1975年の第1回G7サミット。右端が三木武夫首相、右から3番目がホスト国であるフランスのジスカールデスタン大統領(写真:AP/アフロ)

4月中旬以降、全国各地でG7関連閣僚会合が行われている。それもまことに多種多様なのである 。これまでに日本国内では4つの会合が実施済みであり、この週末にはデジタル・技術大臣会合が群馬県高崎市で開催される。

* 気候・エネルギー・環境大臣会合(4月15〜16日)北海道札幌市
* 外務大臣会合(4月16〜18日)長野県軽井沢町
* 労働雇用大臣会合(4月22〜23日)岡山県倉敷市
* 農業大臣会合(4月22〜23日)宮崎県宮崎市
* デジタル・技術大臣会合(4月29〜30日)群馬県高崎市

本番後も会合目白押し、日本はサミットでお腹いっぱい


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全国ニュースでの扱いは小さくても、それぞれのご当地では大騒ぎになっているはずである。

海外からの賓客に対して、街を挙げて歓迎し、地元の名物を味わってもらい、エクスカーション(体験型の見学会)にもお連れして、ついでにお土産も差し上げたい。受け入れ側としては会議の中身もさることながら、「おもてなし」に力が入るところである。

そして、5月はいよいよサミット本番の月となる。

* 財務大臣・中央銀行総裁会議(5月11〜13日)新潟県新潟市
* 科学技術大臣会合(5月12〜14日)宮城県仙台市
* 教育大臣会合(5月12〜15日)富山県富山市/石川県金沢市
* 保健大臣会合(5月13〜14日)長崎県長崎市
* 首脳会合(5月19〜21日)広島県広島市

しかも、これだけで終わりではない。年内いっぱいは全国各地でG7関連会合が続く。交通大臣会合(三重県伊勢志摩)、男女共同参画・女性活躍担当大臣会合(栃木県日光市)、司法大臣会合(東京都)、都市大臣会合(香川県高松市)、貿易大臣会合(大阪府堺市)、内務・安全担当大臣(茨城県水戸市)などである。いやもう、サミットでお腹がいっぱいになりそうだ。

もちろん、昔からこんな風だったわけではない。G7サミットが始まったのは1975年のこと。石油ショックとインフレで世界経済が大荒れだった当時、フランスのランブイエ城に先進国の首脳が集まり、胸襟を開いて討議しましょうというのが発端だった。

まだ第2次世界大戦が終結してから30年目。「敗戦国」という原罪を背負いつつ、低姿勢の外交を続けてきた日本にとっては、お仲間に入れてもらえたのはまことに光栄なことであった。

今年は16会合へ肥大化、やっぱり焦点は「本番」

そして1998年の英バーミンガムサミットから、首脳会議とは別に財務相会合と外相会合が開かれるようになる。この時点では、まだ3種類だけだったのだ。

それが今では、ほとんどの役職の大臣が会合を開くようになっていて、今年はなんと16種類も行われる。官僚的組織の肥大化といえようか。気がついたら、日本中がサミット会場になっている。

まあ、国際会議が「街おこし」の手段になってしまうのも、今のようなご時勢にはアリかもしれない。とはいえ、今は「戦時」のG7である。国連安全保障理事会の常任理事国であるロシアが、隣国ウクライナに武力で攻め込んだからには、もちろん国連は機能しないのである。

そしてG20という枠組みも、ロシアが入っているために共同宣言すらまとめられない。そうなると、動けるのはG7くらいしかない。こんな年に議長国となっている日本の責任は、まことに重大といえよう。

そこで問題になってくるのが、5月19〜21日に広島で行われる本番のG7首脳会議ということになる。開催場所となるのは、元宇品(もとうじな)地区にある、グランドプリンスホテル広島だそうだ 。

宇品島(うじなじま)の造船所跡地にバブル期に建てられたもので、広島市の中心地からも近く、橋の部分を固めてしまえば警備も簡単。しかも目の前にマリーナがあり、世界遺産の厳島(宮島)へは高速船で渡ることもできる。

売り文句は「瀬戸内海の絶景を望む空と海に囲まれたアーバンリゾート」。なるほど、好都合な場所があったものである。

しかもこの会場、2016年4月にG7外相会合が行われた実績がある。探してみたら、当時の「おもてなしの記録」(食事メニューや贈呈品)は、ちゃんと外務省のホームページに残っているではないか 。さらにこのとき、外相として議長を務めたのは岸田文雄現首相だったというのだから、まことによくできている。

