貧乏神にたたり無し/純丘曜彰 教授博士
時は元禄、戦乱も絶えて久しく、上方を中心に商人たちが大きな屋敷を構えるようになる。京の長者町、七つの蔵、九つの座敷、千木万草に囲まれ、七五人もの手代を使う染物の大店(おおだな)が居並ぶ。だが、桔梗屋ばかりは、爪に火を灯すほど貧窮に喘いでいた。
だんなも、おかみも、元来、正直な働き者。なのに、働けど働けど、まったく実りがない。大晦日の遅くまで仕事に精を出し、餅をつくこともままならず、初夢には宝船の刷り絵に枕して、今年こそはと願うが、なんの甲斐もなく、年月を経、また今年も大晦日を迎えた。
あわてて宝船の絵を買いに走るおかみを止め、だんなは言う。もう、やめとき。ひとさんの家におる神さんたちに祈っても、せんかたなかろ。うちにはきっと貧乏神さんがいたはるのやろな。せやかて、貧乏神でも、神さんは神さんや。せっかくうちにいてくれたはるのなら、まずは祭ったろやないか。そう言うと、元旦の朝までかかって、夫婦仲睦まじく粛々と藁しべを丸めて人形を作り、渋紙で帷子(かたびら)を丁寧にこしらえて、あり合わせのものをお供えした。
果たして初夢の真夜中、枕元にこぎたない年寄りが立っている。年来、おまえらが暇(いとま)無しに働く姿が好きで、この家に居着いてきたが、かように大切にされるのは、貧乏神として世を渡ってきて初めてのことで、なんともこそばゆい。だが、祭られても、わしには、人を貧しくする以外、なんの霊力も無い。せめて今宵を限りに、この家をいんぬることにする。さらばぢゃ。
夜が明けてみると、藁しべの人形はどこかへ消えてしまった。心なしか、家の中に光が差し込んでいるような気がする。それで、なんだか、そこらの隅にチリやホコリが妙に目につく。まだ正月二日だというのに、二人は家中の大掃除を始めた。
そして、その晩。夜中に、どやどやと外で声が聞こえる。戸を開けてみれば、恵比寿に大黒、弁天、毘沙門、福禄寿、寿老人、そして布袋さまが、ほろよい加減で押し入ってくる。聞いたぞ、聞いたぞ。貧乏神が、ここで、えらいもてなしを受けたと、言うておったわ。そないけったいなことをしよるんは、どこの酔狂もんか、見に来てみたのぢゃ。なぁに、かまわん。今宵は仕事明け。馳走は他家からたんまりと持参いたした。座る場所だけ、空けてくれ。さあさ、だんなも、おかみも、まあ、飲もうではないか。
以来、七福神たちは、二人のところに居着いて、昼も夜も「柳は緑、花は紅」と歌い踊る。なんぞそこに福の秘密があるのだろうと、根っから働き者のだんなとおかみは、あいも変らず仕事に打ち込んで工夫に工夫を重ね、ついにスオウを使った安価な紅染めを生み出す。これが助六で有名な「江戸紫」の代用品として、庶民の間で爆発的な人気となり、桔梗屋の名の由来ともなる。見る間に二人は、都で一、二を争う分限者。だが、その後も、二人は、正月に貧乏神様へのお供えを欠かすことはなかったという。