シリーズ読者投稿〜あの時、あなたに出会えなければ〜 投稿者:Kさん(埼玉県・60代女性)

埼玉県在住のKさんは、東日本大震災の際に帰宅困難者となった。

しかしその際、周りの人々のおかげで、翌日の朝には自宅に戻れたという。

彼女はその時助けてくれた人に、感謝の気持ちを伝えたいと思い続けている。

<Kさんの体験談>

東北で大きな地震が発生した時のことです。

私はいつもどおり事務所で仕事をしていましたが、あまりに大きな揺れだったので、ある程度収まったの見計らって、勤務先が臨時休業となりました。

みな家路を急ぐため駅に向かいましたが、駅前はものすごい人だかり。首都圏の交通網は麻痺していて、タクシーなんかも満杯状態でした。

帰宅困難者になって...

少し待ちましたが人がどんどん増えてあふれかえってきたので、早めの夕飯をすませようと、長蛇の列のファミリーレストランに並びました。

どこのお店も非常時なので早めに店じまいする所が多く、その店も私のところで早期終業を発表しました。

運良く食事にだけはありつけたものの、帰宅困難者になった私は夜寝る場所の確保ができていません。

しかしその時、北海道からの旅行帰りだったという年配の御婦人が、「息子から連絡が来て、近くのホテルが臨時避難所としてロビーを開放してます。みなさまご一緒しませんか」と大きな声で呼びかけてくれました。

周りにいた人は全員、この方と一緒にホテルの避難所に行くことができました。

駅前の高級ホテルで、自家発電なので停電もなく、暖房あり、水や毛布の無料貸し出しもあって非常に快適でした。おかげで風邪を引くこともなく、翌日は元気に自宅に戻る用意ができたのです。

車に乗せてくれるという男性が現れて...

また、ホテルのロビーからは常時正確な交通機関の運行情報や地震の速報が伝えられ、避難者には非常にありがたかったです。

地下鉄が一番早く動き出していたので、自宅方面に向かう地下鉄を乗り継ぎ自宅を目指しました。

そしてその路線で自宅に一番近い駅につくことができたのですが、そこから先の電車がありません。道路が混んでいてバスもタクシーも本数が極端に少なく、捕まえることも非常に難しく、どうしようと悩んでいたら......。

「〇〇方面に向かう方、同じ方向なので車に乗りませんか〜」と呼びかけてくれている男性がいたのです。

それが自宅方面だったので、周辺にいた女性複数人いっしょに乗せてもらいました。

それでどうにか自宅の最寄り駅につくことができて、無事に朝一番で帰宅する事ができました。

混乱中で、ファミリーレストランで呼びかけてくれた御婦人、車に乗せてくれた男性。

名前を聞くこともできず、どこのどなたかもわかりません。しかしご恩は一生忘れないと思います。

ありがとうございました。


誰かに伝えたい「あの時はありがとう」「あの時はごめんなさい」、聞かせて!

名前も知らない、どこにいるかもわからない......。そんな誰かに伝えたい「ありがとう」や「ごめんなさい」を心の中に秘めている、という人もいるだろう。

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