3月24日放送の『ノンストップ!』(フジテレビ系)に、料理愛好家の平野レミさんがゲスト出演。ご自身の料理の腕前が上達した根底に、イラストレーターで2019年に他界された夫・和田誠さんの影響が強いとお話しされていました。

 レミさんは同番組で、「ウチの夫は最初から(レミさんが作った料理を)不味いと一度も言わなかったね。『ちょっとコクがないかな』とか、言い方がうまいの」と明かしました。レミさんがコクの部分を補うと、和田さんは「ますます美味しくなったね」といつも褒めてくれたそうです。

 おしどり夫婦で知られていたレミさんと和田さん。和田さんとの愛情深い思い出を、筆者は以前、レミさんにお聞きしています。

「たまに和田さんが酔っぱらって帰って来たとき、私は2階の寝室から玄関まで降りて『和田さんのこと大好き、どうしよう。好きで好きでしょうがない』って言っちゃって。和田さんは『おいおい、どうした? どうした?』って言ってるんだけど、私は『なんだか今日は好きで好きでしょうがないの』って。もう発作ね(笑)」

 そんな愛してやまない和田さんが亡くなられたときは、相当なショックだったと言います。

「私は今でも和田さんに会いたくて会いたくてつらいの。夫が先に天国に逝って、私がこんな苦しい目にあって、ホントどん底よ。来世ではこんな苦しい思いは2度としたくない。

 和田さんは私にこんな悲しい地獄を味合わせたんだから、私は来世も和田さんと結婚して、絶対に私が先に死ぬの。先立たれたら、残された方はどんなに悲しいか和田さんに味わってもらう。リベンジしたいの!」

 その一方で、和田さんへの感謝も口にしていました。

「私は和田さんがいたから、和田さんの手のひらの上で自由奔放に好き放題で『なんだってやっていいや』って感じ。失敗しても私が『和田さん、ダメになっちゃったよ』って言ったら、『そうか、そうか』って感じで見守ってくれる。

 その和田さんの手のひらがなくなって、今はストンて地獄に落っことされた感じよ。ちょっとずつは立ち直っているけど……でも会いたいね、会いたいね」

 そう言ってレミさんは、「はぁ〜」と深いため息をついていました。

 そんな悲しみのなか、救いの手を差し伸べてくれたのが家族の存在でした。

「私が長男(TRICERATOPS・和田唱さん)の家に行ったとき、(妻の上野)樹里ちゃんに『和田さんの思い出だけだと掴むものがないからヤダな』って言ったの。そしたら樹里ちゃんが『唱さんとレミさん、手を出して。唱さんはレミさんの手を握って』って。そしたら、唱がギューって私の手を握ってくれたのよ。

 唱の手を握ったのは子供の頃の、もみじみたいな小さな手だけだったから。それが今は、ギターをやっているからガッチリした手よ。それで私の手をグッと握ってくれたとき、『(息子には)和田さんが半分入ってるんだ』と思ったの。そのときに、なんか胸のつかえみたいなのがストーンと取れたの」

 レミさんの和田さんへの深い愛情は、結婚から50年以上たった今も、これからも変わることはないでしょう。

インタビューマン山下
1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している。