全世界興行収入が319億円となった人気アニメ『ONE PIECE FILM RED』の劇場版。これだけヒットする理由を探ります(『ONE PIECE FILM RED』公式サイトの動画より)

昨年公開され大ヒットした映画『ONE PIECE FILM RED(以後『RED』と記載)』。ついに動画配信も始まり、再び賑わいを見せている。

昨年の劇場公開時には、全世界興行収入が319億円となり、2022年に日本で一番見られた映画となった。

『ONE PIECE』は「週刊少年ジャンプ」に1997年より連載され、単行本発行部数が5億冊を超えているマンガだ。日本はもとより世界においてもこの記録は前人未到であり、ギネス記録にも認定されている。

世界で最も愛されているマンガと言っても過言ではない『ONE PIECE』の魅力は一体どこにあるのか、『RED』の大ヒットから探っていこう。

(※ここから先はネタバレを含みますのでご注意ください)

映画『RED』は新しい挑戦に満ちている

『RED』の魅力のひとつは“音楽映画”としての素晴らしさだろう。原作者の尾田栄一郎は、友人の影響でとある映画の応援上映に行き、その盛り上がりを体験して、いつかこんな上映の仕方を『ONE PIECE』でもやってみたいと思ったという。

その思いがあってか、ウタというキャラクターが生まれ、人気歌手Adoが主題歌および劇中の歌を担当することで実現したのが『RED』だ。

映画の冒頭から、音楽ライブを体験しているかのようなシーンが続き、期待感が高まる。主題歌『新時代』がいきなり流れたことで、ボルテージが最高潮になった観客は多いはずだ。

音楽映画の難しいところは、歌が流れている間にストーリーが止まってしまいがちなところにある。うまく噛み合ってないと両方が足を引っ張りあってしまうのだ。その点『RED』では主題歌を含む計7曲の完成度が高く、見事にウタの心情が表現され、ストーリーにマッチしていた。

しかも、通常のサウンドトラックがそうであるように、ストーリーに合わせて作ると曲の存在感に差が出そうなものだが、今回の7曲は違った。全員が四番バッター、まるでルフィとその仲間達のような個性をもってそれぞれがヒットした。Apple Musicの国内ランキングでは7曲がトップ7を独占した日もあったというから驚きだ。

『RED』のストーリーを簡潔にまとめると「主人公のルフィが魔王になってしまった幼馴染のウタを救う話」といえる。

『ONE PIECE』においては、仲間を救うために敵をやっつけるという展開がお馴染みだ。しかし『RED』においては、救うべき相手を倒さなくてはいけないという状況になる。このパターンは『ONE PIECE』では珍しい。『ONE PIECE』の敵役は、根っからの悪であることがほとんどだからだ。

近年、他の人気作品などを見ると、悪役側にもやむにやまれぬ理由が描かれていることも多いが、『ONE PIECE』はそうでないことがほとんどだ。私はそれが『ONE PIECE』の魅力の一つだと思っている。

実際、「キャラクターの魅力」というのは、人柄が良いとか能力が高いとか、そういうことだけから来るものではない。むしろ、ストーリーの中で役割をどれだけ果たしたかのほうが重要だ。

つまり敵役は、敵対者としての役割を果たせば果たすほどに魅力が増す。『ONE PIECE』の敵役が魅力的なのは、悪役として突き抜けていることも理由として挙げられるはずだ。

その意味で、嬉しい再会から一転、敵対関係になってしまう『RED』のストーリーは珍しいと言えるが、「主人公がみんなの思いを背負って決戦に臨む」という展開はいつも通りと言える。そして、そこに『ONE PIECE』の魅力が詰まっているのだ。

『ONE PIECE』の真髄は仲間を救うルフィの姿

『ONE PIECE』ファンの人に、好きなシーンは何か?と聞いたら、それぞれの答えがあるだろう。しかし、ルフィが仲間のために立ち上がる瞬間や、何があっても仲間を見捨てず大切にするシーンを挙げる人がきっと多いはずだ。

いつもは子どものように自分の夢だけを追いかけているルフィだが、一方で仲間に対する思いだけは誰にも負けない。命をかけて仲間を信じ、とことんまで守り抜く姿がたくさんの名場面を生んできた。