このときに広島を訪れた顔ぶれを振り返ってみると、アメリカからはジョン・ケリー国務長官が来ていた。そうそう、あの年は5月に伊勢志摩サミットが行われた。アメリカからやってきたバラク・オバマ大統領に対し、ケリー国務長官が後押ししてくれて、戦後初のアメリカ大統領による広島訪問が実現したのであった。

それにしても7年の時を経て、G7外相会合の議長を務めた人が、今度は同じ会場で首脳会合の議長を務めるとは、なんたる強運であろうか。しかも、それが自分の選挙区であるのだから、これは政治家冥利に尽きるというもの。

とはいえ、各国首脳に地元名物の「必勝しゃもじ」を配るのだけは勘弁してほしい。いくら岸田さんが「広島LOVE」だとはいえ、ちょっと感覚がズレていると思うぞ。

サミットの歴史は「対ロシア」の半世紀

あらためてサミットの歴史を振り返ってみると、ロシア(旧ソ連)をめぐって揺れ動いてきた半世紀であることが思い知らされる。

前述のとおり、G7はもともと南の資源国に対して、北の先進国が結束する形で1970年代に始まった。当時は純粋に経済問題を討議する場であった。

それが1980年代になると、ソ連のアフガニスタン侵攻を契機に政治問題を取り上げるようになる。G7は自由主義社会を代表して、ソ連など東側の脅威に対して西側の結束を確認する場所に変質していく。

さらに1990年代になると、ソ連の崩壊とともに「脱・冷戦時代」が到来し、今度はロシアを取り込む作業が始まる。「G7」はゆっくりと時間をかけて、ロシアを含む「G8」へと衣替えしていく。

ここで初めてサミットは、「西側先進国の首脳会議」から「世界の首脳会議」としての色彩を強めていく。地域紛争、テロ防止、環境、核不拡散、途上国問題など、全世界が共同で取り組むべき課題が増えていく。

あらためて考えてみると、「G7/G8」には国際法上の裏付けは何もない。年に1度、大きな国の首脳が勝手に集まるという慣習にすぎない。「サミット七夕論」、とにかく会うこと自体に意義がある、などと言われたものだ。シェルパと呼ばれる外交官の作業量が増え、会議の共同声明の文書はどんどん長くなり、会議に伴うセレモニーも増えた。

2000年に行われた九州・沖縄サミットをご記憶だろうか。森喜朗首相が議長となり、ウラジーミル・プーチン大統領が初めて参加した会合で、テーマは「IT革命」という暇ネタであった。いやもう、のどかな世界であった。あのときに誕生した2000円札、どこに行ってしまったのか。

それでも2000年代になると、G8は軌道に乗ったかのように見えた。実際に2006年にはプーチン大統領を議長として、サンクトペテルブルクでG8サミットが行われている。ところが、そこへ重大な転機が訪れる。2008年のリーマンショックである。

G7もしくはG8は、いわば町内の大旦那衆の集まりであった。一部の人たちだけで町内の大事なことを決めてしまうのは、もちろんほかの家々にとっては面白くない。それでも大旦那衆はときどき大盤振る舞いしたり、困ったときに助けてくれたりするので、そこは大目に見ていた。世界経済に占める先進国の比率も、当時はまだ高かったのである。

G7/G8では決められず、G20では決まらず

ところが2008年には、一番のお金持ちであるアメリカさんのお宅が火事を出してしまった。すなわち国際金融危機が広がって、町内全体が大混乱に陥ってしまった。

こうなるとG7もお手上げである。そこで、2008年11月にワシントンDCで行われたのが第1回のG20サミットである。中国やインドやブラジルなどの新興国にも加わってもらい、一緒に手を取り合って事態を収拾しましょうということになった。

G7やG8ではなく、G20で物事を決めましょう、というのは当初はよいことのように思われた。実際にG7/G8の地位は低下して、2010年のカナダ・ムスコカサミット以降は、それまで2泊3日方式だったものを1泊2日方式に短縮することになる。

ところが実際にやってみると、20カ国(EUを含むので正式には19カ国)も集まると、一人が10分しゃべっても3時間以上かかってしまう。結局、それでは自由闊達な議論など不可能ではないか。「G7/G8では決められないが、G20では決まらない」状態になっていく。

