純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

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ある秋、ある村は、豊作だった。自分たちでも喰い切れず、客人たちまで招いて、連日連夜のお祭り騒ぎ。それが冬を越えて続いたが、春、蔵を見ると、撒く種籾が残っていない。その村は、潰れた。

漁業でも似たような話は多い。よい漁場が見つかった、とのウワサに、あちこちの港から数え切れないほどの船がやってきて、争って魚を獲りまくった。儲けに儲けて、だれもが壮大なイワシ御殿を建てたが、数年後、そこに魚はもういなかった。

インターネット、と言っても、最初は音声電話回線経由のBBS(電子掲示板)だったが、日本でも最初のものが1982年に開設され、もはやかれこれ40年。スマホとあいまって、いまや、電話やテレビ以上に、生活に欠かせない通信情報機器となった。

とはいえ、twitterに限らず、どうもおかしい。だれでも自分の意見を発信できる民主主義的なメディア、というのがウリだったはずだが、流れてくるのは、どこも同じ話ばかり。それも、なにを成し遂げたのかもよく知らない「有名人」の一挙一投足が事細かに取り上げられている。本屋の棚に並ばないような良書を長く売るロングテール戦略、なんて言っていたアマゾンも、売れ筋ばかりがお勧めされる。まして、googleやbingは、多様性を探るどころか、SEO(サーチエンジン最適化)工作したサイトばかりが上位に出て来る。同系統のyoutubeも、いまのケタはずれの「人気もの」がずらっと並び、以前のお気に入りは、検索しても底の方に沈んで見つからない。俗に言う「シャドウバン」。

まあ、ある意味、これもマーケティングとしては正しいのだ。とにかくPVの総量を上げようと思えば、当然にこうなる。雑誌やテレビもそうだ。とはいえ、twitterを辞めさせられた(辞めた?)連中を見ると、みな若い。経営陣も似たようなものなのだろう。だが、これがもし老練のマーケッターだったら、絶対にこんな戦略は採らない。一時的に総量は大きくなるが、結果、短期で市場を喰い潰し、先鋭化して裾野を切り捨て、根絶やしにしてしまうだけだから。実際、雑誌やテレビがダメになったのも、これをやったから。

気がつけば、ガキばかり。連中は時間もあり、受験勉強や資格取得もしないのであれば、ヒマを持て余している。あとは、パソコンだけが友だちの老プロ市民と氷河期ニートか。連中の趣味趣向に合わせれば、総量は最大化できる。とはいえ、そんな得体も知れない連中が言い争い、タメ口でつっかかってくる場など、生活と仕事に忙しいまともな人々は、おのずから足が遠のく。新規参入の余地は皆無で、むしろ撤退に次ぐ撤退。ブログなんかも、閉鎖消滅だらけ。それで、よけいネット商売の企業は、しぶとく残る一部の「メガユーザー」にターゲットを絞り込んで、特化し、先鋭化する。それで、一般の人々の足がまた遠のく。まさに悪循環だ。

言わば、絶対勝ちのジャイアンから、周囲がみんな離れていくようなもの。もっとも、自分たちで工夫してネットそのものを開拓してきた創生期と違って、できあいの市場に後から入り込んできたネット商売の若手は、民主主義だの、ロングテールだの、多様性だの、そんな理念は知ったことでなし、ただ、いま一時、業績を上げ、株価を上げ、稼げるだけ稼いでとんずらの予定なのだろうから、喰い潰した後にネットが荒んで寂れても、だれも困らない。

初期のyahooなどだと、中にマニアックなやつらがいて、個人がコツコツ作っているような良くできたお勧めサイトを発掘してきてくれて、雑誌のようにおもしろかった。そんな昔をなつかしんでも、時代の趨勢。仕方あるまい。

ただ、以前にも書いたように、ガキや老プロ市民、氷河期ニートなど、いずれのセグメントも、いまのマスマーケットのメガユーザーは、PVを増すとはいえ、カネを持っていない。スポンサーからすれば、たいして食えない骨魚の大漁だ。言ってみれば、ドヤ街の公園の無料炊き出しに数万人を集めたようなもの。そんなところで商売は成り立たない。

その一方、インターネットができたように、このネット洞窟から抜け出したまともな人々が集まる場が、かならずどこかに新たに生まれる。プロのコンサル、マーケッターなら、いち早くそこを見つけるのが、フロンティア・アドヴァンテージの鍵だろう。