「喉から手が出るほど、欲しい――」

高級ジュエリーに、有名ブランドのバッグ。

その輝きは、いつの時代も人を魅了する。

しかし誰もが欲しがるハイブランド品は、昨今かなりの品薄状態だ。

今日もショップの前には「欲しい」女性たちが列をなし、在庫状況に目を光らせている。

人呼んで「ハイブラパトローラー」。

これは、憧れの一級品に心を燃やす女性たちのドラマである。

▶前回:シャネルを買うために、食費や美容代を節約する33歳女。次第に苦しくなり、とうとう…




専業主婦・遥香(36)
娘への贈り物【デルヴォー ブリヨンミニ】


「この後のご予定は、何かあるんですか?」

土曜日の昼間。美容院でヘッドスパをしていると、美容師さんが聞いてきた。

遥香は、目を閉じたまま答える。

「銀座のお店でデルヴォーを見てから、夫と娘と一緒に『銀座 真田 SIX』で食事する予定」

「いいなあ、すっかりセレブ妻じゃないですか」

10年以上前、派遣社員だった時からの付き合いの美容師さんが言うので、遥香は思わず笑ってしまう。

3つ年上の夫・圭と出会ったのは、遥香が27歳の時。派遣された外資系銀行で、圭は外資系バンカーとして働いていた。

― 私はどうせ3年で契約満了になるから、その後もっと良い時給の職場を紹介してもらえるように頑張って仕事しよう。

他の女性派遣社員は、圭に「お食事会しましょうよ」とにじり寄っていたが、遥香は淡々と働いた。

するとなぜか彼は、遥香に興味を示したのだ。

「でも圭さん、スタイルいいしイケメンだし、絶対めちゃくちゃ遊んでますよね?」

あからさまに警戒していた遥香だったが、明るく優しい上に仕事熱心な圭に、だんだんと惹かれていく。そして、3年の交際を経て2人は結婚したのだ。

遥香は、結婚して初めて夫の年収を知って仰天した。

― 見た目も完璧な上に、こんなに稼いでいるなんて、圭の奥さんが私なんかでいいの?

時折、そんな疑問が遥香の脳裏をよぎるが、優しい恋人だった圭は、そのまま優しい夫になった。遥香は、専業主婦として恵まれた生活をしている。

5年前には命より大切な娘・香音も授かった。

― ああ、私って、なんて幸せなんだろう。

遥香はアロマシャンプーの香りを吸い込むと、ゆっくりと眠りに落ちた。


「ママ―!こっちだよ。おなかすいた!」

美容室終わりにデルヴォーを見てから、約束の『銀座 真田 SIX』に着く。娘の香音が、遥香を見て手招きをしている。

「遥香が欲しいバッグはあった?」

圭の質問に、遥香は首を横に振った。

「ブリヨンミニ ボックスカーフは、全然入荷がないんだって。ECサイトで並行輸入品も探しているけれど、黒は特に人気みたい」

「そうなんだ。一生モノのバッグなら、妥協しないで選びたいよね。特にレザー製品は、実物を見てから決めたいだろうし」

圭はいつも優しい言葉をかけてくれる。

遥香がパトロールを続けてまで欲しい、デルヴォー ブリヨンミニ。

ワンハンドルにフラップ付きのバッグは、香音の学校行事にも使えるし、黒ならば年をとっても持てる一生もののバッグだと思っている。

遥香は先ほど、色違いのブリヨンミニを持たせてもらった。その時の高揚感がまだ胸に残っている。




「ボックスカーフのしっとりと手になじむ感じ、あんな感触は初めてだったわ。ツイストのハンドルも、手の曲線にぴったりフィットして、細かいところまで作りこまれている感じなの。

