ラグビーワールドカップ2023「Road to France」<07>
リーチ マイケル(東芝ブレイブルーパス東京)後編

◆リーチ マイケル・前編>>「一度はラグビーを辞めようと思った」

 2003年に当時15歳で留学生として来日し、2013年に日本国籍を取得。日本ラグビー界に20年も携わっているリーチ マイケルのジャパンへの想いは、誰よりも深い──。

 今回のワールドカップメンバーにも選ばれれば、自身4度目の大舞台となる。「ワールドカップで日本代表が優勝する」ことを信じ、いっさいブレることのない"リーダー"は、日本ラグビーの未来をどう見据えているのか。

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リーチ マイケル●1988年10月7日生まれ・ニュージーランド出身

── リーチ選手は2011年から3大会連続でワールドカップに出場しています。これまで一番印象に残っている試合はどれですか?

「最初に出た2011年ニュージーランド大会の初戦(フランス代表戦/21-47)かな。でも、やっぱり2015年イングランド大会の南アフリカ代表に勝った試合(34-32)かな。どちらも相当強い相手だったので、よく覚えています」

── 現在の日本代表が「強くなっている」という手応えを感じた試合はありますか?

「(昨年10月末の)オールブラックス戦(31-38)ですね。強くなったなという手応えがありました。あのオールブラックスを相手にしてもビビらず、自信を持ってプレーできたのが一番の驚きでしたね。

 僕は2011年ワールドカップのオールブラックス戦(7-83)にも出ていたから、その時の日本代表とは全然違います。試合前の準備の段階から『勝とう!』というマインドをすごく感じました」

── それだけに、勝ちたかったですよね。

「あの試合は、勝てましたよね......。だからいつか絶対、日本は勝つと思っています! 7月にオールブラックスVX(フィフティーン/ニュージーランド代表候補選抜)との対戦もあるので、そこでチャレンジしたいですね」

── 過去の話も聞かせてください。リーチ選手は東海大の同級生だった女性と結婚したあと、2013年に日本国籍を取得。日本の高校・大学を卒業し、日本代表キャップを持っていても、当時は外国人枠での出場でした。帰化は出場機会を増やすためだったのでしょうか?

「もちろんそれもありましたが、一番は『覚悟を決めたから』です。銀行に口座を作ったり、家を買ったりするにしても、日本国籍があるだけでだいぶ違いますよね。海外から日本に戻ってきた時も、空港で(入国審査で)並ばなくていいですし(苦笑)。

 15歳で来日し、もともと日本に長くいようとは思っていたけど、引退したらニュージーランドに帰ろうと思っていました。ですが、日本代表に選んでもらい、東芝ブレイブルーパス東京でプレーするようになり、(日本人女性と)結婚したことで、ニュージーランドに帰っていても日本に戻りたくなった。だから『日本にずっと住もう』と思って帰化を決断したんです」

── ちなみに好きな日本食は?

「(府中の練習場近くにある食事処)『ますだや』も好きですが......やっぱりトンカツ屋『とんきち』のカツカレーかな! カツがすごく大きくて、ずっと探していた味なんです。遠征などで海外に行ったら(思い出して)食べたくなります(笑)」

── 日本ラグビーの現状についても話を聞かせてください。リーグワンでは外国籍でも日本に5年住んで日本代表資格を得たらカテゴリーA(日本人と同じ扱い)となり、試合に出場しやすくなりました。それにより、逆に日本人選手が試合に出づらくなっている状況について、どう思われますか?

「それは......すごく難しい。バランスの問題ですよね。日本人選手がリーグワンのチームに入りにくくなる一方、逆に夢を掴んだ外国籍選手もいる。また、その影響でリーグワンのレベルがかなり上がってきているのも事実です。リーグワンでは昔あったカップ戦がなくなり、試合数が少ないことも影響しているかもしれません。本当に(判断が)難しいところです」

── 企業スポーツの色が濃かったトップリーグからリーグワンへと移行し、各チームが興行権を持ってプロ的に試合を運営するようになりました。海外でもプレー経験があるリーチ選手の意見として、日本ラグビーはもっとプロフェッショナルになったほうがいいと思いますか?

