土砂が流れ込んだ米澤さん宅(23日、石川県輪島市町野町で)=武山克彦撮影

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 記録的な大雨の被害発生から24日で3日がたった石川県能登半島では、新たな犠牲者が確認され、悲しみや落胆が広がっている。

 懸命の捜索が続くなか、生存率が急激に下がるとされる「発生から72時間」が過ぎ、不明者らの家族にも疲労の色が濃くなっている。(輪島支局 武山克彦、珠洲通信部 成島翼)

 輪島市町野地区では、米澤辰子さん(83)が山から流れ込んだ土砂の犠牲になった。同居する長男の斉(ひとし)さん(62)が24日、「畳の上できれいなまま死なせてあげたかった」と胸中を語った。

 辰子さんは斉さんと優子さん(41)夫婦、孫(6)の4人暮らし。能登半島地震で半壊した自宅から、間もなく仮設住宅に移る予定だった。

 大雨前日の20日は4人で夕食を取った後、辰子さんだけ自宅に残り、斉さんらは引っ越し準備を兼ねて仮設住宅に泊まった。21日朝に強い雨が降りだし、午前9時頃、辰子さんから「小降りになったら帰ってきな」と斉さんに電話があった。家が被災したと知人から連絡を受けたのはその1時間後。母に電話をかけたがつながらない。車で向かおうとしたが、道路が冠水し、引き返すしかなかった。

 辰子さんは22日午後4時頃、家から50メートルほど離れた場所で見つかった。斉さんが担架の上の覆いをめくると、顔も判別できないほど泥がついていたが、服装で母だと分かった。頬の泥を手で拭いながら、「母ちゃんごめんな」と声をかけた。

 辰子さんは70歳代から地元の高校で用務員として働いた。誰がいつ卒業したかなどをよく覚えていて、「卒業生なら知らない人はいなかった」という。優和ちゃんのこともかわいがり、20日も「まお、まお」と何度も呼んでいた。

 斉さんには「元日の地震も母を一人残してしまった」という悔いがある。斉さんら3人は優子さんの実家がある珠洲市に滞在していたが、道路が寸断され、1週間ほど戻れなかったからだ。

 自宅は近く改修が始まる予定で、4人で楽しみにしていた。「本当にかわいそうなことをした。家も直せんし、母ちゃんも死んだ。おしまいや」。斉さんは声を絞り出してむせび泣いた。

 連絡が取れなくなっていた珠洲市大谷地区の貞廣(さだひろ)一枝さん(79)方では24日午後3時頃、1階から1人が見つかり、死亡が確認された。

 この日、現場では貞廣さんの家族が見守るなか、県警や消防などが午前5時から約200人態勢で捜索を続けていた。貞廣さん宅は1階部分が土砂に完全に埋もれており捜索活動は難航したが、2階から入って土砂を取り除くなどし、発見から5時間後に収容した。

 24日は災害ボランティアによる活動が本格化した。全国から集まった40人が、県が用意したバスで朝に金沢市を出発し、午前11時頃、輪島市宅田町の「宅田第2仮設住宅」に到着した。

 同住宅は近くの川が氾濫し、全142棟のほとんどが床上浸水した。ボランティアは住人から要望を聞きながら、泥をかぶった家財道具を運び出したり、住宅内の土砂をかき出したりした。元日の地震で自宅が全壊し、5月に入居した男性(84)は泥まみれのソファやカーペットを搬出してもらい、「力作業をしてくれて助かる」と感謝した。東京都の会社員の男性(51)は「泥で重くなった家具などを運ぶのは大変だった。少しでも被災者の助けになればうれしい」と語った。