コロナ禍でYouTubeに投稿したカバーソングが反響を呼び、プロのシンガーソングライターとなった野田愛実さん(撮影:今井康一)

シンガーソングライター野田愛実。彼女の歌を人はこう評する。「宝石のような歌声」「心に刺さる歌」だと。

コロナ禍でYouTubeに投稿したカバーソングが反響を呼び、ついにはavex所属にまで至ったシンガーソングライター。

小さい頃から天才的な歌唱力を披露し、自身も歌手になることを疑わずに突き進むも、なかなか世に見つからずにもがいていた。そしてこのコロナ禍でようやくチャンスを得て、今、彼女の歌は大きく羽ばたこうとしている。

*この記事のつづき:「コロナ禍→YouTube5500万再生」歌手、驚く正体

シンガーソングライター野田愛実

若くして成功するアーティストは枚挙にいとまがない。古くは美空ひばりは9歳でデビューし、その美しすぎる歌声を披露していた。近年でもAdoが17歳でデビューし、世間を圧倒させた。

そして、シンガーソングライター野田愛実も、幼少期より歌の才能を開花させ、順調にシンガーソングライターとしての道を歩んできた。

だが、圧倒的な歌声と才能とは裏腹に、ほんの少し歯車がかみ合わなかったのか、世の多くの人に知られるまでには"時間"が必要だった

現在所属のavexと契約したのは2022年のこと。翌2023年7月にシングル「ロスタイム」でメジャーデビューを果たす。まだ道半ばではあるが、メジャーデビューまでは長い道のりだった

オリジナルソング「ロスタイム」(野田愛実公式YouTubeより)

3歳の時に『夜桜お七』をステージで歌ったんですが、その時に周りの大人たちがすごく喜んでくれて。それが今でも記憶にありますね。幼いながら歓声が気持ちよかったんでしょうね」

3歳の頃、街で行われたテレビ番組「のど自慢」に出演した時の感想を、こう話してくれた。

野田の歌の原点は、実は演歌にある。

演歌を趣味で歌っていた祖父の影響を受け、幼い頃から一緒に演歌教室に付いていき、歌う。「のど自慢」のような大きなステージから街の小さな「カラオケ大会」まで様々なステージで歌ってきた。ピアノも習い始め、早くも野田にとって音楽は日常の一部となっていた。

ものごころがつくようになってからは、J-POPやアイドルソングを聴き、育ってきた。宇多田ヒカルに憧れ、「モーニング娘。のようなアイドルになりたい」と思ったこともあった。

小学校の頃はおとなしいタイプだったんですけど、舞台に立つこととか、人前に立つことが、すごい好きでした。もちろん歌ってましたし、クラスでは学級委員もやったり、トップに立ちたいと思ってました。目立ちたがり屋でしたね」

小学5年生の頃から、オーディションに挑戦

シンガーソングライターになろうと意識し始めたのは、この頃からだった。それが何かはまだわからなかったが、ただ「シンガーソングライター」という言葉の響きがカッコよく惹かれて、「歌のプロ」ということは知っており、自分も将来そうなるんだと思っていたという。

歌を磨くため、地元である三重から名古屋にあるボーカル教室へ毎週、一人通う日々を送る。

そして、小学5年生の頃からオーディションに挑戦し始める。オーディションが開催されているレコード会社にデモの音源を送り、2次審査に向かう。名古屋はもちろん、時に東京へも出向き、チャレンジしてきた。

「実は、avexのオーディションも受けてるんですよ! 落ちちゃいましたけど(笑)」

人懐っこい笑顔で当時のことを振り返っていたが、並々ならぬ思いだっただろう。

12歳の時にオーディションに挑戦したレコード会社で30歳の今、デビューしたわけだ。「積み重ねてきた努力」などと言葉にするのは簡単だが、その間の18年という歳月は、そう優しいものではない

けれども野田は、歌を裏切らなかった。

本格的に曲を作り始めたのは中学1年の頃。ボーカルスクールで行われた作曲の授業で作り始めたのがきっかけだった。

初めて作ったのが、友人に関して描いた「ディアフレンズ」という曲。ピアノで作ったが、「やはりギターでも作りたい」と思い、すぐに行動に移す。

「この時期にあった歌のコンテストに優勝して、その優勝賞金が10万円だったんです。その賞金をもってすぐに楽器屋にいってタカミネのギターを購入しました。嬉しかったですね。そのギターは今でも使ってます!

