<高校バスケ>優勝候補・東山高校2年生エース、瀬川琉久。「人生で初めて負けた」屈辱の1年からの成長
12⽉23⽇(⼟)に開幕する「SoftBank ウインターカップ2023」(令和5年度 第76回全国⾼等学校バスケットボール選⼿権⼤会)。
高校バスケ日本一を決める同大会、今年男子で優勝候補の1校として注目されているのが、京都の東山高等学校だ。
今夏のインターハイでは、決勝では惜しくも敗れたものの、準決勝で前年王者・福岡第一高等学校(福岡)をくだしての準優勝。「今年の東山は強い」ということを大いに印象付けた。
そんな東山のエースが、2年生の瀬川琉久(りく)。
瀬川が一躍その名をとどろかせたのは、2年前のJr.ウインターカップ。ゴッドドア(兵庫)のエースとして、初出場のチームを初優勝に導き、“優勝請負人”ともいうべき活躍をみせた。
驚くべきは、残したスタッツ。1試合平均24得点・14.8リバウンドで出場選手中1位。モンスター球のスタッツを残し、決勝でも28得点・リバウンド16本と大活躍。バスケットボール界で名の知られる“スーパー中学生”となった。
そんな彼は、高校に入ってさらに進化。緩急鋭いドリブルワークから、空中で留学生選手すらもひょいと交わすダブルクラッチ。どこからでも得点できるスコアラーであり、とにかく見ている人を魅了する世代別ナンバーワンにまで成長する。
ライバル高校の選手たちも、手放しで認めざるを得ない。
「瀬川はなかなか止められない」
「瀬川は本当にうまい。ひとりで個人技で全部持っていけちゃうので、すごいと思う」
「琉久はすごい落ち着きがあって、あそこまでバスケを理解できる選手に自分もなりたいと思うくらい尊敬している」
「全部一流。素晴らしい選手。あれは抑えられない」
そんな瀬川だが、実は今年がウインターカップ初出場。そこには、誰も知らない屈辱の過去と並々ならぬ想いがあった。
◆満身創痍で出場した県予選決勝。しかし…
1年前、ウインターカップ京都府予選決勝。相手は、京都の長年のライバルと言われている強豪・洛南高等学校。
勝ったら本戦へ、負けたらウインターカップへの扉が閉ざされる勝負の一戦となった。
当時1年生エースとしてチームを引っ張っていた瀬川だが、試合前、彼は驚きの顔で現れる。
「昨日の試合で、鼻を骨折してしまって…」
前日の試合で相手の肘が入り、鼻を骨折。医師からも「激しい運動は控えたほうがいい」と言われ、試合に出られる状態とは言い難かった。
しかし瀬川は、「出ます。今日勝たないとウインター出られないし、僕が出ないとチーム勝てないんで。出るしか選択肢はないです」。鼻を固定するフェイスガードをつけ、彼は本当に試合に出場した。
しかし、瀬川のシュートはリングに何度も跳ね返される。いつもの瀬川ではなかった。
結果、毎試合20得点以上とっていた瀬川が9得点。洛南に86‐61、25点差という大差で敗れてしまう。
ウインターカップへの切符を失い、全国デビューもならぬまま、瀬川の1年は終わった。
泣きじゃくる3年生の横で呆然としていた瀬川だったが、ラストミーティングが終わった後、彼は真っ暗な体育館の脇で隠れながら涙していたという。
翌日。骨折した鼻の手術をした瀬川。このとき、テレビ朝日取材班は特別に瀬川に話を聞くことができた。
――昨晩はどんな気持ちでしたか?
瀬川:「めっちゃ悔しかったです。もう放心状態です。もう何も考えられなくて。ウインターカップ、全国大会出るのが当たり前だと思ってたんですよ。出られるだろうなっていう甘い気持ちがあって…。それがこの勝負の世界で結果に出たかなと思います。
終わった瞬間なんか、現実を受け止められないっていうか、自分が全国大会に出られへんっていうのはどういうことや、みたいな。ずっと何も考えられなかったですね。人生で一番ですね、一番悔しいです」
――昨日の試合は、慣れないフェイスガードをつけて。
瀬川:「いつも通りのシュートフォームだったら、ボールが当たっちゃうんですよ。だからいつもと違うシュートフォームで打っていたので、感覚がちょっとずつズレてました。
視野も狭くなっていたので、ディフェンスしてるとき、ずっと首を振って見ておかないといけない。そこらへん、苦労しました。というか、正直、全然見えてなかったです。フェイスガードが透明だったから、逆にボールとか二重に見えてて。ドリブルするときとか、しんどくて…」
驚かされた。果敢に攻めて、決してそんな風には見えなかっただけに、1年生でエースとして出た瀬川には並々ならぬ想いがあったことを改めて感じさせられた。
そして、それまでのバスケ人生、順風満帆に来ていた瀬川。実は、人生で初めての“負け”だったという。
瀬川:「今までは、小6のときから公式戦で負けたことがなくて、勝つのが当たり前っていうふうにやってきてたんです。でもこの1年、公式戦でも負けて、全国大会にも出られないっていう状況で…。
ただ裏を返してみれば、今まで自分が経験できなかったことをこの1年間で経験できたかなって思うので、この1年間はとても大きな経験だと思う。この次負けることは許されないと思うので、次の新人戦からしっかり全勝できるように頑張ります」
――瀬川選手にとって、これまで「負けた」っていうのを感じたことはなかった?
