有村智恵は「泣く泣くゴルフを始めた」「ある日突然おめかしさせられて、坂田塾の面接に連れて行かれた」
【連載】有村智恵のCHIE TALK(第3回・前編)
JLPGAツアー通算14勝をあげ、米国ツアーに挑戦した経験もあるプロゴルファーの有村智恵の連載・第3回。2022年オフに、妊活に専念するためツアーの一時休養を発表し、現在は双子の男児の母として奮闘しながら、30歳以上(45歳未満)の女性プロゴルファーのためのツアー外競技「LADY GO CUP」を主宰するなど精力的な活動も続けている。
前編では、ゴルフをはじめたきっかけや、名門・東北高校ゴルフ部での学生生活について話を聞いた。
産休でツアー休養中の有村智恵 photo by Sportiva
――あらためて、ゴルフを始めたきっかけを教えてください。
父がとにかくゴルフが大好きで、毎日のように練習場に行っていた人でした。5歳ぐらいの時だったと思うんですけど、父と一緒に練習場に行った時に、私が遊びで打った姿を見た父が「この子、才能あるかも」って思ったみたいなんです。(父から)「ゴルフしたい?」と聞かれた私は、その時全然自覚がなくて、まさか本格的にやることになるとは思っていなかったから「やりたい」と言ったみたいです。
それから、父と母のなかでは、この子は将来ゴルフをさせるのが面白そうって考えていたらしく、10歳ぐらいになった時に、ある日突然おめかしをさせられて、坂田塾(坂田ジュニアゴルフ塾)の面接に連れて行かれました。
ある日突然ゴルフをさせられて、ある日突然坂田塾に連れて行かれて、泣く泣くゴルフを始めたっていうのが、私のなかの思い出というかスタートですね。
――坂田塾からは多くのトッププロを生まれています。当時はどんな方がいらっしゃいましたか?
熊本校の第一期生が古閑美保さん(ツアー通算12勝)だったんです。上田桃子選手(ツアー通算16勝/USLPGAツアー1勝 ※8月19日現在、以下同)も別の練習場で、私よりも一期早くスタートしていました。
(当時の坂田塾は)古閑美保さんが看板選手で、私たちからすると、古閑さんに会って喋ったりすると、お母さんに「今日、古閑先輩と喋ったよ!」「なんて喋ったと!?」みたいな、そんな会話がされるくらい神のような存在でした(笑)。
――古閑美保さんとは現在同じ事務所に所属されています。長い付き合いになりましたね。
古閑さんは憧れの存在から入っているので、今でも古閑さんと話をすると心が躍ることが多いですし、彼女は熱い気持ちをもって後輩に愛情を注いでくださっているので、すごく慕っていますし、姉御肌で頼りなる存在ですね。
【プロ以外の選択肢がなかった高校時代】――高校は東北高校に進学されました。
ふたつ上の代に宮里藍さん(ツアー通算14勝/USLPGA7勝ほか海外ツアー通算9勝)がいらっしゃって、同じ代に原江里菜選手(ツアー通算2勝)が、ひとつ下に菊地絵理香選手(ツアー通算6勝)がいました。私と江里菜と絵理香は、寮の部屋が3人同じでした。
その次の代に木戸愛選手(ツアー通算1勝)がいて、その下の代が大江香織選手(ツアー通算3勝)かな。さらに下の代までいくと、誰が東北高校かもわからないくらいいっぱいいますね。
――当時からゴルフ名門校だったんですね。
いえ、宮里藍さんが入学するまでは、東北高校はゴルフ部というより、ゴルフ同好会ぐらいのスタンスでやっていたみたいなんです。宮里さんが入ったことで、強豪校に変わったと思います。
――どんな高校生活でしたか?
ゴルフばっかりでしたね。スポーツコースに所属していたのですが、(学校の)イベント事とかでも「どうぞ、部活を優先してください」みたいな感じだったんですよ。
文化祭もちょうど国体の時期だったし、学生生活をエンジョイしたっていう記憶があまりないんです。クラスのみんなと一緒に何かをやることもほとんどなくて、そこが唯一の心残りというか、青春できてなかったな、と思います。
――ゴルファーとしては当時どんなプレーヤーでした?
中学生の頃からいい成績を残させていただいたので、「自分が一番」っていう気持ちが強すぎて......。今でこそ仲のいい同級生プロゴルファーですけど、江里菜とはゴルフだけでなく、学校の成績も同じくらいで。すごくライバル視していたからこそ、しょっちゅう喧嘩もしていました。
江里菜をはじめ、その当時切磋琢磨していたトップの選手たちがいたからこそ、負けないように、と練習していた記憶があります。
(後編:有村智恵が語る盟友・原江里菜との運命の電話と現在の私生活「家事はほとんど旦那さんがやってくれる」につづく)
【Profile】有村智恵(ありむら・ちえ)
1987年11月22日生まれ。プロゴルファー。熊本県出身。
10歳からゴルフを始め、九州学院中2年時に日本ジュニア12〜14歳の部優勝。3年時に全国中学校選手権を制した。宮城・東北高で東北女子アマ選手権や東北ジュニア選手権、全国高校選手権団体戦などで優勝。2006年のプロテストでトップ合格。2007年は賞金ランク13位で初シードを獲得した。2008年6月のプロミスレディスでツアー初優勝。2013年からは米女子ツアーに主戦場を移した。16年4月の熊本地震を機に日本ツアーへ復帰。2018年7月のサマンサタバサレディースで6年ぶりの優勝を果たすなど、JLPGAツアー通算14勝(公式戦1勝)をあげる。
2022年に30歳以上の女子プロのためのツアー外競技「LADY GO CUP」も発足させた。
2022年11月に、妊活に専念するためツアー出場の一時休養を表明。2024年4月に双子の男の子を出産した。
◆インタビュー動画はこちらから
https://youtu.be/ia4cne3QnLU