コロナ禍でYouTubeの動画をきっかけに大きくブレイクしたシンガーソングライター、野田愛実さん(撮影:今井康一)

今、YouTube上には数えきれないほどのカバー曲がアップされている。プロのシンガーやインフルエンサーなど様々な人たちが名曲を歌い、動画を流している。

俗に「歌ってみた」などと言われるカバー動画であるが、そのジャンルにおいてコロナ禍の間に日本でトップクラスに近い再生回数を誇ったのが、シンガーソングライター野田愛実の動画だ。

薄暗い部屋にプロジェクターを投影し歌い上げるその姿は、大きな反響を呼んだ。

この手法もさることながら彼女の歌声を聴いた人たちは驚愕した。なぜ今まで知らなかったのかと。YouTubeの動画をきっかけに大きくブレイクした野田愛実に迫る。

*この記事の前半:「宝石のような歌声」野田愛実の知られざる半生

コロナ禍をチャンスに変えたアーティスト

コロナ禍は世の中の在り方を大きく変えた。とりわけ自粛期間中にライブ活動の制限を余儀なくされたアーティストたちは、それぞれ空白の時を作らぬように取り組んできた。

シンガーソングライター野田愛実は、そんなコロナ禍の状況をチャンスに変え、自らのアーティスト人生を激変させた一人だ。

「最初のステイホームの期間は本当に何もしていなかったし、私は一体何者なんだろうと思って。シンガーソングライターと言っているけど、それで食べられているわけでもないし、ライブに出るわけでもない。それで、このままではいけないと思って始めたのがYouTubeでした」

YouTubeにカバー曲の動画を投稿する。自らの存在意義を問うほどに悩みに悩んだ末の苦肉の策だった。

だが、それが大きくバズり、動画の総再生回数は2024年2月時点で5500万再生を超えるなど日本を代表するカバー曲をメインとする動画チャンネルとなった。

なぜこれほどまでに大きくバズり、視聴者の心をつかんだのか

そこにはシンガーソングライターとしての確固たる信念が存在した。

「サウダージ」のカバー曲(野田愛実公式YouTubeより)

「コロナ禍の前は下北沢のライブハウスでずっと歌ってました。当時はお客さんも2〜3人とか全然いなかったんですけど、ライブすることでシンガーソングライターをやってるという気持ちを作っていたというか……。それもほとんど(チケットノルマの)お金を払って出ていたんですけどね。今思えば大変な時期でしたね」

2012年、シンガーソングライター野田愛実は、下北沢の小さなライブハウスを拠点に歌っていた。地元、三重県松阪市から大学進学のために上京。大学では建築学を専攻し、建築サークルに所属。

学生生活を送る傍らでシンガーソングライターとして曲作りをしながら、下北沢のライブハウスで曲を披露していた。

下北沢を活動拠点としたのは、この地にシンガーソングライターの聖地としての印象が強くあったから。そして大学も近く通いやすいこともあった。

補足すると、ライブハウスではアーティストが複数組集まり、順番に自分の持ち時間(20〜30分程度)内に曲を披露する「対バン」と呼ばれる形式が今でも一般的なものになる。

駆け出しのシンガーソングライターが集うイベントでは、チケットノルマが課されることも多く、例えば3000円×5枚という感じで、集客できないアーティストは自身で身銭を切って支払わなければならない。大学時代の野田も、そういったアーティストの一人だったわけである。

そんな環境で歌い、曲を作っては音楽系のオーディションを受ける日々。それが野田の日常だった。


下北沢のライブハウスでは観客数人の前で歌う日々が続いていた(撮影:今井康一)

「まるで前進しない」気持ちの日々

2015年、最初の転機が訪れる。愛知県名古屋市で行われたZIP-FM主催のオーディションに参加しグランプリを獲得する。

そして同社のレーベルよりミニアルバムをリリースしインディーズとしてデビューする。グランプリ受賞からインディーズデビューと周囲からは勢いがついたかに見えたが、野田自身は手ごたえを感じていなかった。

「インディーズとしてデビューして、もちろんいろんなことは勉強できたんですけど、なんか全然何もないな、みたいな苦しみがあって。SNSもTwitterやインスタもたまにカバーとかも上げていたけど、バズるとかもなくて……」

大学卒業後は勉強ができたこともあり、大学院に進学。学生として音楽を続けるというスタイルがそのまま続いた。

2018年、修士課程を修了。その後、建築会社でアルバイトをしながら、音楽活動を続けていた

少しずつ成長はしているものの、それでもまだ野田の心は満たされることはなかった。

なんかずっと同じことを繰り返している気がして。リリースはしているし、お客さんも増えてはいるんだけど、同じことの繰り返しだなってなってましたね」

ライブも年に1回ワンマンライブを行うなど少しずつファンは増え始めてはいたものの、なかなか上手くいかないなというモヤモヤした感じがずっと続いていた。

そして、世はコロナ禍へと突入する。ライブ活動が制限され、多くのアーティストが頭を抱えたこの時期こそ、野田の大きな転機となった。

それまでの野田にとってライブハウスは、自身がシンガーソングライターであることを確認するための居場所だった。

ライブに出ていれば安心した。けれども、コロナ禍でその居場所がなくなった。自問自答する中で活路を見出したのがYouTubeだった。

「ルパン三世のテーマ」のカバー曲(野田愛実公式YouTubeより)