「う〜ん......わからないですね。(各チームが企業に)どれくらい頼っているかですが、(プロ的になって)会社のバックアップがないと潰れてしまうチームも出てくるんじゃないかな。それも難しい問題です。でも、将来的にリーグワンは世界トップレベルまでいけると思っています」

── 選手としては、まずはいいプレーをして、ファンに喜んでもらうことが大事ですよね。

「そうです! 試合の面白さをどう伝えるかは大事。エンタテインメント性をもっと増やしたい。日本のプロ野球みたいにやれば、もっとファンが見に来てくるんじゃないですかね。

 あと、なによりも大事なのは、リーグワンの開催時期です(現在は12月〜5月)。8月の暑い時期に夜から試合をやって、ファンにはビールを片手に見てもらいたいですよね。代表期間は(リーグ戦を)休み、その間にカップ戦をやって、また再スタートすればいい。スーパーラグビーにもう1回、チームを作って参加するのもいいと思います!」

── 話は変わって、選手生活を辞めたあとのセカンドキャリアについてお聞きします。以前は母校の北海道・札幌山の手高校で「先生をやりたい」と言っていました。

「この前も山の手に行ってきました。まだ(先生の資格は)取っていません。ただ、もし引退したら、まず1年間はなにもしないでおこうと思っています。

『これやります!』というのを決めず、自由に。アジアやモンゴルなど各国を巡ったり、関係者が所属している国士舘大に行ったり......。とりあえず1年間、自由にすごしてから考えて、面白いものが出てきたらやるという感じです」

── 現状では、あまりコーチをやりたいとは思わない?

「やりたいとは、あまり思っていないですね。たまに......でいいぐらいかな。だから今、山の手に行って夏合宿に参加したり、国士舘大ラグビー部の菅平合宿に行ったりするのを楽しみにしています」

── 将来は「日本ラグビー協会の会長になりたい」という話もしていました。

「それはもちろん。でも、まだ先の話ですね。いろんな経験もしないといけないですから」

── そういえば、2年ほど前に長男も生まれましたよね。

「はい。息子には『リチャード仁』と名づけました。はじめは『元』にしようと思っていたんですが、生まれてきた時に息子の顔を見て『元じゃねえな、仁だ!』と(笑)。リチャードは僕の(亡くなった)お兄ちゃんの名前なんですよ。あと、東芝ブレイブルーパス東京で一緒にプレーしたリチャード・カフイ(元オールブラックスCTB)からも名前をもらいました」

── 息子さんにはラグビーをやらせたい?

「日本にいると、まずは野球でしょ(笑)。まぁでも、ラグビーをやるんじゃないですかね。10歳の娘はテニスばっかりやっていますよ」

── 息子さんの物心がついてリーチ選手がプレーする姿を覚えているまで、現役選手でいたいのではないですか?

「それは、もちろんあります! だから......もう少しやろうかな。ほんと(コンディションが)下の下まで落ちたら考えます」

── 今回のワールドカップで、ラグビーファンにはどういうところを見てほしいですか?

「僕たちが勝ち抜く姿を一番、見てもらいたいですね。しかも、やられてからやり返すのではなく、最初から80分を通して、ジャパンがいいゲームをして勝つところを見てほしい。

 僕のプレーで見てもらいたいのは、タックルだけ、かな。タックルしまくって、そしてボール持って走る。それだけです」

── 開催されるフランスでも、観客席から「リーチ!」コールを呼ばれたい?

「2019年ワールドカップの時から、定番としてそうなりましたね。なんで始まるようになったか、わからないですが(笑)。ただ、いろんな人から『ワールドカップに応援しに行きます!』と声をかけられるので、フランスでも同じようにコールがあったらうれしいですね!」

── あらためて、4度目のワールドカップに対しての意気込みをお願いします。

「日本ラグビーにとって『新しいバネ』になるような大会にしたい。子どもたちが見て『ラグビーをやりたい、日本代表になって勝ちたい』って思えるような大会にしたい。僕は『日本代表がいつかワールドカップで優勝する』と思っているから、(今大会も)優勝を目指して頑張りたい」

── 2035年には再び、日本でワールドカップが開催されるかもしれないですしね。

「そうだ! そこでオールブラックスに勝って優勝だ!」

<了>


【profile】
リーチ マイケル
1988年10月7日生まれ、ニュージーランド・クライストチャーチ出身。15歳で来日して北海道・札幌山の手高校に入学。東海大学を経て2011年に東芝ブレイブルーパス(現・東芝ブレイブルーパス東京)に加入する。日本代表歴は2008年11月のアメリカ戦で初キャップを獲得。2013年に帰化。2014年から2021年まで日本代表キャプテンを務め、ワールドカップは2011年・2015年・2019年と3度出場。ポジション=FLフランカー、No.8ナンバーエイト。身長189cm、体重113kg。