奥田経団連が自画自賛した2年後の2008年、派遣労働者は真っ先に切られ40万人が失業【自民党と企業献金 蜜月の半世紀】#11
【自民党と企業献金 蜜月の半世紀】#11
【自民党と企業献金 蜜月の半世紀#1】献金1億円超は46年間で249社…企業・団体献金は3年で記録破棄の「もう1つの裏金」だ【表あり】
非正規への追い込み30年(4)
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トヨタ会長の奥田碩は2006年、経団連会長としての最終年を迎え、自身の実績に自信満々だった。
02年の就任以来、経団連の政党評価で自民党に高得点をつけて会員企業に献金を促した。トヨタ自身、率先して自民党に献金。6440万円でトップだった04年には、法改定で製造業への派遣労働を解禁させることに成功した。
06年の経団連・経営労働政策委員会のリポート「経営者よ 正しく 強かれ」では、自画自賛するようにつづった。
「バブル経済とその崩壊によるダメージはきわめて大きく、その後の低迷は長きにわたらざるをえなかったが、日本経済が今日の回復をみることができたのは、政府による構造改革への取り組みもさることながら、なによりわれわれ民間企業の努力によるところが大きいと自負する」
ではどれくらい努力したのか。経営者と従業員が「歯を食いしばった」のだと言う。
「『失われた10年』といわれた苦難の時期に、きびしいスリム化や事業再編に迫られながら、歯を食いしばって将来に向けた研究開発や人材育成への投資を続けてきた経営者、そして従業員の懸命のがんばりが、日本経済をよみがえらせたといっても過言ではあるまい」
■リーマン・ショックによる経済危機で「派遣切り」が続出
ところが08年から09年にかけて、状況が一変する。リーマン・ショックによる経済危機が訪れたのだ。企業は派遣労働者を雇い止めにする「派遣切り」で乗り切ろうとし、職を失った人たちが街にあふれた。派遣労働者と請負労働者の失業者は40万人という試算を、派遣会社などでつくる業界団体は出した。
当時、派遣切りに遭った人たちを名古屋市内で取材した。ある中年男性は、同じ境遇の友人ができて、共にネットカフェやサウナを転々としながら就活をしていた。公園での炊き出しを利用していたのだが、ふとその友人とはぐれてしまった時があった。「どこに行ったんだろう」と言って不安な表情をしていた。
名古屋にはあの時、職を失った人が全国から流れ着いた。「なぜ名古屋なんですか」と尋ねたことがある。返ってきた答えはこうだ。
「トヨタのお膝元なら何か仕事があるかと思って」 (=敬称略、つづく)
▽渡辺周(Tansa 編集長)日本テレビを経て2000年に朝日新聞入社。17年にワセダクロニクル(現Tansa)を創刊、電通と共同通信社の癒着を暴く「買われた記事」で、日本外国特派員協会「報道の自由推進賞」。寄付で運営し非営利独立を貫く。ご支援を!