当日から地元三重はもとより、愛知など大小様々なコンテストで入賞を果たしていた野田の実力もさることながら、なんとも音楽を愛し愛されていると思わされるエピソードだ。


地元、三重から名古屋にある音楽スクールに毎週通い歌を磨いた(撮影:今井康一)

「持ち時間10分」のシンガーソングライターデビュー

そして、シンガーソングライターとしてのステージデビューは中学2年生の頃。学園祭でもらった持ち時間はわずか10分。これがシンガーソングライター人生のスタートだった。

「学園祭の出し物で、先生に『一人でアコギで弾き語りやります』って申請したら、『大丈夫なの?』って反応でしたね。当時の申請プリントを見直したら、『持ち時間10分とありますが、みんなを飽きさせない構成でお願いします』って結構辛辣な感じで書いてあったんです(笑)」

後日、その先生からは「あの時はすみません」と一言あったという。

初めてのステージの反響は大きかった。学園祭とはいえ、体育館の大きなステージで堂々とカバーとオリジナル曲の2曲披露したわけである。

しかも、歌は様々なコンテストを制している美声だ。中2の少女が披露しているとは思えない圧倒的なステージ。後日、知らない先輩たちが教室に来てサインを求められるなど、ちょっとしたフィーバーが起こったという。

それから毎年のように学園祭では弾き語りを披露した。中高一貫校だったこともあり、その年代ではすでに野田の弾き語りは知られるところになり、学園祭の名物になっていた。

学生生活を謳歌する一方、コンテストでは結果を残すもオーディションでは最終審査でなぜか落とされることが多く、野田は「自分には一体何が足りないのか」を考えていた。

同年代では抜きんでた歌唱力。そして作曲活動も続け、シンガーソングライターとして着実に進み始めていたが、大学進学を決意し、受験勉強を始める。

実はこの頃、東京の音楽事務所に所属しており、上京して音楽活動に専念するという選択肢もあったが、迷わず音楽事務所も辞め、受験勉強に集中した。

「勉強はずっとしていて、大学には普通に行きたかったですね。けど、音大とかに入る気はなくて。理系に進んでいたこともあって『建築が一番面白そうかな、クリエイティブに通じることがあるのかな』と思って決めました」

進学校にいたこともあり周囲も大学進学は当然の流れの中で、野田が選んだのは明治大学理工学部建築学科だった。


音楽だけでなく大学でもしっかり学びたかったという(撮影:今井康一)

「建築学修士課程修了」という異色の経歴

こうして野田は大学生となり上京。東京で学生生活を始める。また、シンガーソングライターとして活動も続けていたが、勉強もさらに深まり、なんと修士課程へと進むことになる。

大学4年の時にはインディーズでデビューしていたのですが、『この先このままで大丈夫なのかな』という不安もあって。両親からも大学院を勧められ、そのまま大学院へ行きました」

音楽活動と並行して2年間大学院で研究活動を行い、建築に関しての見識を深めてきた。修士論文のテーマはコンサートセットに関するもの。見事、明治大学大学院理工学研究科建築学専攻修士課程を修了した。

「この先、もっと大きな舞台でできるようになって、舞台を組める時には、何かアイデアを出せたら良いなと思ってます」

控えめながらも、その目には確信と自信に満ちたものを感じた。

大学院を修了したあとは、建築事務所でアルバイトをしながら音楽活動をさらに本格化。そして数少ないチャンスをつかみ、2023年メジャーデビューを果たしたわけだ。

だが、その裏では音楽活動に関する漠然とした不安を抱え、その不安を学業に打ち込むことで打ち消そうとしてきたという葛藤が垣間見えた。

「もう小さい頃から自分が歌手になるってことを疑ったことがなくて、それ以外のことを考えてこなかったです」

かくして野田はメジャーミュージシャンとして歩み出したわけだが、インディーズの頃とは違う壁にぶつかっていた。

今のほうが大変な気がしますね。前は『メジャーデビューしよう』って目標があったのでわかりやすいって言うのかな。そんな感じはありましたけど、今は『どうやったらより多くの人に聞いてもらえるのか』って。周りの方と相談しながらやってます」

「メジャーデビュー」はゴールじゃない

メジャーデビューしたからといって、それで終わりではない。むしろこれからがプロのアーティストとしての真価が問われる時である。

そんな野田に今後の目標を聞いてみた。

やっぱり大きなホールで全国で歌いたいですね。武道館はあります。大学の入学式、卒業式も武道館で、その時もここで歌うんだってイメージしてました(笑)。下見のような感じで。私の曲は大きなホールや武道館が似合うと思うので、いつもそれをイメージして作ってます」

いつも自身が武道館のステージで歌い、多くの人たちに聴いてもらっているところをイメージして曲を作る。野田の描くこのイメージは近い将来、現実のものとなるだろう。

控えていたライブ活動も、今年から活発に行っていきたいという。

やっぱりライブが大好きなんですよ! 3歳の頃にたくさんの大人に褒めてもらったあの頃の感覚というのかな。ライブを通して私の歌を多くの方に聴いてもらいたいですね」

シンガーソングライター野田愛実。その生の歌声をぜひみなさんにも聴いてもらいたい。本当に歌を歌うことが大好きなことが伝わるだろう。

(松原 大輔 : 編集者・ライター)