将来、香音と一緒に使うことを考えたら、安い買い物だと思う」

遥香はメニューを開き、「日本酒飲んじゃおうかな」と幸せそうに微笑んだ。



香音が港区の幼稚園に入ったころから自分は変わった、と遥香は思う。

幼稚園の登園初日、遥香は美しくおしゃれなママたちに驚いた。

香音の幼稚園は、いわゆるネイビー園ではないので、送り迎えのママたちの姿は、まるでファッションショーのように華やか。

ティファニーのT スマイル ペンダント、ディオールのブックトート、ヴァレクストラのイジィデ チェーンウォレット…。

それよりも驚いたのは、ママ友たちの遥香に対する態度だった。

「香音ちゃんママ、モデルさん?手足長い!」
「肌もすごいきれいだし、顔小さすぎ!」

遥香は、173cmの身長で、オフィスワークでは肩身が狭い思いをしていた。それに、帽子もサングラスもデザインが限られる小さい頭はむしろ悩みの種だった。

― 私ってそんなにすごいの?おしゃれでもなんでもないのに、みんなが褒めてくれる。

ある日、遥香はグラフ銀座本店に恐る恐る立ち寄り、ミニ バタフライのペンダントを買ってみた。

翌日、早速つけてみると、ママ友たちが一様に「可愛い!似合う!」と遥香を褒めたのだ。

それ以降も、遥香が新作のジュエリーや服を身につけていくたびに、周りのママ友たちが口々に褒めそやす。

「色白だとこんなにプラチナが映えるんだ!」
「そのスキニーパンツ、香音ちゃんママしかはきこなせないよ!」




元女子アナの清楚系美人ママも、2人目妊娠中のバリキャリ弁護士ママも皆、遥香の足元にひれ伏しているような感覚は、何物にも代えがたい快感だった。

夫の圭もおしゃれに目覚めた遥香を目を細めて眺めているし、愛する香音も、着飾った遥香を見て嬉しそうにしている。

次第に、遥香は人生に、ファッションという新たな楽しみを見いだすようになったのだ。

― ああ、楽しい。次はデルヴォーのバッグが欲しいな。

そんなある日、遥香はママ友の衝撃の一言を聞くことになる。

「外商さんも担当さんも勧めるから、つい買っちゃった。将来娘に譲れるし」

代々元麻布に住んでいるというお嬢様ママが、新調したという鮮やかなブルーのオーストリッチのケリーを見ながら放った言葉だった。

― 娘に宝物を受け継ぐって、なんて甘美な響き!だったら、デルヴォーのブリヨンミニなんて、ぴったりじゃない?

ケリーのように王妃のお腹を隠したこともなければ、毎年ミューズを迎えて大々的に新作を発表することもないデルヴォーのバッグ。

それでもおよそ200年もの間、世界中から愛されてきたこのバッグこそ、自分が一生かけて大切に使い、いつか娘に贈る一品にふさわしい気がした。

― 決めた。ブリヨンミニのボックスカーフ、黒に出合えたら買おう。香音に受け継ぐ一生ものの宝物になるように。

その日から、遥香は時間を見つけては店舗やECサイトのパトロールを続けているのだ。





「ママ、ご本読んで」

幼稚園の後、香音を連れて日本橋三越をパトロールしたが、惨敗した。自宅リビングで抱きついてくる香音に、遥香は厳しく言った。

「ご本はまた今度。これは香音のためなのよ」

今日はECサイトから販売がある、というニュースをキャッチしたので、夕方以降もスマホにかじりついている。

「香音、夕ご飯はこれ食べておいて」

遥香は、成城石井で買ってきた総菜を適当にテーブルに並べると、スマホの画面に目線を落とした。

「ママと一緒がいい!」

― ああもう、忙しいのに!

誰の影響か、最近の香音は聞き分けが悪い。

― 早くブリヨンミニと出合って、香音にも喜んでもらわないと。

遥香はため息をついて、食卓に着いた。




次の日、遥香は銀座にある店舗にやってきた。

「ブリヨンミニ、ボックスカーフの黒はありますか?」

「少々お待ちください」

今までにない店員さんの反応に、遥香の心拍数は一気に上がる。

「こちら、MMサイズになりますが、いかがでしょうか?」

大きいサイズだが、持ってみると長身の自分には合っている気がする。

「こ、これ、いただきます」

震える声で言うと、遥香は思わずそばにあったソファにへたり込んだ。

― 今までの苦労が報われた…。

ママ友たちの反応を想像すると、頬が緩んでしまう。

「将来香音に譲ることも考えて、ベーシックカラーにしたの」

そう言ってバッグを見つめる自分の横顔は、きっと母性にあふれて今までで1番美しいだろう。

何年も先の未来、「良かったら使って」と、香音にこのバッグを受け継ぐ時、美しく成長した彼女は、どんな感謝の言葉をくれるのだろう。

― ああ、なんて幸せなの。

一点の曇りもない自分の人生を想像し、遥香は涙が出そうになった。




「パパ、公園行こう!」

「あら、いいわね。ママも一緒に行こうかな」

土曜日の昼下がり、圭が戸惑いながらも香音に手を引かれて玄関に向かうのを見て、遥香は微笑んだ。

「ママは嫌。香音、デパートもバッグ屋さんも、もう行きたくない!」

「どういうこと?」

眉をひそめる圭に、香音が大きな声を上げた。

「ママ、毎日バッグのお買い物が忙しくて、ご本も公園もダメだって」

「買い物って、前から欲しがっていたバッグ?」

圭の問いかけに遥香は慌てて答えた。

「この前、ついに買えたのよ。だからパトロールはもうおしまい!ね、香音。香音のための宝物、ママはやっと見つけたのよ」

遥香が香音の手を握ろうとすると、香音は圭の後ろに隠れた。

「おしゃれして楽しそうな遥香を見るのもうれしいし、夕飯の総菜も全然気にしないけど、最近ちょっとやりすぎじゃない?」

圭と香音は冷ややかに遥香を一瞥して外に出ると、遥香の目の前で玄関のドアを閉めた。

― どうして誰も喜んでくれないの?

家族の心が自分から離れていることに、遥香は今更気がついた。

クローゼットから、ブリヨンミニを取り出して、じっと見つめてみる。

丁寧に施されたステッチに、計算しつくされた64ものパーツからなるバッグは、何度見てもため息が出てしまう。

「私がやっていたことは、間違っていた?」

遥香は思わず問いかける。

愛する娘のために手に入れたはずの宝物は、上品に輝くばかりで何も答えてはくれない。

レザーと見事に調和する、ゴールドのバックルを外して、蓋を開けてみる。

中には大きな空洞があるだけで、遥香が欲しい答えは入っていなかった。

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いよいよ最終回。お受験に成功したご褒美に、教育ママが欲しいあのバッグとは?