昨年までプロ野球の審判を務めた杉永政信氏。ジャッジ歴35年は、NPB史上4位タイの記録である。長きにわたってプロのボールを見てきた杉永氏に、球種別で見た最強投手は誰なのかを挙げてもらった。


日本ハム時代の2016年に当時NPB最速の165キロをマークした大谷翔平

ピストル弾のようなストレート

ストレート/大谷翔平(日本ハム、エンゼルス)

 ストレートのナンバーワンは、日本ハム時代の大谷翔平選手。もともと私はセ・リーグ出身ですが、セ・パ審判部が統合されたのは2011年。その頃から、パ・リーグの投手は強い球を投げるなと思っていました。

 大谷投手が「1番・投手」で出場していたので、2016年だったと思います。じつは私も元プロ野球選手で、身長189センチの投手でした。大型投手は打者にすれば威圧感も出るし、ボールに角度もつくから有利な反面、体を使いこなすのが難しい。私もそこで苦労したひとりです。でも大谷選手は193センチの長身なのに、投打とも器用にプレーする姿が強く印象に残っています。

 球審は「ストライク」「ボール」を判定するのがおもな仕事なので、スピードにはあまり興味がないのですが、大谷選手は別格。「ものすごく速い球を投げるな」と驚きました。事実、160キロ以上出ていました。

 よくスピードガン表示を見て「こんなに出ているかな」と疑問に思う投手もいるのですが、大谷選手はそれ相応のスピードが出ていました。

 例えるなら、楽天の田中将大投手の球は「重い石」で、大谷選手は「ピストルの弾」。つまり、きれいな回転でスパーンと飛んでくるイメージでした。

カットボール/川上憲伸(中日、ブレーブス)

 カットボールは中日で活躍した川上憲伸投手。日本で最初にカットボールを投げたのは川上投手ではないでしょうか。いずれにしても、川上投手が投げたことでカットボールがメジャーな球種になり、一気に広まっていきました。

 最初にこのボールを見た時、谷繁元信捕手とこんなやりとりがありました。

「谷繁捕手、今の球はインスラ(インコースのスライダー)? それとも単なるすっぽ抜け?」
「いえ杉永さん、カットボールですよ」

 右投手の"インスラ"の軌道は、右打者の体にぶつかるように向かってきて、ストライクゾーンに入ります。今でこそ投げる投手が多いですが、当時はど真ん中からアウトコースギリギリに決まるスライダーを投げる投手がほとんどでした。そこで「体の近くに来たらボール球」という先入観を持たないためにも、持ち球の確認のために谷繁捕手に聞いたわけですが、返ってきた答えが「カットボールだったんです。

 カットボールはスライダーよりもスピードが速く、曲がり幅は小さい。だから川上投手がカットボールを投げ始めた時は、面食らった打者が多かったはずです。

 川上投手は2002年にノーヒット・ノーランを達成しました。翌日のスポーツ新聞には「スライダー」と「カットボール」の表記が混在しており、それだけまだカットボールがポピュラーではなかったということです。


阪神最強のリリーフ陣「JFK」のひとりとして勝利に貢献したジェフ・ウィリアムス

伊藤智仁と双璧のスライダー

スライダー/ジェフ・ウィリアムス(阪神)

 スライダーといえば、真っ先に思い浮かぶのがヤクルトの伊藤智仁投手じゃないかと思います。とくにルーキーイヤーの1993年、あの「高速スライダー」に度肝を抜かれた選手は多かったはず。審判の間でも「あんなに速くて大きく曲がるスライダーは初めて」と評判になりました。大袈裟ではなく、130キロ前後で鋭角に曲がってくる。異次元のボールでしたね。

 そんな伊藤投手のスライダーに勝るも劣らないのが、ジェフ・ウィリアムス投手です。左のサイド気味から投じられたスライダーは、打者の手元に来てから速く、鋭く曲がった。打者からすれば、ストレートと思ってスイングしたところで曲がってくる。あの球を打つのは至難の業です。