「YouTubeをやるからには、毎日カバー曲をアップしようと思って。編集も全部自分でやりました。撮り方も試行錯誤しながらやったんですが、ただ歌うだけだと動きがなくてつまらないので、プロジェクターに絵を投影して歌ってみたんです」

この創意工夫が見事、動画をバズらせることとなる。

投稿を始めて4日目に早くも反応があり、5000人ほどのチャンネル登録者数が、あれよあれよという間に5万人まで増えたのだ。

そしてわずか1年ほどで10万人まで膨れ上がった

もちろん野田自身の圧倒的な歌声があってのことだが、それにプラスしてこの演出が多くの人の心をつかんだと言っていいだろう。

当然ながら大学院までに学んできたことも大きいだろう。どうすれば見てもらえるのかを真剣に考えた末のものだった。

そしてそれは、これまでのライブハウスにくるファンとは別の層に野田が見つかった瞬間と言っていいだろう。毎日アップされる野田の歌声に人々は魅了された。


YouTubeでカバー曲動画がすぐにバズり大きな手ごたえを感じた(撮影:今井康一)

オリジナル曲ではなく「カバー曲」を選んだワケ

では、なぜカバーメインでアップしていたのだろうか。ゆうに300曲を超えるという自身で作ったオリジナル曲があるにもかかわらずだ。

「コロナ禍で自分自身が何者かわからなくなって、果たして私は一体何をやりたいのだろうと考えた時に、もともと私は自分の歌声を届けることを大切にしていたんだと思ったんです。だからまずは自分の曲よりもカバーで歌声を届ける努力をしなきゃと思って」

幼い頃、祖父に連れられ通ったという演歌教室。大勢の大人の前で歌声を披露し、喜んでもらった歌の原風景。自身の歌声で喜んでもらうこと、それこそが野田が歌う一番の理由であった。

初心に返ってですね。私の歌声を聴いてもらうのがまずは一番なので」

他にも、カバー曲であれば知っている人も多く聴いてもらいやすいことや、数があるので毎日更新が可能などいくつか理由がある。それでも毎日、違う楽曲を歌い、撮影してアップするのは並大抵のことではない。

こうして投稿を続けたYouTubeは話題となり、野田の歌は多くの人に知られるところになった。

当然のようにレコード会社、音楽関係者の目にもとまり、2023年7月にavexよりメジャーデビューすることとなる。

YouTubeが「メジャーへの道」を切り開いた

2021年、日本テレビ系の朝の情報番組「スッキリ」に出演。

背景にはYouTubeを見たアーティスト川谷絵音氏が野田の歌声を絶賛。同番組のおススメのアーティストを紹介する企画で、野田を推薦したことがきっかけだった。

そして番組で野田は4曲カバー曲を披露。地上波で野田の歌声がお茶の間に届けられ、その日のうちにレコード会社から連絡が入る

コロナ禍で始めたYouTubeがメジャーに届いた瞬間だった。

そして野田は今、何を思い曲を作り歌うのか。

「毎日頑張っている人たちと一緒に悲しんだり、喜んだり、笑ったり、泣いたりできる。そんな寄り添える曲を作りたいなと思ってます。特別なことじゃなくて、日常の些細なことを描けたら、素敵なことだなと」

そんな野田の思いを代表するのが「hands」という曲だ。

オリジナルソング「hands」(Official Concept Video/野田愛実公式YouTubeより)


「私自身もそうなんですけど、大人になればなるほど他人に弱みは見せられなくなりますよね。だから、生きていく中で寂しい時もあって、そんな抱えてる寂しさを共有し、共鳴し合いながらお互いに手を差し伸べて支え合っていきたいって、そんな思いをこの曲に込めました」

「hands」を聴き感じる、奥行きのある歌声に力強さ。歌詞に登場する「君」との物語はその実、野田の過去からの思いが凝縮されているようだ。

幼少の頃より当たり前のように歌い育ってきた。けれどもコロナ禍で自身が何者かわからなくなり、はじめて歌うことの意味を見失いかけた

けれども、誰にも見せられなかった自身の弱み。苦しかった思い。それらがこの曲には散りばめられている。

10年前下北沢で歌っていた自分をどう思うのだろう。そして今、あの頃の自分と同じような思いで歌っている若手のシンガーソングライターたちに何を思うのか

「よく諦めなければ夢は叶うって言葉があるんですけど、私はそれがしっくりきてなくて、(下北沢でやっていた)あの頃から諦められなかったところの先に今の私がいるんです。だから自分が今やりたいことを信じて、結果はどうなるかわからないけど、今の自分が後悔しないやり方で自分を信じてやるのがいいと思います」


当時の自分を重ねるように今の若手アーティストに向け語る(撮影:今井康一)

「よくあるシンデレラストーリー」では決してない

よくあるシンデレラストーリーでは決してない。幼き頃より積み上げてきた歌声と自身の曲。そして音楽との向き合い方。そのすべてがようやく世に見つかるべくして見つかったのだ。

今、野田は自らが立つであろう、さらなる大きなステージをイメージして曲を作っている。

そこで自分がどのようなパフォーマンスをして、そこまでどう走っていくかと思い描きながら曲を作る。自分の曲はそんなステージが似合い、聴いた人たちに喜んでもらえることを信じている。

近い将来、それは想像ではなく現実のものになるだろう。

その時、聴く野田の歌声はどんなに素晴らしいものになっているのか。この先も非常に楽しみなシンガーソングライターだ。

(松原 大輔 : 編集者・ライター)