私は、尾田栄一郎は「痩せ我慢」を描かせたら右に並ぶものはいないマンガ家だと思う。登場人物が、誰かに迷惑をかけまいと本心を隠して涙をこらえる姿を描かせたら天下一品だ。そして、そんな人物のために立ち上がるルフィに言いようのない嬉しさを感じるのである。


涙を流しながら叫ぶ育ての親・ゴードン(『ONE PIECE FILM RED』公式サイトの動画より)

『RED』では、敵になってしまったウタを救うために立ち上がるわけだが、ウタの育ての親であるゴードン(エレジア元国王)の悲痛な叫びがルフィに届いた。

「あの子の歌声は世界中のみんなを幸せにする力を持ってるんだ!ウタを救ってくれ!」

ゴードンの懇願は観客の心の叫びでもあっただろう。その渾身の叫びを聞いて、ルフィは戦うことを決意した。『ONE PIECE』ではこのように誰かの悲痛な気持ちをルフィが受け取ってくれる瞬間になんとも言えない喜びがある。

単に悪いやつをやっつけるとか、誰が海賊王になるかという話ではなく、皆の思いを背負って戦ってくれる主人公の姿に、私たちは感動する。これこそが『ONE PIECE』の真骨頂なのだ。

ルフィというキャラクターが抱える“矛盾”

もしかしたら、そんな仲間思いのルフィの姿に、ちょっとした矛盾を感じる人もいるかもしれない。普段のルフィは、あまり人の話も聞かず、自分勝手に邁進していくキャラクターだからだ。それを象徴するのが「海賊王に俺はなる!」というセリフである。

ルフィのように自分の目標に向かって突き進む主人公というのは最近のアニメや映画などでは少ない先行き不透明な時代には「目的追求型」の主人公は減り、障害が降ってきてそれを乗り越える「障害乗り越え型」のストーリーや主人公が増えるからだ。


我が道を行くルフィだが・・・(『ONE PIECE FILM RED』公式サイトの動画より)

それは日本では、“出る杭は打たれる”文化とも関係があるかもしれない。頑張ってもうまくいかない時代には、目的追求型のキャラクターには冷めた目線が送られることも多い。けれど、ルフィはそんなことお構いなしに我が道を行く。

私たちは、心の底ではやりたいことをやり、自分らしく生きたいと思っている。しかし様々な理由でそれができない。時には自分に原因があると分かっていても思うようにいかない。だからこそ、迷いなく進んでいくルフィに惹かれるのだ。

その一方で、ルフィは「仲間を信じる心」が誰よりも大きい。「自分中心」と「仲間思い」という、一見矛盾しているようなこの2つを見事に両立しているのが、ルフィの真髄だ。

なぜそれが両立するかといえば、ルフィにとって仲間とは馴れ合い的なつながりではなく、お互い自分の道を突っ走ってこそ成立する関係だからだ。ゾロが仲間になる時の、ルフィの「いいねえ世界一の剣豪。海賊王の仲間なら、それくらいなってもらわないとおれが困る」という言葉がそれを象徴している。

『ONE PIECE』という作品は「真の仲間とは何か?」というテーマを常に考えさせてくれる。これは、きっと原作者・尾田栄一郎の生き様と美学から生み出されているものだろう。

シャンクスという最重要人物の存在感

そんなルフィの原点とも呼べる存在が赤髪シャンクスだ。『RED』の一番の見どころは、なんと言っても、シャンクスとルフィの共闘シーンである。この2人がタッグを組むだけで必見であり、映画の中盤、シャンクスが登場した瞬間には誰もが「来たー!」と心躍ったはずだ。

シャンクスは『ONE PIECE』の中でも、群を抜いて特別なキャラクターだ。第1話から登場し、ルフィの原点と言っても過言ではない。「海賊王になる!」という言葉は、シャンクスのような男になる(シャンクスを越える男になる)と同義と言っていい


ウタの父であり、ルフィの原点であるシャンクス(『ONE PIECE FILM RED』公式サイトの動画より)

ルフィのトレードマークである麦わら帽子はシャンクスから渡されたものだ。「いつかきっと返しに来い……立派な海賊になってな」という言葉とともにシャンクスが去って以来、2人は顔を合わせていない。

