「もつ焼のんき」を手掛ける社長が、四谷三丁目の魅力を紐解く
四谷三丁目エリアをはじめ、多くの飲食店を展開する「ネクストグローバルフーズ」代表の荻野貴匡さん。
片岡鶴太郎氏の長男として、幼少期から四谷三丁目に暮らし、この街を知り尽くす“地元のプロ”。
四谷三丁目と荒木町で、『四谷 もつ焼のんき』『赤身とホルモン焼 のんき』『鶏焼肉のんき』『酒場のんき』の4店舗を展開する彼に、この街が魅力を放ち続ける理由を聞いてみた。
そんな荻野さんのインタビュー、そして彼が手掛ける肉の名店の魅力を、今日と7/11(火)の2回に渡ってお届けします!
■荻野さんが“飲食人”を志したきっかけ
■四谷三丁目・荒木町の今と昔、その魅力とは
「忙しい父を囲み、家族で過ごすこの街の外食は実に特別なひと時だった」
その眼差しには、物事の本質を見抜くような強さと温かさがある。鍛えられた肉体と柔和な人柄にも父親である片岡鶴太郎さんの面影がにじむ。
次世代の飲食業界を牽引するひとりとして注目を集めるネクストグローバルフーズの代表、荻野貴匡さんは5歳の時から家族とともに四谷三丁目に暮らし、現在も生活の拠点をここに置いている。
フランチャイズを含め、東京を中心に20もの店舗に携わる荻野さんは全国を飛び回り、多忙な日々を送っているが「やっぱり、四谷三丁目に帰ってくると安心して肩の力が抜けます。自分にとって、ずっと変わらないホームという感覚があるんだと思います」と話す。
荻野さんに“飲食人”を志したきっかけを尋ねると「子どもの頃、父と出かけた外食の思い出も影響しているのかもしれない」という。
仕事で家を空けることが多かった父親が、時間を見つけては、外の“大人の世界”へと連れ出してくれる。
荻野少年にとって父親と外で食事をしながら会話をする時間は「今でもはっきり思い出されるほどに、特別でうれしかった」のだ。
家族全員で外食をするときもあれば父親とふたりきりのときも。
「今はもうなくなってしまったんですけれど、フジテレビの社屋が河田町にあった時代に、四谷三丁目の交差点の裏通りに焼肉の『ドンキィ』という店があったんです。内装はスナック風で、メニューは基本的にタン塩、塩ロース、タレロース、タレカルビのみ。
著名人のお客さんも多くて、時には父が親しくしている芸人さんと一緒にみんなで食事することもありました。楽しそうにしている父の姿を見ているのが子どもながらにとてもうれしかったんです。
あと、母が好きでよく行ったのは移転前の『名門』。活気があって美味しくて、家族でよく通っていました」
そうした幼少期の思い出もあってか荻野さん自身も四谷三丁目の駅近くに『赤身とホルモン焼 のんき』という焼肉業態を手掛けている。
古き良き大衆焼肉の趣と厳選された赤身肉やホルモンを求める人で、連日大にぎわい。
「夜遅くまで働くテレビ局の方やタレントさんがたくさんいたので、昔から焼肉店と親和性の高いエリアではありました。うちは開店当初から女性やカップルのお客様も多かったです。
何度も通ってくださる常連さんはやっぱり地元の人が多い。下町気質というか、実は人情味があって義理堅い、というのもこの街らしさですね」
「荒木町はいい意味でクセのある店が多い(笑)。新旧がバランス良く共存する街」
バブル期に栄華を極めた荒木町。明治の頃は「お江戸の箱根」と呼ばれ、多くの見物客が集まる名所だった。
それをきっかけに花街へと発展したといわれており、荒木町には往時のひそやかで艶っぽい雰囲気が残ると表現されることもしばしば。
今と昔で変わったことは?