ここへ再び世界は激震に襲われる。2014年のロシアによるクリミア併合である。ウクライナの主権が侵害され、一方的にロシアに領土が奪われるという事態が発生する。

この年のG8サミットは、冬季五輪大会が終了したばかりのロシアのソチで行われる予定であったが、7カ国は急遽EU(欧州連合)本部があるブリュッセルに集合する。ごく自然な形で、G8は再びG7に回帰していくことになる。

あらためてロシアが抜けてみると、「価値観を同じくする仲間」であるG7のまとまりは急によくなった。アメリカのドナルド・トランプ大統領の扱いに苦慮する場面もあったけれども、2019年の仏ビアリッツサミットからは、再び2泊3日方式に戻っている。2020年にはコロナによる初めての中断を挟むものの、今回の広島サミットに至ることになる。

3つの歴史的教訓を踏まえた「日本の立ち位置」とは?

以上、漫談風にサミットの歴史を振り返ってきたが、ここから得られる教訓は3つあると思う。

第1に、半世紀近いG7サミットの歴史とは、ロシアと対峙し、ロシアを取り込もうとして、最終的に失敗した経緯である。やはり西側先進国から見て、ロシアは「異物」であったのだ。ロシア側は、当然G7を快く思っていない。いわんやプーチン大統領においておや。現状のウクライナ戦争に対して、G7が果たしうる役割に過大な期待は禁物である。

第2に、サミットにはつねに官僚的肥大化やセレモニー化の傾向がつきまとう。とくに「G7の一員」であることを金看板としている日本外交としては、ついつい手間やおカネをかけたくなるところであるが、今はむしろ原点回帰が必要な局面であろう。「今どきG7をありがたがるのは日本だけ」と、ときどき自分自身にツッコミを入れたいところである。

第3に、それでもG7には一定のパワーがある。「継続は力なり」というやつで、これまでキッチリ活動を続けてきたことは誰もが認めるところだ。問題はこのG7が、ときどき世界全体の中で「浮いた」存在になることである。「西側先進国とは、人権や気候変動問題で新興国に説教したがる『意識高い系』の人たち」と見られていることは否定できない。

そんな中で、いわゆる「グローバルサウス」の国々との間の接点となるのは、日本の重要な役どころといえるのではないか。広島サミットはぜひ、そうあるべきであろう。「アジアで唯一のG7メンバー国」であることは、間違いなく日本の金看板なのだから。

(本編はここで終了です。この後は競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)

ここから先は競馬コーナーだ。この週末(4月30日)は、3年ぶりに「春天」(春の天皇賞)が京都に帰ってくる(第11レース、芝の3200メートル、G1)。リニューアルされた京都競馬場で、どんなレースが展開されるのか楽しみだ。

ほとんどの馬が「京都未体験」なので、データ的にはちと苦しい。ただし、先週(4月22・23日)のレースを見る限り、改修工事の影響はそれほど大きくなく、昔のノウハウがそのまま通用しそうに見える。

「春天は連覇」の法則に従い、本命は「あの馬」

となれば、「春天は連覇」の法則が通用すると考えて、去年の覇者、タイトルホルダー(2枠3番)から。春天はフェノーメノにキタサンブラックにフィエールマンと、やたらと連覇が多いのだ。

しかも、前走・日経賞での8馬身差圧勝を見る限り、タイトルホルダーは昨年秋の凱旋門賞敗戦のトラウマから復調している。昨年と同様に「逃げて勝つ」強い展開を予想する。

菊花賞、有馬記念、阪神大賞典と連続で2着に入り、今ひとつ勝ち切れないボルドグフーシュ(7枠13番)を対抗に。当日の天候が悪ければ、それも買い材料になると考える。

去年の春天で騎手を振り落とし、空馬でゴールしたシルヴァーソニック(8枠16番)を穴馬認定とする。7歳馬だが、ここでは面白い存在だ。

最後に「京都競馬場は武豊騎手の庭」なので、一発があるかもしれないヒュミドール(5枠9番)を大穴として押さえておこう。

(当記事は「会社四季報オンライン」にも掲載しています)

(かんべえ(吉崎 達彦) : 双日総合研究所チーフエコノミスト)