2018年2月に結婚した

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 9月12日に和歌山地裁で始まった、注目の公判。「紀州のドン・ファン」こと野崎幸助氏を殺害した容疑で2021年に逮捕された、妻・須藤早貴被告の裁判員裁判である。被告は無罪を主張。一方の検察側は計28名もの証人を立たせる構えで、「全面対決」の様相となっている。

 早貴被告に関しては、生い立ちや専門学校卒業後の生活ぶり、野崎氏との結婚の経緯など、その過去には謎に包まれた部分も少なくない。野崎氏の怪死直後、「週刊新潮」誌は、実母や同級生、知人にインタビューをし、その一端を明らかにしている。当時の報道を振り返り、改めて早貴被告の闇に迫ってみよう。
(「週刊新潮」2018年6月14日号の記事の一部を再編集しました)

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【写真】ホストクラブ通いも好きだった早貴被告

「55歳差」の壁を乗り越えて結ばれた矢先に夫が怪死。妻の須藤早貴被告(28)は「紀州のドン・ファン」こと野崎幸助氏(享年77)との邂逅を果たすまで、一体いかなる人生を辿ってきたのであろうか――。

2018年2月に結婚した

 須藤早貴被告のルーツを探ると、出身地は北海道札幌市。5人家族で、医療関係の仕事に従事する両親、3つ年上の姉と2つ年下の弟がいる。

 地元の小、中学校を経て、入学したのは偏差値が45前後の公立高校だった。

 高校の同級生によると、

「僕らの学校はヤンチャなところで、チャラい格好の生徒が多かった。でも、彼女は黒髪ストレートで、純朴なタイプ。勉強はあまり出来る方ではなくて、運動も嫌い。休み時間はだいたい少女漫画を読んでいました。卒業式の日に、彼女が茶髪で登校し、みんなにからかわれると、“こんな見た目だけど”と、おどけていた。高校時代、交際している相手とかはいませんでした」

ホストクラブ遊び

 高校卒業後、札幌市内にある2年制の美容専門学校に進学する。

「早貴さんは専門学校に入ってから、マンションで一人暮らしをしていました」

 とは、須藤被告と同じ美容師科だった生徒。

「飲み歩くのが好きで、すすきののホストクラブにもよく通っていた。“昨夜もシャンパンを抜いちゃった”と話してましたよ。海外にもしょっちゅう行っていて、イタリアやフランス、ドバイでの写真などをツイッターにアップしたり。“親の脛齧(すねかじ)りでしょうがないね”とクラスメートの間でも言われていました。2年の終わりごろから学校に来なくなりましたけど、どうにか卒業はしたようです」

 純朴なタイプだった須藤被告が、わずかな間にホストクラブ遊びを覚えたようなのだ。

 実は、和歌山県警はそのホスト人脈も捜査しているという。

 県警関係者の話。

「2018年5月26日に行った野崎さん宅への最初のガサで、奥さんと家政婦のケータイも押収した。2日後には返し、さらに、1日経って、再び押収。2人の手元にケータイが戻ってから、いの一番に誰に連絡を取るのかなどを知りたかったからです」

 そして、2018年6月2日の須藤被告の「新宿マンション」の家宅捜索の日に、2度目の返還をしたという。

「手間隙かけたのは、誰と親しく、また、そのなかに覚醒剤を入手できるような人物がいないか、洗い出そうとしたわけです。その過程で分かったのですが、奥さんは少なからず、ホストとの付き合いがあったみたい。もちろん、そのホストらは捜査すべき人物にピックアップされ、事件とのかかわりがないか調べることになります」(同)

動画データ

 ともあれ、結局、美容師への道を諦めた須藤被告は、その後、生まれ故郷を離れ、東京に生活の場を移した。

 しかし、親の脛を齧るだけで一人暮らしの生活費は賄えたのだろうか。

 野崎氏の会社関係者が明かす。

「社長には、結婚前は中国や中東でモデルの仕事をしていたと説明していました。でも、中国語はもちろんのこと、英語も満足に喋れなかった。彼女が掲載された雑誌を見せられたわけではないし、社長以外はみな、本当かなと疑っていました」

