■『今こそ女子プロレス!』vol.15

駿河メイ 前編

 東京・市ヶ谷駅から徒歩3分。草が生い茂る古びた洋館のような診療所の1階に、世界で一番小さいプロレス会場がある。最大収容人数は60人。リングはなく、ブルーのマットが敷かれているだけ。この小さな会場から世界へプロレスを発信しているのが、プロレスリング我闘雲舞(ガトームーブ)が運営する「チョコレートプロレス」(通称「チョコプロ」)だ。

 11月18日。大会開始時刻の14時ちょうど、窓枠を飛び越えて颯爽と現れたのは、メキシコ遠征から帰国したばかりの駿河メイ。身長148cmの小柄な体を大きく広げ、"メイジャンプ"をする。「ただいまー!」。しかし、回線の調子が悪く、ネット配信されていないとわかると、「あとでもう一回、どこかから登場します」と照れ笑い。客席からはどっと笑いが起こる。


これまでのプロレスラー人生を振り返った駿河メイ photo by 林ユバ

 まずはメイの歌のコーナー。アカペラでオリジナルソング『りりりんGO!』を歌う。「りんごのマーチが始まるよ Are you ready to sing along?」――。このあどけない妖精のような女の子が、世界が絶賛する天才レスラー、駿河メイなのだ。

 初めてメイの試合を間近で観たとき、私はびっくりして泣いてしまった。プロレスの"ドラマ"に感動して泣くことはよくあるが、試合そのものに衝撃を受けて泣くのは初めてだった。彼女のなにがそんなにすごいのか。アクロバティックでハイスピードな動き。天性のコミカルさ。なによりだれと対戦しても「駿河メイの試合」にしてしまうのが本当にすごい。

 しかし言葉で説明しようとすると、どうしても物足りない。人は天才を目の前にすると無条件に泣いてしまう。そんな感じだった。

 プロの選手たちが口を揃えて言う。「駿河メイは天才」――。

 天才レスラー、駿河メイの素顔とは?

【パイプ椅子の"ホームラン"に受けた衝撃】

 駿河メイは1999年、京都府に生まれた。両親は2、3歳の時に離婚。メイは2つ上の兄とともに母に引き取られ、3人で暮らした。父の記憶はほとんどない。

 お転婆で、なんでも自分ひとりでやってみたい自由奔放な性格。自転車の練習や逆上がりの練習の時、大人にサポートされるのが嫌で「放してくれ!」と泣いた。根っからの負けず嫌いで、幼稚園のリレーで負けた時、ひとりだけ大号泣して部屋に閉じこもった。

 運動神経がよく、ずっとリレーの選手で1位だった。幼稚園から水泳とスキーを始めたが、意外にも体操などはやっていない。しかし「体の使い方はうまかった」と当時を振り返る。

 将来の夢はフィギュアスケート選手。幼稚園の行事でスケート場に行った時、だれよりもうまく滑れたメイは「イケるんじゃ?」と思ったという。小学校に上がると休み時間、教室で机を移動してスペースを作り、フィギュアスケートごっこに明け暮れた。

 中学、高校ではバスケ部に所属。高校ではキャプテンまで務めた。

 プロレスとの出会いは高校2年生の時。深夜までテスト勉強をしていた時のことだ。ふとテレビをつけたら新日本プロレスの深夜番組が放送されていた。真夏のリーグ戦・G1 CLIMAXだった。

「EVIL選手が相手の首にパイプ椅子をかけて、それをパイプ椅子でかっ飛ばして、『ホームランだー!』って言ったんですよ。あまりにも衝撃的で、プロレス好きの友だちに『これっていいの? 凶器っていうやつじゃないの?』と連絡したのが、好きになり始めたきっかけです」

 3年生(2017年)の夏、初めてプロレスを生で観戦した。新日本プロレス大阪城ホール大会。メインイベントはケニー・オメガvs.オカダ・カズチカ。"60分時間切れドロー"となった伝説の試合だ。

