太陽に照らされて、笑顔がキラキラ輝く季節。

夏の恋は、いつだってロマンティックだ。

東京カレンダーのライター陣が1話読み切りでお届けする、夏ならではの特別なラブストーリー。

「夏の恋」が期間限定で復活!あなたにも、夏の恋の思い出がありますか?

▶前回:「もし妻ではなく、彼女と結婚していたら…?」夫婦仲に悩む男が、溺れかけた女とは




7年前の願いごと/彩織(25)


「あーまたこんなに散らかして」

六本木のど真ん中にある高層マンションの一室で、彩織はため息をつきながらふっと笑う。

テーブルの上に散らかったままの書類、洗われていない衣類や食器類。

「時代の寵児」とビジネス雑誌に書かれるほどの敏腕経営者なのに、界人の私生活は実家を出たばかりの大学生のようだ。

時刻は20時。

彩織は、仕事で疲れた体にムチを打って、1時間近くかけて部屋中を片付ける。

すべてが完了したのは21時頃。冷蔵庫を開けて冷えているビールを1本取り出すと、勢いよく体に流し込んだ。

「あーおいし」

彩織はこの部屋の住人ではない。

交際して約1年の恋人である界人を支えるため、週に3日ほど来ているだけだ。

しかし彩織は、今冷蔵庫に何があって、何がもうすぐ切れてしまうかをしっかり把握している。

界人の生活費の一部をもらって、忙しい毎日をサポートしているのだ。

― 部屋もキレイになったことだし、夕食づくりにとりかかりますか。

彩織の全身に、やる気がみなぎる。

中堅レコード会社の事務職として働く彩織は、仕事中にはこんなやる気を感じることはできない。

界人とは食事会で出会った。もしあの食事会に行っていなかったら、一体何にモチベーションを感じて生きていただろうかとゾッとする。

『彩織:今日、何時に帰れそう?』

今夜は界人のために、好物のパエリアを作って待っていようと思っている。

しかし界人からの返信は、むなしいものだった。

― …またこのパターンね。

彩織の表情は、打って変わってこわばる。


彩織は六本木から、自宅のある下北沢に移動した。

自宅マンションに向かって歩く速度は、牛のごとくのろい。自分がショックを受けているのだと自覚せざるを得ない。

先ほどの界人とのやりとり。

『界人:今夜は仕事の人を家にあげることになったから、悪いけど帰ってもらってもいい?ご飯もいらないわ』

― これじゃあまるで家政婦みたい!

