シマノが欧州でブランド力を飛躍させた戦略とは?(写真:Kenta Harada/Getty)

企業努力で価格を維持してきた多くの企業が限界を感じ、値上げに踏み切ったニュースが連日続いています。消費者は値上げに敏感です。価格を上げても顧客離れを起こさないためにはどうしたらいいのでしょうか? 前回の記事「HBSでは優れた戦略をたった1つの図で考える」で紹介した「バリュースティック」を使うと、価格を上げても競争に勝つためのシンプルな戦略が見えてきます。ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)の戦略コースの対話から生まれた話題の戦略書の日本語版『「価値」こそがすべて! 』を翻訳出版した神戸大学大学院の原田勉教授に、そのエッセンスについて語ってもらった。

価格を上げて勝つパターン、負けるパターン

価格を上げて顧客を満足させることなどできるでしょうか。もし、それが信じられないなら、アップルストアに行くことをお勧めします。最新のiPhoneを買って出てくる人のうれしそうな顔を見れば一目瞭然です。12万円ほどもする高額な買い物であるにもかかわらず、かれらは不満を漏らすことなくむしろ嬉々として満足しています。


どうしてこういうことが起こるのでしょうか。それは顧客価値が価格以上に高いからです。顧客価値とは、支払意思額(WTP)のことを指します。WTPは、製品・サービスを購入するために支払ってよいと考える最大限の価格のことです。iPhoneの購入者は、このWTPが価格の12万円以上であるから、高価格であるにもかかわらず、iPhoneを購入して満足しているのです。

もし、iPhoneの在庫がなくなり、当面の間購入できなければどのようなことが起こるでしょうか。おそらく新品であれば、ネットオークションなどで12万円以上の価格で落札されることになるでしょう。このことから明らかなように、iPhoneのWTPはかなり高い水準にあるのです。

しかし、それだけではありません。価格が高いということが逆に品質保証効果、識別効果を生み出します。つまり、「安かろう悪かろう」の逆で、「高かろう良かろう」という心理効果を生み出すのです。

アップルのようなブランド力があれば、価格を上げることはきわめて高い品質であるというメッセージになります。さらに、競合よりも高くなれば、価格という点で差別化され、識別効果にもつながります。その結果、ブランド価値を高め、WTPがさらに上昇することにつながります。つまり、価格を上げることがブランド力を高め、顧客満足度(=顧客歓喜)も高めることになるのです。


(出所:『「価値」こそがすべて!』)

顧客満足度とWTP

逆に、価格を上げて負けるパターンは説明するまでもないでしょう。WTPが変化しない状態で価格を上げることは顧客満足度の低下につながり、結果として顧客が離反していくことになります。

そもそもWTPが変化しない状態で価格を上げてもそれが失敗することは確実です。価格を上げて成功するための必要条件は、WTPがそれ以上に上昇しているということです。それがなければ、顧客満足度は低下することになります。

顧客満足度とは、WTPと価格の差額となります。価格を上げてWTPが変わらなければ顧客満足度は低下します。そのため顧客は離れていくことになり業績は低下していきます。したがって、価格を上げて勝つためにはWTPを高めることに注力する必要があります。

バリューベース戦略1:錯覚価値を高める

アップルが高いWPTを達成しているのはなぜでしょうか。端的に言えばブランド力の高さということになります。そういってしまうと、自社にはブランド力がないため、価格を上げて勝つということは無理だと思われるかもしれません。しかし、たとえいまブランド力がなくても、それを克服していくことは可能ですし、むしろ、その方向を真剣に模索していくことが必要です。

確かにアップルの場合、創業者であるスティーブジョブズのカリスマ性や、数多くのイノベーションを起こしてきたという実績、そして、製品自体のデザインの良さ、性能・品質の高さ、いままでにない新しい価値提案があることなどが高いブランドイメージにつながっています。それらをマネすることは難しいでしょう。

しかし、ブランド力は企業のいままでの実績や顧客のもつイメージから構成されます。ここで注目したのが後者のイメージです。イメージが面白いのは、それが実力を反映しているとはかぎらず、たとえば、著名人が愛用している、権威ある機関に求められた、有名企業が採用した、といった事実があれば高いブランドイメージにつながり得るということです。