 2005年はウィリアムス投手、藤川球児投手、久保田智之投手の"JFK"の活躍で阪神はリーグ優勝を成し遂げました。ウィリアムス投手のスライダー、藤川投手のストレート、久保田投手のフォーク。彼らが出てくるまでに1点でもリードしていたら、「勝負あり」でした。

シンカー/山本昌(中日)

 シンカーとは投手の利き腕の方向に曲がりながら落ちる球種で、左投手の投げるシンカーは「スクリューボール」と呼ばれることもあります。私がジャッジしたなかで、シンカーといえば山本昌投手です。

 山本昌投手がプロ5年目の1988年、アメリカ留学していた時にシンカーを覚えたと言います。帰国後、ウエスタンリーグで投げた時にそのシンカーを見て「なんだ、この球は?」と思った記憶が、今でも鮮明に残っています。

 シュートしながらふわりと落ち、左打者ならインコースの膝もとに決まり、右打者ならアウトコース低めに逃げていく。山本昌投手の決め球はもともとスライダーでしたが、このシンカーを覚えたことによって投球の幅が一気に広がりました。

 この年、シーズン途中で一軍に上がり、5勝を挙げて中日のリーグ優勝に貢献。その後も最多勝のタイトルを3度獲得して中日のエースに君臨。とはいえ、当時は200勝投手になるとは思ってもみませんでした。

148キロのフォークは当たらない

フォーク/山本由伸(オリックス)

 打者というのはボールがリリースされた瞬間、スイングするのか、しないのかを判断をしなければなりません。ストレートとフォークの腕の振りは同じで、打者はその判断に苦しみます。ただ球審はバッテリーの後ろからボールを見るので、軌道はわかるんです。だから「ボール球になるフォークをなぜプロの打者が振るのだろう?」とよく思っていました。

 しかし山本投手のフォークは、球審から見ても限りなくストレートに見えて、そこから落ちる。しかも落差が30センチほどもあって、球速もある。山本投手のストレートは155キロ超で、フォークは148キロぐらい。「こんな球、当たらないよ」というすごいレベルです。

 フォークといえば、"大魔神"佐々木主浩投手も忘れられません。佐々木投手のフォークは空振りをとるために低めにきてワンバウンドするのですが、山本投手はストライクを稼ぐために高めから落ちてくる。だから、落ち幅が大きいように感じるのかもしれないですね。


97年に15勝を挙げた田畑一也

カーブ/田畑一也(ダイエー、ヤクルト、近鉄、巨人)

 カーブなら、100勝100セーブをマークした広島の佐々岡真司投手が先発時代に投げていたタテにドロンと曲がる落差の大きい、俗に言う「ドロップ」が印象的です。巨人の桑田真澄投手のカーブも軌道が似ていて、打者を翻弄していました。

 ただ私が最も印象深いのは、ヤクルト時代の田畑一也投手のカーブです。なぜかというと、田畑投手がダイエーからヤクルトに移籍してきて、初めての巨人戦での登板でこんなことがあったからです。

 バッターは落合博満選手で、田畑投手のカーブが頭に当たると思ってもんどりうって避けたんです。引退後、落合選手は「死球を避けるために(神主打法と呼ばれた)あの打撃フォームになった」とインタビューで答えていました。三冠王を3度も獲得したわりに、通算死球数が63個と少ないのは、ボールへの反応が素早く、避け方もうまかったからです。

 その落合選手があれだけ避けたということは、「当たる」と判断したからでしょう。それほど田畑投手のカーブは曲がり幅も落差も大きかったわけです。当然、私は「ストライク!」とコールしました。その瞬間、捕手の古田敦也選手が「このカーブ、使えるぞ!」と興奮気味に声を上げていました。

 ダイエーの4年間で2勝しかできなかったドラフト10位の田畑投手が、1996年に12勝、97年に15勝と大飛躍を遂げました。あの落合選手がカーブにもんどりうったことは、田畑投手にとって意義深いワンシーンだったと思います。