界人と付き合って1年。

当初はよく「自慢の彼女」として周囲に彩織を紹介してくれたのに、最近の素っ気なさは胸に迫る。

急に呼び出されたり、かと思えば帰ってと言われたり。もはや珍しいことではないのに、彩織はその都度落ち込む。

― 今日だって、仕事の人を家にあげるとか言って…女の人だったらどうしよう。




『でも、ビジネスで成功する男性なんて、みんなそんなものよ。

自分勝手に遊んで、ストレスを発散して、仕事で成果を出す。それでも不満を抱かずに献身的に対応できる女こそ、最後に選ばれるのだ』

彩織は、そう自分に言い聞かせて、頭をもたげた不安から全力で目をそらす。

― 今はちょっとくらいつらくても、界人が最後に選ぶ女になりたい…。

仕事に夢中になれない彩織にとって、界人の存在こそがモチベーションであり、大きなアイデンティティーなのだ。どうしても、界人を失うわけにはいかない。

自宅マンションのすぐ近くにあるスーパーマーケットの前に来て、彩織は足を止める。

なにやら、親子連れで賑わっている。

「見てーママ、短冊できた!」

明るい女の子の声で、理解する。

「ああ。七夕か、今日」

大きな笹の葉が、スーパーマーケットの入り口に飾ってあって、自由に短冊を書いて吊るせるようになっていた。

その光景を見て、彩織はふと思い出す。

今から7年前、高校時代に付き合っていた彼氏・泰星と、七夕のイベントに行ったことがあったような。

「ずっと一緒にいられますように」

泰星と一緒に短冊にそう書き合って、笑い合ったような。

― なつかしい。でも結局、ずっと一緒にはいられなかったなあ。




泰星とは大学に入って1年足らずで別れた。

別れた原因は、彩織が遊んだことだ。

大学に入ると、年上の男性にかまわれる機会が一気に増えた。

泰星とはとても行けないようなレストランや旅行。目がくらんで、誘われるがままについていった。

きらびやかな世界を知れば知るほど、泰星との時間が物足りなくなっていった。

そんな彩織の変化を、泰星は的確にキャッチした。

「もう俺といても、つまんないでしょう。別れよっか」

デート中、泰星が冷静に言ったとき、彩織は申し訳ないことをしてしまったと初めて気づいた。

別に界人と比較するわけではないが、今考えても、泰星はとても優しい人だったと、彩織は遠い目になる。

― 今何してるんだろう。幸せにしてるといいな。

気になった彩織は、寂しさもあいまって、思い切ってLINEを開き連絡をしてみる。

『彩織:久しぶり。泰星、元気にしてる?』

すると泰星からは意外な返事が来た。


『泰星:え!びっくり。今朝、彩織のこと思い出してたんだ』

聞けば今朝、泰星のスマホが、クラウドにアップロードしていた7年前の写真をリマインドしてきたらしい。

昔一緒に書いた短冊の写真だ。

『泰星:なつかしい。ちょっと電話していい?』

話すのは、高校の友人の結婚式で会って以来、3年ぶりだ。

「久しぶり、彩織」

「久しぶり。ねえ、短冊の写真って、お互いにずっと一緒にいられますようにって書いたやつだよね?」

すると泰星は懐かしそうに笑いつつも、「ちょっと違うよ」と彩織の記憶を訂正する。

「覚えてない?俺は『ずっと一緒にいられますように』って書いたけど、彩織は『弁護士になれますように』って書いたんだよ」

「弁護士…。そんなこと書いたっけ」




弱気な声になったのは、彩織の中に気恥ずかしさがあったからだ。

泰星と一緒にいた頃、彩織はいつも大きな声で弁護士になるという夢を語っていた。

当時の彩織にとって、弁護士は夢というより具体的で現実的な目標だった。

父親が弁護士である影響で、昔から強く憧れて育ったのだ。弁護士のドラマを何度も見ては受験勉強に励み、慶應の法学部に入った。

でも、大学に入ってすぐに、彩織は楽しい世界を知ってしまい、遊び呆けた。弁護士という夢は捨て、最低限の勉強しかしなかった。

「俺、覚えてるんだ。あの短冊を見たとき、彩織は俺とのことより、自分の目標に対する思い入れのほうが強いんだなって思った」

「…なんか、ごめん」

違うよ、と泰星は言う。

「自分の夢を堂々と語れるのって、すごい素敵だなって思ってたんだよ」

「あのときはそうだったかな。でも今は全然よ。弁護士には結局ならなかったし」

数秒間の沈黙で、泰星がなんと言ったらいいのか迷っているのがわかる。そのことが申し訳なくなって、彩織は自分から笑い飛ばした。

「大学で真面目に勉強しなかったせいで、やりたいこともないままなんとなく仕事を選んで、毎日働いてる。

でも、そんな私にも今は、ちゃんと夢が…あるんだから…」

今の夢は――界人との未来だ。

彼を支えながら華やかな人生を生きる。れっきとした夢だ。

なのに、夢として堂々と語るにはどうも自信が持てず、つい声が震える。

「彩織、大丈夫?」

「…う、うん」

「ねえ、ちなみに今、どこにいるの?」

下北沢、と答えると、泰星は「今から会わない?」と言った。

30分後に神泉で会おうという話になり、電話を切る。あまりの急展開にドキドキしている。

『泰星:ここにしよう。久々に会えるの楽しみだ』

おしゃれなビストロのURLを送ってくる泰星。そのLINEメッセージに続いて、ちょうど界人からメッセージが来る。

『界人:部屋キレイになってて助かったわ。トイレットペーパーのストック減ってきたから買っといて』




1年後。

また、七夕の夜。

電車に乗っている彩織のスマホが振動する。

見てみると、泰星から、画像付きのLINEメッセージが送られてきていた。

2枚の短冊が並んで笹に吊るされている、8年前のあの写真。

「ずっと一緒にいられますように」
「弁護士になれますように」

『泰星:1年前と同じで、またスマホにリマインドされたよ(笑)。

今日で、彩織と再会してから1年ってことだね』

泰星と神泉で再会して3ヶ月後、彩織は界人と別れた。

界人をふったときは拍子抜けするほどあっさり「そっか」と言われ、彩織はいかに自分が愛されていなかったかを思い知った。

正直彩織は、ぽっかり空いた心の穴を泰星で埋めたくなった。

でもぐっと我慢したのは、彼との付き合いに逃げてしまえば、また自分の夢を忘れてしまうかもしれないと思ったからだ。

そこでこの1年、彩織は母校のロースクールを目指して勉強してきた。

泰星は再会してからずっと、勉強に追われる彩織を励まし続けてくれる。

おかげで、弁護士という夢にもう一度向き合おうと固く覚悟を決めることができた。

ロースクールの試験は9月。合格したら、正式に交際を申し込もうと彩織は決めている。

― あの短冊の2つのお願いごとを両方叶えることが、今年の七夕のお願いごと。

電車を降りて見上げた空には、ちらほらと星が見える。

ロースクール入試用のテキストが入った重たいカバンを抱えながら、彩織は空に向かって微笑んだ。

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