増沢 隆太 / 株式会社RMロンドンパートナーズ

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・田中角栄の復権?
故田中角栄元総理といえば、生前の大悪役ぶり、闇将軍、金権政治家という批判がウソのように名宰相、歴史に残る政治家という評価が高まる今日この頃。日本中から袋だたきに批判されまくっていた田中氏の晩年(闇将軍時代)を現役で見ていたので、今のチヤホヤぶりには何とも違和感を覚えつつも、早坂元秘書を始めとする「角栄本」(田中元総理にまつわる逸話)が大好きな私。

田中角栄流人たらし、人心掌握術、選挙運動については、その戦略性の高さと実行力から教科書と思ってたくさん読んできました。今と違って昭和の自民党は群雄割拠。吉田学校から三角大福中へと、一人だけとってみても今の2世3世政治家とは全く別物の存在感を持つ、アクの強いおじさん、お爺さんたちに、子どもだった私はとても興味を覚えたのでした。

戸川猪佐武氏の「小説吉田学校」はわくわくする戦国大河ドラマのようです。

・中間地帯論
元は毛沢東の革命理論として、冷戦構造下における勢力拡大を狙う戦略だったと思いますが、それを実践したのが自民党の田中角栄元総理だったのもよく知られています。敵/味方の対峙の間には、広い中間地帯があり、敵でもなく味方でもない中間地帯にいる人たちに、いかに好意を持ってもらえるかを重視したのでした。

敵を潰す以上に中間地帯を大切にし、味方にならずとも敵に回さない手法は、結果として自派閥掌握だけでなく、自民党他派閥(角福戦争での最大のライバル福田派(安部派の源流)議員も)、さらには敵対する野党まで包含する幅広い影響力形成につながったと考えられます。

もちろんそのためのカネの力が批判の通りあったからこそできたともいえる訳で、決して田中氏が正義の政治家だったということにはならないのだろうと思います。

・国会議員・水道橋博士を生んだ男
れいわ新選組から全国区立候補した漫才師の水道橋博士氏は、自民党が圧勝する参議院戦において当選を果たしました。松井大阪市長から名誉毀損裁判を起こされた被告として、水道橋氏は「言論封殺のためのスラップ訴訟と戦う」というスローガンを政策に挙げ、選挙戦を戦いました。

議席倍増と威勢の良い選挙予測があちこちで流れる維新。一方野党の中でも弱小勢力なれいわ。東京選挙区の山本代表すら当選は危ぶまれ、全国区は特定枠で第一当選者が決まっているというれいわ。正直なところ、私も水道橋氏の当選はきわめて厳しいだろうと想像していました。

しかし結果は3人のれいわ参議院議員が誕生し、その1人として水道橋氏は当選したのでした。これだけの大逆風選挙で当選に至ってしまったのは、松井氏への強い反発エネルギーを水道橋氏に持たせ、行動させてしまったからなのではないでしょうか。

もちろん政策を支持して投票した人もいたからこその当選です。しかしそもそも立候補まで駆り立てた原動力の一部に、松井氏からの訴訟への反発があったのは間違いありません。いってみれば水道橋博士参議院議員を生んだのは、私は松井市長だと感じるのです。

・分割して統治せよ
私は植民地政策をイギリスで勉強しました。地域対立や民族・部族対立という「対立」は、統治者にとって実に都合の良い政治手法なのです。社会の開発が遅れていたアフリカ諸国はヨーロッパ列強によって植民地となり、その植民地は列強が直接武力で弾圧するのではなく、必ず異なる部族が異なる部族を支配するという 二重支配構造で成り立ったのです。

宗主国は部族対立の上に君臨することで、対立や憎しみは現地部族同士にさせたのでした。広大な海外帝国を築いたイギリス、スペイン、ポルトガル・・・皆用いた原始的ですが、人間の本性を突き動かす強力な手法です。未だ癒えぬ民族対立や差別は全世界に残っています。

「分割して統治せよ」という植民地支配の原型を作ったのは何と、紀元前のローマ帝国です。われわれ人類はローマ時代の政治手法にいまだ踊らされているのでしょう。

敵を倒すのではなく、味方を増やす。さらには敵でも味方でもない中間地帯を大切に育てた田中元総理。政治的な評価ではなく、人間心理に基づいた人心掌握は、組織論においても学ぶべき点が多いと思っています。