笑顔で祝杯を挙げた周東だが人知れず悲しみを抱え戦っていた

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 ソフトバンクが23日のオリックス戦(京セラ)に9―4で快勝。1938年に大阪で産声を上げた南海ホークス発祥の地で4年ぶりのリーグ優勝を決めた。選手会長の周東佑京内野手(28)は深い悲しみを胸にしまい込み、好守でチームをけん引した。今季はリードオフマンに定着してプロ7年目で初の規定打席に到達。野球人生の転機ともいえるシーズンだったが、4月に闘病中だった最愛の母を亡くしていた。悲哀に満ちた一年、戦いの舞台裏を独占手記でつづった。

 今季から選手会長を任された。ポストを与えられたことが人としても、選手としても成長につながったと実感している。立場上、人前で話す機会も増えた。小久保監督の話し方や言葉遣いを参考にさせてもらっている。

 複数のポジションを守れることも強みだが、今年から「中堅一本」で勝負した。個人的にも望んでいたことだった。

 打つ方ではリードオフマンを任せてもらう試合が多かったが、今年の打線のカギは「1、2番の出塁」だと思っていた。手応えもあるが、悔しさの方が強い。最多得点と最多安打を狙っていたからだ。ホークスの3、4、5番は黙ってても打つ。前を打つバッターを出すまいと相手バッテリーは警戒する。ゾーン勝負が増えれば自然と四球は減る。粘って選んで出塁するというケースは、望みにくいと感じた。ヒットで出て得点機をつくる意識はこれまで以上に強かった。シンプルに中堅方向に打ち返すことをとにかく徹底。そこをブレずに貫いた結果に対しては、手応えを感じている。

 こだわりのあるセンターで、投手の皆さんに安心感を与えられる守りを意識している。派手さは好まない。難しく見せない。ヒヤッとする当たりをイージーに抑えられれば、バッテリーも乗っていける。

 今年は若い力が台頭したシーズンだった。投手と野手、名前を挙げればキリがない。開幕ダッシュに成功し、大型連敗をせずに白星を安定して積み重ねたことで、若い選手たちに無用な重圧がかからずに済んだと思う。6月から柳田さんを欠いたが、柳田さんがドッシリと構えて「安定した強さ」の下地を序盤につくってくださった。その貯金に守られた気がする。

 近藤さん、山川さんの活躍はさすがだった。ホークスに来てくれてありがとう――。純粋にそう思っている。メジャーや欧州サッカーでも、選手が「プレーしてみたい」と思う名門チームがある。強さはブランドであり、憧れ。他球団の選手に「強いホークスで一緒にプレーしたい」と思ってもらえることは、僕らにとっても誇りだ。そういう集団であり続けたいし、引っ張っていける選手でありたい。

 今年、これまで生きてきた中で一番ショックな出来事があった。4月に母を亡くした。まだ60代と若かった。今まで感じたことのない喪失感があった。覚悟はできていたつもりだけど、こんなに精神的に落ち込むとは思わなかった。シーズン最後まで見届けてくれると信じていたから、早い別れが余計にこたえた。闘病生活は約2年。病床からよく連絡をくれた。WBCで世界一に輝いた際、姉から母が元気を取り戻したと聞いた時はすごくうれしかった。僕の活躍を喜んでいると聞くたびに気持ちが入った。母からの連絡が来なくなった現実がとてもつらかった。実は精神的には今もしんどい。この数か月、野球があって本当に良かったと思っている。目の前の真剣勝負に集中することで、つらさが紛れているように思う。

 小久保監督に心から感謝している。母の容体が厳しいと連絡を受けて、チームから一時離脱した。最期をみとることができ、母に別れと感謝の思いを伝えることができた。プロ野球選手として、戦いの場を離れる申し訳なさは当然あった。チームの皆さんの支えとご理解あってこそ。本当にありがとうございました。

 妻は幼い子供たちを見ながら、献身的に支えてくれた。精神的にこたえる一年だっただけに、そばにいてくる家族のありがたみを感じている。

 3年間悔しい思いをさせてしまったファンの皆さん、日ごろの叱咤激励ありがとうございます。この後も日本一に向けた戦いが続きますので、ぜひともお力添えをお願いします。(福岡ソフトバンクホークス選手会長)

周東佑京(しゅうとう・うきょう) 1996年2月10日、群馬県太田市生まれ。28歳。東農大二高から東農大北海道オホーツクを経て、2017年ドラフト育成2位で入団。19年3月、支配下昇格。20年に13試合連続盗塁成功の世界記録を樹立し、シーズン50盗塁で育成出身初の盗塁王を獲得した。23年開催の第5回WBCでは日本代表として、3大会ぶりの世界一奪還に貢献。今季から選手会長に就任し、攻守でチームをけん引。180センチ、71キロ。右投左打。