再会シーンは本連載におけるクライマックスの一つであることを考えると、まだ会ってはいけないルフィとシヤンクス。しかしそれを乗り越えるように、表の世界と裏の世界で2人が共闘するというのは、なんともグッとくる設定だった。

ウタというキャラクターがもつ”時代性”

そんなシャンクスの娘として登場したウタ。「家族」は『ONE PIECE』では度々描かれるモチーフだが、今回も、シャンクスとウタ、ウタとゴードン(エレジア元国王)、ウソップと父など、物語の中に、家族的な関係性がたくさん詰まっていた。

私たちは人間である限り「家族」を求めずにはいられないが、それゆえ起こる問題に苦しんだりもする。家族だからと言って必ずうまくいくわけではないし、時には受け止めなければいけない悲しみも出てくる。

『ONE PIECE』は、時に人生の教科書のように、私たちが抱える辛さに答えてくれる時がある。例えば、家族とは必ずしも血の繋がりだけを意味するわけではないなどといったように。『ONE PIECE』は繰り返し、様々な角度から家族を描き、私たちに気づきと勇気と優しさを与えてくれる。

さらに『RED』では現代的な時代性が描かれていた。映画の冒頭で、人々は海軍と海賊、そのどちらにも希望を持ちきれていないという世界観が提示されていた。そんな中でウタは「みんなが楽しくいられる平和で自由な新時代」を作るためにライブを始めた。ルフィとウタの考える「自由」の違いが、『RED』のテーマそのものと言っていいだろう。

ウタの考える自由とは、戦争も貧困も差別もない平和な仮想世界。ウタは自身の経験から、みんなが辛い思いをせずに笑って楽しいまま暮らせる世界を作ろうとする。自分自身の命を犠牲にして、みんなを永遠に「夢の世界」へといざなうのだ。

劇中でウタは観客にこう問いかける。

「病気やイジメから解放されたいってのはウソ?」

「海賊におびえなくて済む毎日が欲しいって言ってたじゃない!」

ウタの言う「自由」や「新時代」は昨今のネットやSNSで分断された社会を暗喩していると考えられる(Adoという存在がさらにその説得力を増した)。

「お前は間違っている」と諭すルフィに対して、ウタは「この世に平和や平等はない」と言い放った。そしてウタはとある少女の声を思い出すのだ。

「ねえ、ウタちゃん、ここから逃げたいよ。ウタちゃんの歌だけ、ずっと聴いてられる世界はないのかなぁ?」

その瞬間「私を見つけてくれたみんなのためにも……もう引き返せない」と言ってウタはラスボス化するのである。

『ONE PIECE』の最大テーマ「自由とは何か?」

ではそれを打ち砕くルフィの考える「自由」「新時代」とは何か?

ウタの提示する未来は、実際にはすぐ近くに訪れている未来とも言える。メタバースと呼ばれる世界はその象徴だ。肉体的、現実的な苦悩はAIやロボットなどに任せ、好きなことだけやっていればよい社会というのは、私たちが現実的に目指しているものである。

しかし、ルフィはそれに抗う。ルフィの考える自由は、ウタの考えるものとも連続しているが、ウタが仮想世界に逃げちゃえばいいんだよというのに対し、あくまで物理的に現実的に獲得しようとしているものである気がする。

私は『ONE PIECE』を読んでいて、あの骨つきの肉、特にビヨーンと伸びるあの肉がいつも美味しそうに見えてならない。楽しそうに食べ、騒いでいる「宴」にいつも憧れを感じるのだ。

ルフィにとっての自由とは、仮想世界で永遠に手に入れるものではなく、限りある人生で、限りある肉体を使って「どう謳歌するか」といった具合で捉えられているのではないか。

私の好きなセリフにも、そんなルフィの思いが感じられる。

「支配なんかしねぇよ。この海で一番自由な奴が海賊王だ」

連載のラスト、ずっと追い続けてきた「ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)」が見つかる時、尾田栄一郎やルフィが追い求めた「自由」が明らかになるのだろう。

「ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)」というのは「自由とは何か?」という問いに対する答えを与えてくれる宝ではないかと私は願う。

それはウタが求めた「自由」や「新時代」をも含むものであるかもしれない。

私たちはそんな期待を胸に、『ONE PIECE』という旅を見守るのだ。

(たちばな やすひと : プロデューサー)