瀬川:「ないですね」
――この人生で初めての“負け”はどう感じていますか?
瀬川:「この負けは、これからの高校生活もそうですし、これから大学、プロってやっていくうえで、この1日っていうのはすごく悔しかったので、努力の励みになるなって思います。
まずは、とりあえず鼻を治すことが第一優先なんですけど、イチからチーム、そして自分をイチから見つめ直して、向き合って、しっかりやっていきたいと思います。来年こそは絶対勝ちます!」
◆成長した“心”と“技術”。再び…県予選決勝
その強い言葉通り、今年2年生になった瀬川は、この日の悔しさを胸に、エースとして東山を引っ張っていた。
今夏のインターハイでは、チームを決勝にまで導き準優勝。
またこの1年で、心だけでなく、技術も着実に成長をみせていた。得意のドライブ以外に、もうひとつ新たな武器を身につけていたのだ。
瀬川:「ジャンプシュートですね。この1年、ずっと磨き続けてきました」
ドライブの技で突っ込んでいた瀬川だが、ジャンプシュートを手に入れたことによりディフェンスも止めにくるため、ドライブもさらにいきやすくなったという。
瀬川:「試合を想定したジャンプシュートの練習をかなりしてきました。ジャンプシュートの精度が上がったことによって外からも点数が取れるっていうことで、それによってディフェンスが出てきてドライブがいけるっていう、幅の広さが出てきました。
でも、やっぱり自信をもつことが一番だと思う。普段の練習から、『自分がシュートを打てば絶対決まる!』っていう自信をつけていけばいいと思って練習しています」
“心”も“技術”も成長していった瀬川。そして迎えた今年11月5日。
あの悔しさからちょうど1年。昨年は屈辱に終わったウインターカップ京都府予選決勝の日。瀬川は、今年こそウインターカップに出て日本一になる…その想いで臨んでいた。
しかし、その想いとは裏腹に、東山は怪我人がいたり、国体で選手が不在だったりと、チームがなかなかひとつになれていなかった時期でもあり、京都精華学園高等学校との決勝戦はまたも接戦になっていた。
残り3分、東山は4点を追う展開。またも負けてしまうのか…その時――。
瀬川:「残り3分くらいで4点ビハインドのとき、(佐藤)凪からパスもらう前で待ってるときに、いきなり頭にうわーっておりてきて…。去年の負けた瞬間の記憶が蘇ってきたんです。それまで何も考えてなかったんですけど、急に頭に残ってきて。
そのときに、『あのときと同じようになりたくない!絶対なりなくない!』って心の底から思って、自分がなんとかしないといけないなって」
昨年の負けた試合の映像が頭におりてきたという瀬川。そこから、目の色が変わった。
瀬川は果敢にゴールに攻めて、3ポイントを決める。そして、試合終了間際で瀬川ひとりで8得点。一気に相手を逆転し、見事優勝に導いた。
成長した瀬川がみせた、エースの意地――。
瀬川:「1年生のときは、自覚と責任が足りなかったのかなと思います。メンタルの部分になるんですけど、同じような場面で決め切れるようになりましたし、プレーは全部気持ちからだと僕は思っていて、その気持ちの部分が変わったことによってプレーも変わっていったのかなと思います」
あの日のことは忘れたことはないという。
瀬川:「去年は、最後に鼻骨折してしまって、全力のパフォーマンスができなかったっていう部分があって、それは今でも本当に悔しくて…。ウインターカップは、自分が小学校5年生くらいの頃から『この舞台でやりたい!』とずっと思ってて、それに出られなかったっていう悔しさは今もあります。
今回は初めてのウインターカップってことで、みんなそうだとは思うんですけど、自分は他の人より懸ける想いが違うと思います。本当に。エースとして、最後大事な場面で絶対勝ち切って、絶対日本一獲りたいと思ってます!」
(取材:青木美詠子)