●アニメーターとして製作活動開始

北米最大の日本映画祭「ジャパン・カッツ」で大林賞を受賞作した『コントラ』や、尚玄とMEGUMIが共演する『赦し』を代表作に持つインド出身・日本在住のアンシュル・チョウハン監督。

2011年に来日してアニメーターとして活動する中、実写映画界に足を踏み入れると、瞬く間に監督としてその腕を振るっている。カンテレの元プロデューサーである重松圭一氏が2023年に立ち上げた映像制作集団「g」とこのほどエージェント契約を結び、新作プロジェクトもスタートさせている。気鋭監督アンシュル・チョウハン氏に活動の経緯とこれからの野望を聞いた――。

アンシュル・チョウハン監督

○初の長編映画が映画祭グランプリ

インド出身・日本在住のアンシュル・チョウハン監督を語る上で、アニメーターとして活動した輝かしい実績も欠かせない。陸軍士官学校で訓練を受け、大学で文学士を取得した後、2006年からインドのパプリカスタジオ (現:テクニカラー)で働き始めたという。ニコロデオンの人気作 『Farm Kids』や国際的に評価される 『Delhi Safari』などのプロジェクトに携わり、 イギリスBBCテレビアニメシリーズ『Everything's Rosie』 ではチームリードを務めた。そんな中、2011年に東京へと拠点を移したきっかけとなったのが、ポリゴン・ピクチャーズ制作、ディズニーXDのプロジェクト『トロン:ライジング』だった。

「ポリゴン・ピクチャーズが世界中のアニメーターを募集したんです。インドからは僕を含めて2人のアニメーター、それからアメリカ、スペインといった国からアニメーターが集まり、プロジェクトチームが作られたのです。このオファーは僕にとって、日本に拠点を移す良い機会になると思いました」(アンシュル・チョウハン監督、以下同)

ポリゴン・ピクチャーズでの活動後、オー・エル・エムでバンダイナムコ『パックワールド』の制作を経験し、スクウェア・エニックスに移籍すると、『ファイナルファンタジー』シリーズや『キングダムハーツ3』、『ガンツ:オー』など主要プロジェクトに関わった。だが、日本に在住して5〜6年目に入った頃から自主制作映画への情熱も芽生えていった。

「2017年当時、日本でアニメーターとして働いていましたが、どうしても映画を撮りたくなったのです。でも、カメラの使い方も脚本の書き方も知らなかった。映画製作においてあらゆることが未経験だったわけですが、自信をつけるためにまずは短編映画を2本撮ることにしました。その短編映画を通じて、飯島珠奈や望月オーソンら俳優たちと仕事し、同時にエストニア出身の撮影監督マックス・ゴロミドさんにも出会って、長編映画『東京不穏詩』を作ることに。13日間で全ての撮影を終えて、編集も自身で行いました。編集の仕方も手探り状態でしたが、どうにか6〜7カ月かけて完成させました。無謀とも言えるクレイジーな体験でした」

『東京不穏詩』

映画監督としてのアンシュル・チョウハンの名前はすぐに知れ渡ることになる。「映画祭が何なのか知らず、はじめはYouTubeで公開しようとも思った」というが、初の長編映画『東京不穏詩』はブリュッセル・インディペンデント映画祭でグランプリを受賞。これを皮切りに数々の賞を受賞し、2020年には日本全国劇場公開を遂げる。

2018年には長編2作目となる円井わん主演『コントラ』の製作を開始し、モノクロ映画として2019年に完成させると、同年11月に開催されたタリン・ブラックナイト映画祭でグランプリと最優秀音楽賞の二冠を達成。また、北米最大の日本映画祭ジャパン・カッツ2020では最優秀作品賞の大林賞を獲得するなど、評価を確立させていった。

『コントラ』

○アニメーターのキャリアが生きる「細かいところまでディレクションできる」

映画製作未経験ながら、『東京不穏詩』、『コントラ』と続けて評価を得た理由の1つに、アニメーターとしてのキャリアが生かされたことは大きいだろう。チョウハン監督も自覚している。

「アニメーションは絵コンテから全てのフレームが計画されて作るので、映画製作にすべてを応用することはできませんが、カメラアングルを視覚的に理解する感覚はアニメーションで培ってきたものが役立っているのかもしれません。また、キャラクターの顔の表情や身体の動きをアニメーション化する経験もあったので、俳優を演出する時に身振り手振りの細かいところまでディレクションできていると思います。もし今後、アクション映画を作る時が来たら、絵コンテが必要ですから、アニメーションの経験をここでも生かすことができるんじゃないかと思っています。

 映画編集のソフトも使ったことはなかったけれど、アニメーターの仕事であらゆるソフトを使ってきたので、初めてのソフトに慣れるのはそう難しくはなかった。ただ、編集はソフトを使いこなす以上に奥が深く、実践して学ばなければなりません。監督として映画を作っている以外の時間は、多くの映画を見たり、映画づくりに関する本を読んだりして、スキルを少しでも磨く努力を重ねています」

2019年からはアニメーションの仕事を離れ、映画製作に専念している。尚玄とMEGUMI、松浦りょうが共演する最新作『赦し』は、2022年の釜山国際映画祭でキム・ジソク部門邦画唯一のノミネートを果たし、ワールドプレミア上映された。2023年には日本全国で上映が開始され、70館もの劇場で公開実績を作った。日本のみならず、イタリア、スペイン、アメリカ、ドイツなどで上映も決定している。