「『一生終わんねー!』とか叫びながら、興奮して観てました。プロレスの入場シーンが好きだったので、『入場を見るの、楽しいな』っていう純粋な気持ちと、あと『どうやったらこんなふうに闘えるようになるんだろう?』というのが素朴な疑問でしたね」

 秋から本格的な受験勉強が始まった。管理栄養士になりたくて、行きたい大学も決まっていた。しかし、受験勉強も大変、大学4年間を過ごすのも大変、就職するのも大変。本当に自分にできるのだろうかと考えたら、「もっと他に好きなことがあるかもしれない」と思った。水泳、スキー、プロレス......。そこで「プロレス、あるのでは!?」と思った。

 週刊プロレスの選手名鑑で女子プロレスの団体を探した。身長148cmのメイは、自分と同じくらいの身長の選手をリストアップ。その選手たちが所属する団体を調べているうちに辿り着いたのが、我闘雲舞だった。

 YouTubeを見ると、市ヶ谷のマットプロレスが出てきた。マットの上で選手たちが激しい試合を繰り広げるのを見て、衝撃を受けた。「この人たちがここでやっているなら、自分もできるかもしれない」と思い、我闘雲舞に入団しようと決めた。

「他の団体も全部見ましたが、自分は市ヶ谷のプロレスに惹かれたんですよね。あと、(代表の)さくら(えみ)さんが女子プロレス大賞を受賞していたので、『あの有名なやつだ!』と思ったのもあります」

 母には猛反対されたが、「大学に合格したら上京してもいい」という許可を得た。母は受験前の気の迷いだと考え、合格したら大学に行くだろうと思っていたようだった。メイは必死に受験勉強に取り組み、見事志望校に合格。もちろん大学へは行かず、上京してプロレスラーを目指すことになった。

【入団から1カ月でデビュー】

 高校を卒業し、3月から我闘雲舞が運営するプロレス教室「誰でも女子プロレス」(通称「ダレジョ」)に通うことになった。週一回、京都から夜行バスで上京した。

 他のプロレスラーにインタビューすると、「最初は前転、後転もできなかった」という話をよく聞くが、メイはマット運動を難なくクリアし、ドロップキックもすぐに打てたという。コーチを務めていたさくらえみは、当時のメイのことを「自分なりに課題を見つけるのがうまく、参加メンバーによって変わる練習内容の中でも、自分の時間を大切にすることができていた」と振り返る。

 4月、東京に引っ越し、我闘雲舞の練習生になった。朝から晩まで道場で過ごし、寮に帰った瞬間、猛烈な寂しさに襲われた。

「東京って、夜になっても外が明るいですよね。部屋に入った瞬間に暗くなるから、急に『独りぼっちだ』という感覚になって、泣きました。でも母を泣かせてまで東京に出てきたので、絶対に帰れないと思った。母は、本当に毎日泣いてましたから」

 4月30日、我闘雲舞市ヶ谷大会で開催された「ドロップキック選手権」に出場。観客の拍手の大きさで優勝を決めることになり、練習生ながら見事なドロップキックを披露して優勝した。優勝したことで、とんとん拍子にデビューが決定した。

 デビュー戦は5月27日、北沢タウンホール大会。対戦相手はさくらえみ。プロレスを始めてから2カ月、入団から1カ月という、異例のスピードデビューだ。映像を観ると、使っている技は今とあまり変わらない。デビュー戦とは到底思えぬキレのよさで、すでに「駿河メイ」というプロレスラーは完成されていたように思う。

 さくらは試合が終わった直後、さまざまな選手から「すごい選手がデビューしましたね」と言われたという。

 9月、バンコクで開催される我闘雲舞6周年記念大会に出場するため、さくらと共にタイへ向かった。

 生まれて初めて飛行機に乗り、「頼むから降ろしてくれ......」と思いながらも、無事に到着。初めての海外は楽しくてしかたがなかったという。

「その頃からさくらさんと過ごす時間も増えて、猫を被らなくなってきたというか、自分のペースで過ごせるようになってきたからか、いろんな心配を掛けましたね......」

