清少納言とゆかりがある誓願寺(写真: マノリ / PIXTA)

今年の大河ドラマ『光る君へ』は、紫式部が主人公。主役を吉高由里子さんが務めています。今回は現代人も思わずうなずく、清少納言が「憎きもの」とした物事について紹介します。

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長々とおしゃべりする客を迷惑に思う

清少納言が執筆した随筆『枕草子』には、彼女が憎たらしいと感じたことや、物事を列挙している箇所があります。

1つ目は、急な用事があるときにかぎってやってきて、長々とおしゃべりを繰り広げる客です。

確かに、迷惑ですよね。清少納言は、気兼ねなく接しやすい客であれば「また、後で」と話の途中でも、話を遮って帰らせてしまうことができると言います。

しかし、そうではない相手の場合はどうでしょうか。例えば、身分が高く、立派な人の場合、かなり憎たらしく「迷惑至極だ」と清少納言は記します。もしかしたら、そうした経験が何度かあったのかもしれません。現代人でも「わかる、わかる」と相槌を打つ人もいるでしょう。

そして、憎たらしいことの2つ目は「硯の中に髪の毛が入っているのに、気が付かずに墨をすったとき」と記しています。清少納言はその答えを書いていませんが、墨がすりにくいし、硯から髪の毛を取るのが面倒だからでしょうか。

墨シリーズはもう1つあります。「墨の中に石が交じっていて、きしきしと嫌な音を立てたとき」。学生時代に書道の授業がありましたが、さすがに墨の中に石が交じって嫌な音が出た、という経験がある人はいないでしょう。現代なら、学校の黒板を手で掻いたときに出るキィーと耳に響く、嫌な音という感じでしょうか。

清少納言が憎たらしいものと感じる3つ目は、験者に関する話です。急病人がいて、当病平癒を祈る験者を呼ぼうとしたところ、なかなか見つけることができません。長時間探し回って、やっと見つけてきた!と思ったら、その験者の祈祷にはやる気がないように感じます。「商売繁盛」で疲れ切っているのか、半分眠ったような声で呪文を唱え出したそうです。


泉涌寺の清少納言歌碑(写真:massyu / PIXTA)

確かにこれも「憎たらしい」と感じる事例かもしれませんね。現代ではなかなか験者を呼んで祈祷してもらうことなどありませんから、あえて例えるならば、何かを購入するときに、説明してもらうためにやって来た販売員にやる気がなく、買う気分も失せてしまうほど嫌な気分になってしまった、といったところでしょうか。

いい身分の人が酒の席で醜態を晒す

清少納言が憎たらしいと感じる4つ目は、酒を飲んでわめき散らす人です。酔って、口の中を指でいじったり、髭を生やした人が髭を撫でまわしながら、他人に盃を取らせる様子だそうです。

酒を飲んで大声を出す人はいますが、「口の中を指でいじり、髭を生やした人が髭を撫でまわしながら、他人に盃を取らせる」光景を、私は見たことはありません。

読者の皆さんが、その光景を見たことがないとしても、清少納言が記すような酒の席での醜態は見苦しいものではあります。お酒は綺麗に飲みたいものですよね。

清少納言が見た、酒の席で醜態を晒した人は「れっきとした身分」の人だったとのこと。それがまた、清少納言の嫌悪感を倍増させているようです。

清少納言が書く憎たらしいことの5つ目は、何でも人のことを羨み、自分のことについては泣き言を話し、人の噂話ばかりを好み、ほんの少しのことでも根掘り葉掘り知りたがる人のことです。

そのような人は、相手をしてやらないと恨んだり、悪口を言ったり大変だとも清少納言は書いています。

5つの憎たらしいことを紹介しましたが、清少納言の怒りは、ほかにも、さまざまなものに向けられています。

時には、人間以外のものに向けられることもあります。例えば蚊です。蚊は、眠くてたまらなくて、横になったときに、ブーンと唸って顔の辺りを飛び回ります。小さい体にもかかわらず、ご丁寧に羽音まで送ってくるのがとても憎たらしいと記します。

これは、夏には誰しも経験したことでしょう。最近、蚊もめっきり少なくなったように感じるので、若い人はあまり経験ないかもしれませんが……。

蚊だけではなく、虱(しらみ)も憎たらしいと清少納言は書きます。現代人の大半は、あまり馴染みがないかもしれません。着物の下をピョンピョン飛び回り、着物を持ち上げるように動くのが、清少納言は腹立たしいと書くのです。清少納言の着物の下に、虱がいることをあまり想像したくはありませんが……。

長烏帽子の男や、板戸を開ける様子にも怒り

人目を忍んで通ってくる男を知っていて、吠えたてる犬も、清少納言の憎しみの対象になっています。せっかく人に見つからないような場所に迎え入れたのに、一緒に寝ている最中に、イビキをかいて寝ている男も、「人の気も知らないで、憎たらしい」。人目を忍んでやって来る男で、さらに長烏帽子を被ってくるのも、清少納言に言わせれば「気が利かないことおびただしい」と言います。

人に姿を見られないようにと、慌てて邸に入ってくるときに、長烏帽子が物に当たり、ごそごそ音を立てるのが、清少納言には憎たらしく感じたのでした。

板戸を手荒く開けるのも、清少納言のひんしゅくを買うのでやめたほうがよいでしょう。

清少納言の怒りの対象は、まだまだあります。恋愛関係になっている男性が、昔の想い人のことを話し始め、褒めたりするのも、昔のこととは言え、腹立たしいと清少納言は語ります。男性は、案外、そうしたところが無頓着なのでしょうか。

ギシギシ車を乗り回す人にも、清少納言は怒っています。「耳が聞こえないのかしら」と。自分がそんな車に乗った場合は、車の持ち主まで憎たらしく思うと、清少納言は記します。

今で言えば、爆音を立てて走り回る車や、バイクを「うるさい、鬱陶しい」と思うのと同じでしょう。

令和でも共感できる話が多い

清少納言が憎たらしいと感じることを列挙してみると、時代は変われど「わかる」と共感できることも多々あります。平安時代の人々と現代人の感性の差や、共鳴できる部分を見つけることもまた楽しいものです。

(主要参考・引用文献一覧)
・清水好子『紫式部』(岩波書店、1973)
・石田穣二・訳注『新版 枕草子』上巻(KADOKAWA、1979)
・今井源衛『紫式部』(吉川弘文館、1985)
・渡辺実・校注『枕草子』(岩波書店、1991)
・朧谷寿『藤原道長』(ミネルヴァ書房、2007)
・紫式部著、山本淳子翻訳『紫式部日記』(角川学芸出版、2010)
・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023)

(濱田 浩一郎 : 歴史学者、作家、評論家)