アニメーターから転身し、映画監督としてのキャリアも順調満帆に見える。「映画の仕事を始めて7年。まだまだ道のりは長い。作品を実現するにはひたすら忍耐が必要です」と苦労を口にしながらも、「脚本から監督、編集までクリエイティブな部分の映画作りは、本当に自分にとって好きなことなのです」と真っすぐに語る。

●モットーは「正直であること」

チョウハン監督が映画作りで最も大事にしているのは、「唯一つ、自分にウソをつかないこと、正直であること」という。「偽物だと思われるようなシーンは、作るべきではない」とまで言い切る。

「もちろん、限られた予算では限界がありますが、最大限に努力し、正直でいることを心掛けています。長編2作目の『コントラ』はまさにそう。低予算で5人だけのチームで取り組みましたが、ストーリー作りから演出に至るまで全てが情熱的で、そこに偽りは何一つありませんでした」

モットーを貫くために、徹底的に調べることにもこだわる。「自分とのつながりを感じることができないものは書けないし、作れません。だから、誰かが誰かを殺すようなストーリーでは殺人者の心理や被害者の家族を知るために捜査報告書などに目を通し、理解できるまでの時間を惜しみません。3作目の『赦し』では、東京高等裁判所まで実際に何度も足を運びました。周りからは“どうしてここにガイジンが座っているのか”とそんな目で見られていましたけれどね(笑)。でも、だからこそ、“後悔とは何か”、“謝罪とは何か”ということを突き詰めていくことができたのだと思っています。正直であるということは、こういうことだと私は思います」

『赦し』

チョウハン監督は映画作りの自身のスタイルに理解を示す日本のエージェントと契約も結ぶ。それが、カンテレの元プロデューサーである重松圭一氏が2023年に立ち上げた映像制作集団「g」である。

「取り組みたいプロジェクトについて話し合うと、目指すゴールが同じであることが分かり、すぐに契約書にサインしました。gに参加することはごく自然な流れだったと思います」

○安藤サクラのような「ご一緒したい俳優も」

今後も日本を拠点に活動していくというが、日本の映画界をどう見ているのか。意見を求めると、チョウハン監督は「両面がある」と答えた。

「日本の映画界の問題は、十分な予算がない。それだけです。アメリカではインディーズ映画でも200万ドル(約2億6,000万円)からスタートし、興行収入で得た分を次の映画に投資することができるような良い循環が作られています。つまり、仕組みの問題なのだと思います。日本は政府からの助成金があまり得られないことも現実問題としてありますよね。それから配給会社自ら投資するケースも少ない。

 ただ、日本の映画界には良いところがあります。それは、誰がどんな映画を作っても公開できることです。インドでは政府が気に入らなければ公開できないこともあれば、映画祭でも作品を取り下げられることが起こってしまう。それと比べて、日本は自由さがあります。もちろん、映画を公開することは簡単なことではありません。日本は安くて本当に良いものを作らなければならないとても厳しい市場です。濱口竜介監督のインタビュー記事を読んだ時に驚きました。映画を100万ドル以下で作っていて、チームメンバーは10人しかいなかったそうで、それなのにアカデミー賞を受賞しているのですからね。他の国ではあり得ないことです」

映画界の現状を冷静に見つめながら、さらなるチャレンジに挑む準備を進めている。具体的に動き出したプロジェクトもあり、LGBTをテーマにしたものや、沖縄と台湾を舞台にしたものなど3つほど企画を抱え、今は一緒に参加してくれるパートナーを探しているところだという。

「これまで以上に大きなプロジェクトに取り組むことが目標です。大きいといっても、単に予算が大きいという意味ではなく、大きなビジョンを持って、妥協せずに取り組むことを大事にしたい。安藤サクラのようなご一緒したい俳優も何人かいます。日本で仕事を続けながら、インドでやりたい仕事もあるし、アメリカでの仕事もある。映画監督として、いろいろなストーリーをバッグに忍ばせておこうと思っています」



●アンシュル・チョウハンインド出身。陸軍士官学校で訓練を受け、大学にて文学士を取得した後、 アニメーターとして2006年からパプリカスタジオ(現:テクニカラー・インド)で働き始め、ニコロデオンの 『Farm Kids』 や 『Back at the Barnyard』、国際的な受賞歴もある『Delhi Safari』などのプロジェクトに携わる。また、BBCテレビ『Everything's Rosie』では、チームリードを務めた。2011年に東京へ拠点を移し、ポリゴン・ピクチャーズでは、エミー賞を獲得したディズニーXD『トロン:ライジング』や『超ロボット生命体トランスフォーマープライム』などに携わる。その後、オー・エル・エムでバンダイナムコ『パックワールド』の制作に関わり、スクウェア・エニックスへ移ると、ファイナルファンタジーXV』や『キングズグレイブ: ファイナルファンタジーXV』、『キングダムハーツ3』そして『ガンツ:オー』、『ファイナルファンタジーVII リメイク』など、多岐主要プロジェクトに関わる。アニメーターとして日本で働く傍ら、自主制作への情熱も芽生え、2016年にKowatanda Films (コワタンダ・フィルムズ)として活動を始め、これまでに短編映画3作と長編映画2作を完成させる。中でも長編2作目となった『コントラ』は、国際的な認知度が高く、ジャパン・カッツの大林賞受賞を含め、世界各国の映画祭で様々な受賞を遂げている。

長谷川朋子 はせがわともこ テレビ業界ジャーナリスト。2003年からテレビ、ラジオの放送業界誌記者。仏カンヌのテレビ見本市・MIP現地取材歴約15年。番組コンテンツの海外流通ビジネス事情を得意分野に多数媒体で執筆中。著書に『Netflix戦略と流儀』(中公新書ラクレ)。 この著者の記事一覧はこちら