 実を言えば、須藤被告は少なくとも2本の“ビデオ”に出演していたのである。

 同業界の関係者に聞くと、

「2本とも、昨年9月に有料動画がネット配信されています。どちらも、駅で声を掛けられ……というパターンのもの。大々的に売り出したわけではなく、あくまでも素人という体裁で出演している。親などにバレたくない女の子とかが、アルバイト感覚で出演するのです」

 前出の会社関係者によれば、

「社長が亡くなる10日ほど前、会社の従業員6人の間で、“早貴さんがビデオに出ている”と話題になり、映像も確認し合っていました。でも、やはり社長には伝えることができなかった。その後、事件が起こって、会社に家宅捜索が入りました。従業員全員のケータイも警察に押収されたのですが、それにはみんな、早貴さんの動画データを入れたままにしていたのです。まったく笑い話ですよ」

両親にも伏せていた結婚

 それだけではない。

 両親にも、何もかも隠し通していたのである。

 札幌市の実家を訪ねると、

「娘が結婚したことさえ、まったく知りませんでした」

 と、実母が当惑を隠せない様子でこう語るのだ。

「マスコミの人からそのことを聞かれ、びっくりして。役所に住民票を取りに行ったら、本当に抜けていて……。娘は月に1回はこっちに戻ってきていました。GWに帰省したのに、結婚したなんてことは一言もなくて……」

 人生の重大な慶事を親きょうだいにも伝えないのはなぜなのか。もはや、仰天の事実と言うほかあるまい。

“空港で出会った”のウソ

 そもそも、須藤被告と野崎氏が知り合ったのは、2017年11月のこと。

 その経緯について、野崎氏の著書『紀州のドン・ファン 野望篇』には、こう記述されている。

〈昨年秋に羽田空港で転んだ私を優しく助けてくれたのが早貴ちゃんでありました。もちろん計算ずくの転倒でありまして、コケるのも歳の功、亀の甲であります。「ありがとうねえ。お礼にお食事でもいかがですか?」〉

 その後、デートを重ね、京都の清水寺でプロポーズし、今年2月に晴れて入籍の運びになったという。

 しかし、前出の会社関係者が続ける。

「社長は、銀座の高級デートクラブを頻繁に利用していました。2016年、27歳の愛人に現金600万円と5400万円相当の貴金属を盗まれる事件が起こった。ワイドショーなどにも取り上げられ、社長が世間に知られるきっかけになった事件ですが、その愛人を引き合わせたのもそこでした。だから、本当は早貴さんも、同じところから紹介されたのに、後々、社長が結婚相手として相応しいように都合のいい話をつくり上げたのだと周りは思っていました」

いい女を知っている

 ところが、野崎氏の死後、須藤被告が周囲に打ち明けた話などから判明した“出会い”の事実は、まったく違うものだったという。

 親しい知人が語るには、

「野崎さんが書いた『紀州のドン・ファン』のファンだという男から、昨秋、手紙が送られてきたそうです。その後、会社にも電話をかけてきて、野崎さんと是非とも話したいと。そこで、“俺もいい女を知っている。モデルの女を紹介できるから”と、野崎さんに持ちかけてきた。でも、紹介されたモデルの女は結局、金持ち相手の愛人になることに興味を示さず、断ってきたのです」

 しかし、そのモデル女性が代わりに紹介してきたのが、須藤被告だったという。

「あらためて、早貴さんに問い質しているのですが、そのような男には会ったこともないし、モデルの女とももともと親しくなかったから名前も忘れたと言うばかり。調べてみると、その男は50代で、実家は東京で自動車修理工場を経営。本人は月の半分くらい、九州で仕事をしている。今度のことが起こってから、男はマスコミにネタを売り歩いているとか。警察の方でも野崎さんの死にかかわりがないか、行方を捜していると聞きました」(同)

 高級デートクラブではなかったにしろ、結果的に、怪しげな男の仲介で2人は知り合ったわけだ。

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 公判は最大で計25回行われ、12月12日に判決が下される見通しだ。殺害の直接証拠がない中、検察は状況証拠の積み重ねで殺害を立証する戦略である。今後の公判の行方が注目される。

デイリー新潮編集部