ポルノグラフィティ、デビュー時に抱えた“葛藤” ヒット曲続出…華々しさの裏で「悔しいなという気持ちもあった」
今さら人に聞けないような“音楽の基本”から、制作の裏側や専門テクニックなど“マニアックな知識”までを掘り下げていく『EIGHT-JAM』。
9月29日(日)の同番組では、ポルノグラフィティ特集が放送された。
今回は、今年デビュー25周年を迎えたポルノグラフィティがスタジオに登場! 先輩であり長年の友人でもあるスガ シカオ、10年以上にわたりポルノの楽曲制作に携わっているtasukuもゲストとして招き、数々のヒット曲の裏側に迫った。
【映像】ポルノグラフィティ、デビュー時に抱えた“葛藤” ヒット曲続出…華々しさの裏で「悔しいなという気持ちもあった」
1999年に『アポロ』でデビュー以降、次々と名曲を生み出してきたポルノグラフィティ。米津玄師、Official髭男dismやKing Gnuなど、彼らをリスペクトする後輩アーティストも多い。
ポルノの楽曲は岡野昭仁と新藤晴一がそれぞれ作詞作曲をするのだが、この分担はどのように決めているのか?
岡野は「曲を書いて、そこに誰が歌詞を書くかチョイスする」といい、スタッフとともに「曲出し会」を行い、そこで選ばれた曲の歌詞をどちらが書くか決めていると話す。
同じ曲に対して2人で歌詞を書いていた時代もあったそうで、岡野は「僕は一回も勝ったことない。すごく悔しかった」と吐露。一方、その経験があったからこそ新藤の作詞を信頼できるようになったと明かすと、スタジオでは「すてきな話」と2人の絆に感動の声があがる。
ポルノはおよそ5年間のインディーズ活動を経て、当初は3人組でデビュー。それまでの多くの楽曲はメンバーのTamaが作曲を担当していたが、デビューをきっかけにak.hommaこと本間昭光がプロデューサーとして参加。実はポルノの初期のシングルはすべて本間の作曲によるものだった。
本間が加わり、デビュー時に彼らに課されたミッションは「ヒット曲を生むグループに」。岡野は「曲としては自分たちが書いていない…。悔しいなという気持ちもあった」と振り返りつつも、「ヒットして売れていく、名前が知られていく」ことに喜びもあったと回顧。当時抱えていた“葛藤”を打ち明ける。
また、ポルノがデビューした時代は、プロデューサーが作詞作曲をするのが主流だったものの、新藤は「どうしても挑戦させてくれ」と頼み込み、自身も作詞を手掛けるように。
「本間さんの歌詞には絶対に勝たないと。スタッフもOKさせないといけない。本間さんとの戦いだった」(新藤)
そしてTamaが脱退、本間のプロデュースからも離れ、2010年にリリースしたアルバムからはすべて2人の作詞作曲によるものとなった。
「皆さんが知ってる曲はほぼ本間さんが作った曲。それをコンプレックスに思ってた時期もあった。インディーズ時代に自分たちで礎を作ってきて、その上でやってるのに、『あいつらは作り物のバンドなんだ』って思われてるんじゃないかなって」(岡野)
当時「作曲をしていない」という“コンプレックス”を抱えていたが、後輩アーティストたちから「聴いてました」と声をかけられたことで、モヤモヤが晴れたとか。
「誰が作ってるとか関係なく、ポルノってものを認識してくれてるんだって思ったとき、肩の荷が下りた。ヒットソングとかじゃなくて、僕らにできることをやろうって。僕らは、ライブをずっとやってきたっていうことだけがストロングポイントだと思ったので」(岡野)
そこから、「ライブで映える、ライブで2人がしっかりパフォーマンスできる曲」を作るようになったと語った。