 さくらと2人でネイルサロンに行き、メイが先に終わったため、外で待っていることになった。さくらが外に出ると、メイがいない。荷物はそのまま。お金も持っていない。携帯も繋がらず、「さらわれた!」と大騒ぎになった。

「ひとりでショッピングモールに行っちゃったんですよね。大会後に物販があったので、お金は少し持ってたんですよ。せっかくだからなにか買いたいなと思って。ちゃんと戻ってきましたよ」

 さくらはそんな自由奔放なメイについて、「眠い時にすぐ眠り、常になにか口に入れ、疲れた時に休みたいと言える人なので信用度が高い」と話す。

【駿河メイを大きく変えた2人との出会い】

 入団当初、人見知りで大人しく、おどおどしていた。そんなメイを変えたのは、フリーのレスラー、希月あおいだった。

「あおいさんに出会って、見る景色が変わりました。上京してから初めて、心の底から笑えた。とにかく明るくて面白くて、生きるテーマパークみたいな人です。『こういう大人もいるんだ、こんなふうに自由に振る舞っていいんだ』と思いました」

 希月は試合中も普段のまま、気取らず、楽しそうにプロレスをする。希月に「もっと自由にしていいんだよ」と言われたことで、ファイトスタイルにも変化があった。リング上でも等身大の自分で動けるようになった。

 希月とタッグを組んだ時、赤い色のシュシュをもらった。それからメイのコスチュームにはシュシュが定番アイテムになった。希月が引退する時には、彼女が使っていた羽をもらった。それからメイは入場で羽を使うようになった。どちらも今のメイのトレードマーク。「駿河メイの半分は希月あおいでできている」と話すのも頷けるほど、大きな影響を受けた選手だ。

 もうひとり、メイを大きく変えた人物がいる。現在SEAdLINNNG代表取締役社長を務める、南月たいようだ。

 かつて、さくらえみが代表を務めていた「我闘姑娘(ガトークーニャン)」に在籍していた南月(当時は夏樹☆ヘッド)は、メイの姉弟子にあたる。メイは兼ねてから、さくらに「メイちゃんと南月は似ているところがある」と言われていたが、初めて南月に会った時にそれがわかった気がしたという。

「さくらさんの考えるプロレスを、南月さんが体現している部分があるのかなと思いました。南月さんが、自分の動きの可能性の幅を広げてくれました」

 南月もメイも、速く動き、高く飛び、高度なテクニックを持つ。いわゆる"ハイスピード"と言われる選手だ。南月はメイに、ハイスピードとは何かを教えた。人より速く動くことがハイスピードだと思われがちだが、それは少し違う。近道をしてプロレスをすると基礎が崩れるが、遠回りをしてでも基礎を固めて速く見せるのが真のハイスピード――。南月の話を聞いて、メイは靄(もや)が晴れた気がしたという。

自分では挑戦しなかったことを、「メイならこれできるんじゃない?」とどんどん提案してくれたのも南月だった。それまでセカンドロープから"メイジャンプ"をしていたが、南月に「トップ(ロープ)イケるでしょ」と言われ、やってみたら難なくできた。「じゃあ、これもできるのかも」という動きがどんどん増えていった。

 デビューから1年でタイトルマッチに挑戦し、海外遠征を重ね、気づけば他団体や海外からも引っ張りだこの超人気レスラーになっていた。そんな2020年冬、新型コロナウイルスが蔓延する――。

(後編:「お前、そんなこともやるのか!」対戦した鈴木みのるに嫉妬 他団体に移籍しない理由も明かした>>)

【プロフィール】
駿河メイ(するが・めい)


1999年5月30日、京都府生まれ。2018年4月に上京し、プロレスリング我闘雲舞の練習生となる。同年5月27日、北沢タウンホール大会にて、さくらえみ戦でデビュー。2020年12月31日、バリヤン・アッキとのタッグでさくらえみ&米山香織を破り、アジアドリームタッグ新王者に輝く。11度防衛。2023年10月16日、米山香織&新納刃を破り、再びアジアドリームタッグ王者になり、現在防衛中。148cm。X(旧Twitter)@Mei_gtmv2