け、いつも「大丈夫? 大丈夫?」と気遣っていました。

社会的に弱い立場にいる人をバカにするようなことは断じて許さない。どんな権力者であっても弱者に対して偉そうにする奴は許さない、という雰囲気が伝わってくるくらい、「困っている人を助けるんだ」という思いの強い母でした。

その点は、私の気性もとてもよく似てきているように思います。

会社に入って二年目のとき、一年後輩のA君が先輩にいじめられている場面に遭遇したことがあります。その先輩は皆の前で、「何度言えばわかるんだ! こんな簡単なことを何度も間違えて。俺たちがどんなに迷惑していると思うんだ!」と、A君を高圧的に怒鳴りつけていました。

A君は真っ青になってちぢこまり、「すみません、すみません」とひたすら謝っているのに、先輩は今までのA君のミスを次々とあげつらい、ヒステリックに小言を続ける。周りの社員たちは、嵐が通り過ぎるのを待つという体で、身を固くしてシーンとしています。

ついに私は我慢ならなくなって立ち上がり、

「なんだ貴様、いい加減にしろ! 本人はもう十分謝っているじゃないか!」

と、先輩に対して啖呵を切り、我が身を捨て大声を出してしまいました。アホとしか言いようのない性格が出てしまったのです。

その場はどうにか収まりましたが、あとで上司から、「いくらなんでも先輩に対して『貴様』はないだろう」と諭されました。たしかに言葉遣いには気をつけるべきでしたが、「権力を振りかざして弱い者をいじめる奴は許さない」という信念は、形や態度は変わっても、実質その後も変えたことはありません。

こうして昔を振り返ってみると、私の人生の指針である「正直、清潔、美心」「人は自分の鏡」や、「働くことは生きること」という人生観、「弱い者いじめは許さない」という行動規範は、どれも間違いなく祖父母や両親の影響を受けているようです。

親の死に目に会えなかった

母は、病気や怪我で入院したこともありましたが、九〇歳近くまで元気でした。

母が危篤状態になったとき、私には大阪で講演の仕事が入っていました。キャンセルすれば、講演を楽しみにしている人たちや主催者に迷惑がかかってしまいます。結局、その仕事を全うしたため、死に目に会うことができませんでした。母の死は、これまでの私の人生で最も悲しい出来事です。

若い頃にはぶつかったこともよくありましたが、母は、私たちきょうだいを一所懸命に支えてくれた大きな存在でした。五人きょうだいのなかでも自分は母に心配ばかりかけ、親孝行らしいことをしてこなかったという思いも強く、よけいに悲しく、涙はとめどなく、心を痛めました。

その喪失感はたとえようもなく、今思えば、生活に大きな変化を余儀なくされたように思います。

父の臨終にも私は間に合いませんでした。きょうだいのうち二人はすでに亡くなりましたが、いずれも死に際に立ち会っていません。東京と名古屋は近いようで遠く、肉親が息を引き取る瞬間に立ち会ったことが、責任ある役職にいた私にはありませんでした。大切な人との別れは、思うに任せないものです。

読者のなかにも、そう感じている人がいるでしょう。今現在、自分や配偶者の親との接し方や、介護や看取りの問題に直面して悩んでいる人も、少なくないと思います。

しかし、大切な人の死に目に会えるか会えないかは、運命としか言いようがありません。それよりも、生きているときにどういう関係で過ごしていたかのほうが、ずっと心に残るのではないでしょうか。

家族にせよ、仕事関係者にせよ、お互いが生きているあいだに相手を信じ、嘘をつくことがなければ、どちらが先に逝こうと、相手を大切に思う気持ちは通じているはずです。

もちろん、最期のときに会えるならそれに越したことはありませんが、人間、生きて働いて生活していれば、そんなに都合よく大切な人の死に目に立ち会えるとは限りません。

たとえ死に際に会うことがかなわなくても、それまでの人生で悔いのないように付き合って、よい人間関係をもっていれば、心残りはないと思うほかありません。

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