純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

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上がるのは早いが、下がるのが遅い。このために、高止まりの土地価格が、日本の経済適正化の障害になっている。

おそらくこれは日本特異の問題だろう。ただでさえ狭い国土にあって、その67%が森林。川や湖なども除くと、耕作可能、居住可能な平地は30%も残らない。面積で言うと、日本はドイツよりやや大きいが、平地はその半分以下。そこにドイツの1.5倍もの人口がひしめいている。

かつて一度は公地公民を定めてみたものの、またたく間に、荘園として、有力者たちのぶん取り合戦に戻ってしまった。鎌倉幕府以来、訴訟のほとんどすべてが土地争い。戦後の焼跡闇市でも、成長期の河川整備でも、だれのものともわからないところに、だれかがいつの間にか住み着き、数センチ単位で所有を主張。それで、道路などの公共工事も、その買収に莫大な費用がかかって、遅々として進まない。

減るもんじゃなし、持っていて損はない。日本では、土地はずっと価値絶対的な有限財。それどころか、戦後の人口増大期、経済成長期には、広大な住宅地開発で、原野が実際、巨万の富の源泉となった。新幹線の駅一つで、寒村僻地の連中が、こぞって風呂屋のような御殿を建てられた。だから、商機を逃すまいと、投資家たちが地方の「リゾート地」を競って買いあさり、団塊勤め人の小金持ちまで、チンケな小分けの「別荘地」や「マンション」を高値で掴んで、将来の値上がりを夢みた。

しかるに、いま、人口減。日本の歴史始って以来の大変動だ。それも、社会の中核となるべき世代の人生設計を、氷河期として破壊した。いくら高速道路を作ろうと、格安飛行機を飛ばそうと、人が地方から逃げ出し続けている。遊びにも行かない。高齢化で町から商店街が消え、駅前からもデパートが撤退消滅。かつての一等地も空き地だらけ。その合間を走り回るは、通販配達のトラックのみ。

それなら都会は安泰か、というと、そうでもない。こんな時代、新規に事業を興しても、まず売れない。まして、飲食店など、コロナ騒ぎもあって、どうにもならない。にもかかわらず、先行投資として、土地所有者たちがやたら巨大なビルを建てまくってしまったから、その賃貸料が法外に高い。それで、いよいよ新規事業、新規開店など、どう考えても、採算の見込みが立たない。

教科書的に言えば、地方も都会も、需給均衡まで価格が下がるはずなのだが、そうはならない。利益が出ないと、政府の標準公示価格だけは、きちんと即座に適正な水準にまで下がるから、持っているだけの遊休地、空きビルでも税負担が軽い。また、有限財だから、いったん手放してしまうと、必要になってもふたたび手に入れることは難しい。そもそも地元に地縁血縁土地勘がへばりついており、劣勢になるほど、カルト的に仲間内で、まだじつは価値がある、いや、これから復興する、復興させる、などと、実の無い妄想で盛り上がって、現実を直視しない。

農業でも、商業でも、工業でも、その土地相応の利益水準でなら新規事業も可能だろう、と思う業者がいないではないのだが、所有者がかつてのバブルの夢の延長線にある法外な売却価格、賃貸料に拘泥するために、交渉がまとまらない。このために、空き地や駐車場などとして、半端に放置されるために、いよいよ人が寄りつかなくなり、土地相応の利益水準も下がり続けて、いよいよ所有者の夢との乖離が深くなり、話にもならなくなっていく。

そもそも、上物の資金調達の源泉が土地。所有者に建物や事業の資金を提供してきた日本の金融機関は、長年、土地を根本担保としてきた。その実勢価格が下がるなどということがあってはならない。そんなことがあれば、金融機関そのものの信用危機に直面する。だから、絶対に安値で市場に売却することを認めない。たとえ借り手が破綻しても、ぐるっと身内の業者で回して、簿価は維持する。しかし、それは夢の数字。

こんな夢と現実の乖離が露呈するのは、相続のとき。どう考えても自分で使う予定が無い、将来性の無い地方の土地など、相続したところで、いくら安いにせよ、税金や管理費を永遠無限に垂れ流す親の呪いのようなもの。ババ抜きのごとく、たとえタダ同然でも、今後、だれか他人が引き取ってくれる見込みさえも、まったく立たない。空き家バンクなどと言ってみたところで、いまさら上下水道無し、プロパンのみ、砂利道一本の廃墟村の家屋に、修繕費1千万以上もかける酔狂な者は、芸術家でもいないし、だれもそんな余裕余力も無い。

都会でもきわどい。経済成長期、築50年以上の老朽ビルなど、耐震防災、冷暖房、IT環境、等々、いまの規格に合うような作りになっているとは限らない。歴史的建造物でもないのに、へたに大規模改修するくらいなら、いっそ更地にして高集積の今風のビルとして、ゼロから建て直した方が早い。とはいえ、それだけの自己資金があるか。他人に売っ払うにしても、戦後のどさくさで確定したような、ゴミゴミした場所のL字型の土地など、よほどのデベロッパーが周辺全部をのっぺして再開発するのでもなければ、やはり割が合わない。そんなことができるのは、日本に何社も無く、それらもすでに既存計画で手一杯。そもそも、周辺も、ビルに建て変えた時期がまちまちで、地域で話がまとまる可能性も皆無。

流動性を上げ、時代に応じた利用の新陳代謝を図るには、取得からの年数で、どんどん累進するような土地税制にすればいいのだが、民主主義下で、国政も地方も政治家は地元密着。だから、そんなことができようはずも無い。結局、だれもなにもできない。もはや何も生み出さない空き地に夢だけを描いている所有者たちが死滅して、相続人たちが投げ出すのを待つしかないのかも。