ご存知、毒蝮三太夫さんが7月10日の大竹まことゴールデンラジオに出演。爆笑のトークで始まったが、途中から大東亜戦争について真面目な話を繰り広げた。

阿佐ヶ谷姉妹・江里子「ゴールデンラジオのメインコーナー、大竹メインディッシュ。本日のお客様をご紹介いたします。この度、文春新書から…」

毒蝮「イヨオー!…あ、まだか?ごめんごめん。」

阿佐ヶ谷姉妹・美穂(笑)

江里子「びっくりした。(笑)」

大竹「あのいいですか?ちょっと黙ってろ!」

毒蝮「シーッ!」

江里子「この度、文春新書より『70歳からの人生相談』という本を出版された毒蝮三太夫さんです。」

大竹「失礼ですけど今おいくつですか?」

毒蝮「昭和11年だから、え~と、60超えたよ。」

大竹「やっと60?このウソつき!」

毒蝮「60プラスに27だ。まことちゃんはいくつになった?」

大竹「74です。ですからマムシさん世代は戦争を体験なさっている。僕の世代は戦後です。戦争を知りません。」

毒蝮「だけど、戦争知らない大竹まこと世代もある意味では大変だったの。戦後処理でね。今だって戦争の傷跡を背負って生きてる人はいるの。それから地面を掘ったら防空壕の跡があった、人骨があったなんてことがあるじゃないの。だから70何年経ったって、戦後のことも戦争中のことも忘れちゃいけないね。まことちゃんは父さんとかお兄さんから戦争のことは聞いてんだろ?」

大竹「あんまり喋りませんでしたけどね。うちの親父は満州に行ってたからね。もうマイナス何十度の中で生きてたって。」

毒蝮「それは兵隊で行ってたの?よく生きて帰ってきたね。」

大竹「日本に帰ってきた人は本当に数が少なかったそうです。」

毒蝮「だから大東亜戦争の話が嫌なんだ。話すってことは思い出すわけだから。俺は9つだったから兵隊ではないんだよ。あと4年か5年で少年兵になる人はいた。俺の兄貴2人は戦争に行ってんだよ。2番目は俺と10ぐらい違ったんだけど特攻隊の生き残り。あと1ヶ月、2ヶ月戦争が長引いたら知覧から沖縄へ飛んでたわけよ。だけど終戦になった。まあ俺たちは敗戦って言いたいんだよね。来月の8月15日だよね。上の兄貴は満州に行って早く帰ってきた。2番目の兄貴は当時のソ連軍に抑留された。8月9日、ソ連が参戦して日本はエライ目にあった。それで中国で保留になったから貨車でソ連のレニンスク(現在のバイコヌール)っていうところへ連れられて。どんどん走っていくと海が見えてきたんだって。そこで「あ、海だ日本へ帰れる」って、いずれ佐世保とかに付くと思った思ったわけだ。そしたら、それがバイカル湖だった。」

阿佐ヶ谷姉妹「まあ…」

毒蝮「それで収容所の生活が4年か5年。これが大変だったと。(大竹の)お父さんもそれを知ってんだよ。」

このあと、毒蝮さんが様々な人から聞いた“戦争”を振り返る。