「フジテレビが河田町にあって、日テレが麹町にあったときが荒木町の黄金時代というイメージが長くありました。会員制、紹介制という札を掲げるスナックやバーが多くあって一見さんは入りづらい雰囲気でした。
社屋が移動してから、一気に街が静かになって、ひとつの時代が終わってしまったような寂しさを感じたこともありましたが、2010年中頃から新しいお店が増えはじめ、街に活気が戻った気がします。
荒木町のもともとの性質といいますか、いい意味でクセのある店が多い(笑)。僕もつねに店をブラッシュアップさせなくてはと刺激になります。
一方で麻婆豆腐で有名な『四谷 中国料理 峨嵋山』のように変わらぬ味で愛され続けている店もあり、新旧がバランス良く共存していることで街全体に心地良いグルーヴ感が生まれている。
地域のコミュニティーが発達しているから、困ったときは助け合うというムードもあって働くのにも住むのにも心地よい場所です」
実際、ここ数年で新築マンションが多く建てられ、小中学校の児童数も年々、増加しているのだそう。
地域に暮らす人々のコミュニティーが発達している理由のひとつに昔から続く、須賀神社の奉祝大祭も関係している。
「須賀神社といえばこの辺りの氏神様です。本社神輿が出て、100人くらいで担ぐ。こうした祭りが地域の結束を深めてきたことは間違いありません」
そして、コミュニティーの発達は地域の安全性にもつながる。
地元に暮らす人はもちろん、この街の店や雰囲気に引かれて通う“長年のファン”によっても治安が保たれていると荻野さん。
「これだけ飲食店や酒場が密集しているとトラブルが起きることも珍しくないけれど、四谷三丁目や荒木町は都内でも治安の良さは抜群。
ここに住む人だけではなく、地域を愛する人たちがみんなでこの街の安全を守っていこうという意識の高さを感じます」
四谷三丁目や荒木町は、飲食店や酒場が密集するエリアだけに、遊び慣れた大人がお忍びで通う街というイメージが先行していたが、ファミリーにとっても安全で生活しやすいという新事実。
この街の変遷を見続けてきた“地元のプロ”の言葉には、説得力がある。
「四谷三丁目のブランド力ってあると思う。その発信をけん引する存在でありたい」
荻野さんは現在、四谷三丁目と荒木町に業種が異なる4店舗を展開。『四谷 もつ焼のんき』『赤身とホルモン焼 のんき』『鶏焼肉のんき』、そして『酒場のんき』。
「同じ業態を複数やるよりも、地域の人や常連さんが気分で選べるような店づくりを目指したかった」と話すように、キャラクターが異なる4つの店は連日、どこも大盛況。
人気の理由はメニュー開発に力を注ぎ、つねに美味しさのための工夫を惜しまない企業努力はもちろん、サービス精神あふれる接客にもある。
飲食業界の人材不足が深刻といわれる中で、次々に新しい店をオープンすることができるのも、“地域のつながり”があるからこそ。
「たとえばバイトの子が学校を卒業したり、就職で引っ越すというときも後輩を紹介してくれたりするんです。うちの店はそうやって働いてくれるスタッフが本当に多くて、ただただ感謝の気持ちしかないです。
会社の運営陣にも僕の地元の後輩が何人かいて、みんな家族のような感じ。昔から知っているから、思ったことを素直に言い合える関係ができている。
共働きの家の小学生たちは、困ったときは“のんき”にくればいいよというふうになっていて(笑)、地域ぐるみの付き合いが信頼関係を生んでいます。
みんなが安心して働ける場所があるのは本当にいいことだなと思うし、そういう場であるように努めたいです。一見、とっつきにくいイメージがあるかもしれないけれど、実はその懐はとても広くて温かいんです」
東京の“街の表情”は実にさまざまだが、ここは東京でも指折りの美食密集地でありながら、心がほっと和むような懐かしさや温かさがある。
新旧が互いに敬意を払い、それぞれの個性を尊重してきた歴史が、この街の今につながっている。
それでは、四谷三丁目エリアを愛するひとりとして今後の展望や地域のさらなる発展のために期待することは?
「海外からのお客様も少しずつ戻ってきていますし、この街の魅力をたくさんの方に知っていただけるのは地元出身者としては本当にうれしいことです。
『多仁本』や『車力門 おの澤』など、親交のあるよく行くお店がミシュランの星を獲得して、全国からお客様がいらっしゃるのもとても誇らしいこと。
今までどおり、地域交流を大切にしながら、僕たちもいろいろな刺激を受けて切磋していきたいです。
飲食店だけではなく、メイド・イン・四谷の人やモノがここからたくさん羽ばたけるような場所を目指して、僕らもその一翼を担える存在になれたら幸せです」
新しい店も昔から続く老舗もみんなで手を取り合って、地域の発展や活性を目指す。
四谷三丁目エリアに暮らす人や通う人が愛着と誇りを持ち続ける限り、この街は輝きを放ち続ける。
荻野氏が通う四谷三丁目の名店たち
1.四谷三丁目の胃袋を支える四川料理店
『四谷 中国料理 峨嵋山』
円卓テーブルがある空間で本格四川料理を。
2時間の飲み放題を含むコースは6,000円とお値打ち。「麻婆豆腐は必食!」だとか。
創業は明治34年。先代から唯一、のれん分けを許された大将が握る鮨は絶品。
中でも「マグロが最高なんです!」と荻野さん。
荻野氏が展開する「のんき」の人気店が四谷三丁目には4軒も!
もつ焼き、赤身とホルモン、鶏焼肉、酒場と業態が異なる4店舗を展開しており、どの店も価格帯はカジュアル。
夜は混み合うので予約は必須。
【後編】 7/11に公開!
■「のんき」と「肉山」が奇跡のコラボを果たした、唯一無二の肉の名店
■プロフィール
荻野貴匡 1981年東京生まれ。ネクストグローバルフーズの代表として四谷三丁目エリアをはじめ、多くの飲食店を展開。荒木町、四谷三丁目在住歴は35年以上!
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