宣伝で使われるコピーがブランドイメージに直結する

たとえば、最近多くのメーカーの宣伝で使われるコピー、「モンドセレクション受賞」などもその例です。かつてあるメーカーの役員の方に聞いたのですが、そのメーカーの製品を売り出す際、モンドセレクション受賞というコピーを広告に記載するようにマーケティング部長から提案されたことがあったようです。その役員は、モンドセレクションはそこまで権威がある賞ではないのでやめたほうがよい、と反対したそうです。しかし、担当部長が強く主張したので結局折れてその通りにしたところ、これがヒットの大きなきっかけになったとのことでした。

ある納豆メーカーは「宮内庁御用達」という宣伝文句を謳い問題になったことがありました。というのは、その納豆は皇室に納められていたのではなく、宮内庁の職員食堂で使われていただけだったからです。確かに「皇室御用達」ではないので、嘘ではありませんが、誤解を招く表現でもあります。

自転車部品メーカー、シマノのブランド力が欧州で飛躍的に高まったのは、ツール・ド・フランスに参加するプロ自転車チームの部品として採用されたことがきっかけでした。シマノは、プロのチームに採用されるために多くの努力を注力していたのです。

賞や権威ある機関に採用されることでなくても、著名人が愛用しているというのも宣伝文句に使えます。数十の店舗を展開しているある接骨院は、店内に多くの芸能人やスポーツ選手を治療したということがわかるように、かれらの写真や推薦の言葉が所狭しと貼り付けてあります。またホームページには、医師などの専門家の意見も記載し、信頼性を高める工夫をしています。このようないわゆる社会的証明を提示することで信頼性を高め、ブランドイメージを向上させているのです。

WTPを高めるには、もちろん提供する製品・サービスの実力の裏付けがあることは必要不可欠です。それは最低限の前提条件ですが、それだけだと顧客には伝わりません。だからこそ、こうした錯覚価値、すなわち実力以外のところからくるイメージに起因する価値も同時に高めていくことでWTPをさらに高めていく努力が求められるのです。

バリューベース戦略2:補完製品を活用する

このような錯覚価値を訴求することに加え、補完製品を活用することも有力な方法です。補完製品とは、その存在が、他の製品・サービスのWTPを高めるもののことです。たとえば、プリンターとトナー、ガソリン車とガソリンスタンド、電気自動車と充電ステーションは補完関係にあります。充電ステーションが普及すれば、電気自動車の購入を後押しすることになります。またその拡充は、電気自動車のWTPを高めることにもつながります。

実はアップルは、この補完製品をうまく利用して高い価格を維持することに成功してきました。つまり、ハードウェアを高く売り、ソフトウェアを無料で提供するという戦略です。同社がiTunesを導入したとき、ソフトウェアが無料だっただけでなく、アップルは音楽のすべての価値を放棄しました。アップルは、音楽とアプリケーションの価格を低く抑え、iPod(2001年発売)、iPhone(2007年発売)、iPad(2010年発売)の販売で並外れたマージンを生み出しました。iPhoneの高価格が維持できたのは、製品単体での実力だけではなく、補完製品としてのソフトウェアの安さがハードの価格上昇を後押ししたのです。

ここから学ぶことができるのは、補完製品とは何かを識別することです。そして、その補完製品の価格を下げることで、当該製品・サービスのWTPを高め、価格を上げていくことが可能になるのです。これは必ずしも自社だけで完結することではありません。協力会社を含めてネットワークを構築していくことが求められるケースも多くみられます。

価値は価格に優先する

以上からわかるように、価値は価格に優先します。WTPを高めずに価格を上げれば、それは敗北への道となります。価格を上げるのであれば、まずはWTPを高めることが必要不可欠です。そうでなければ顧客は離反していきます。

しかし、WTPの向上はアップルのような突出した企業でないと不可能というわけではありません。錯覚価値の向上、補完製品の活用を通じてWTPを高めていくことが可能です。製品・サービス単体の実力を飛躍的に高めることでWTPを向上させていくことは逆に難しいでしょう。単体での実力ではなく、それ以外のところにWTPの向上、ブランド価値向上のヒントが数多く隠されているのです。

価格を上げて競争に勝つのは決して夢物語ではありません。そのためにはWTPという価値に注目し、それを高めるための戦略を練り上げていくことが求められます。このWTP戦略によって、価格を上げて競争に勝つことが実現できるのです。

より正確にいえば、戦略には2つのレバーがあり、その1つがこのWTPを高めるための活動にほかなりません。あとの1つは売却意思額(WTS)と呼ばれるものを引き下げることです。WTS戦略については次回の記事で解説します。

(原田 勉 : 神戸大学大学院経営学研究科教授)