富士通のノートパソコンは、小型化・薄型化・軽量化の面で市場をリードしてきた存在といえる。それらのエポックメイキングなノートパソコンの開発に深く関わってきたのが、2007年に富士通 経営執行役 パーソナルビジネス本部長に就任し、パソコン事業を率いたた五十嵐一浩氏だ。FMV BIBLO第1号機の開発に携わり、初代LOOXの生みの親としても知られる五十嵐氏に、富士通のパソコンが大きな成長を遂げた1990年代半ばから2000年代にかけての、富士通のノートパソコン開発に関するエピソードを聞いた。

五十嵐氏は、2009年にはドイツの富士通テクノロジー・ソリューションズにボードメンバーの一人として赴任。2010年には、富士通でストレージシステム事業本部長に就任した。2012年には、執行役員常務 ビジネスオペレーショングループ長を務め、2017年には富士通フロンテックの社長に就任している。

―― 五十嵐さんが富士通のパソコン事業に関わったのはいつからですか。

五十嵐氏:1991年にパソコン部門に異動し、構造設計を担当しました。同じタイミングで異動してきたのが、現FCCL(富士通クライアントコンピューティング)会長の齋藤さん(齋藤邦彰氏)で、彼は回路設計を担当していましたね。

1990年代半ばから2000年代にかけて、富士通にて個性的なノートパソコンやモバイルマシンを手がけた五十嵐一浩氏

最初はビジネス機のFMRシリーズにも関わりましたが、私が中心になって手がけたのが、1995年に発売したノートパソコン「FMV-BIBLO」シリーズの第1号機です。当時は、様々な分野から技術者が集まってきて、喧々諤々(けんけんごうごう)と議論をし、とにかく活気がありました。「俺はこうやりたい」といえば、別の技術者が「いや、俺はこっちのほうがいいと思う」という具合に、多くのアイデアが生まれ、それが製品に反映されました。

例えば、ノートパソコンにいち早くリチウムイオン電池を採用したのは富士通ですし、冷却にヒートパイプを使ったのも早かったですね。また、マルチベイという新たな仕組みも採用しました。マルチベイは富士通が特許を取得した技術です。用途に応じてFDD(フロッピーディスクドライブ)やバッテリーなど多彩なユニットを交換装着でき、どちらも外せば軽量化になります。マルチベイは持ち運んで使うことが多いB5サイズのノートパソコンに搭載して、長時間のバッテリー駆動を重視したい人は増設バッテリーを装着、持ち運びで軽さ優先の人は何も装着せずに利用すればいいというわけです。

1995年発売の「FMV-450NLS」(初代FMV-BIBLO)

五十嵐氏:富士通のパソコン事業は、1995年のWindows 95にあわせて、DESKPOWERおよびBIBLOのブランドを付け、コンシューマ市場への展開をより本格化することになりました。自分たちが開発したパソコンが量販店の店頭に並ぶことに、大きなワクワク感があったものです。さらに、ラインナップを拡張するだけでなく、春モデル、夏モデル、秋冬モデルという年3回のモデルチェンジという、これまでに経験をしたことがない開発にも挑みました。

大量生産の考え方を持ち込んだのもこのときが初めてです。それによって、部品の購買方法や生産方法も大きく変化し、サプライチェーンを大きく見直した時期でもあります。開発部門だけでなく、パソコン事業に関わるすべての人たちが新たなことに挑戦し、どこを見回しても活気にあふれていましたね。

―― BIBLOシリーズの開発では、どんな点に苦労しましたか。

五十嵐氏:すべてにおいて苦労したという感じでしたね(笑)。先に触れたように、大量生産に最適化した開発の仕方がわかりませんし、台湾のODMでデスクトップパソコンは生産していても、ノートパソコンは作っていない時期でしたから、すべてを自前で設計、開発、生産することが前提でした。

話は少しそれますが、実は2000年ごろに、コンパル・エレクトロニクスやクアンタ・コンピュータといった台湾ODMがノートパソコンの開発、生産を始めました。一度使ってみようという話になったのですが、富士通が難しいことばかり注文するので(笑)、品質が追いつかなかったり、結果としてコストメリットがなかったりと、最終的には自分たちで作ることにしました。

当時は様々なチップセットやグラフィックスボードが登場してきた時期で、それらの評価にも追いまくられました。新しいものが登場するとすぐに評価し、いいものがあれば採用し、次に出てきたものをまた評価するということの繰り返しでした。技術進化の激しさを象徴するような出来事でしたが、品質や性能がバラバラでしたから、評価もかなり苦労しました。その点では、富士通は一番風呂に積極的に入るのですが、そのぶんかなり熱い目にあったこともありましたね(笑)。ここは私よりも齋藤さんが苦労した部分です。

現FCCL(富士通クライアントコンピューティング)会長の齋藤邦彰氏

五十嵐氏:ノートパソコンの開発においては、CPUの放熱設計がキモだったタイミングでもありました。ノートパソコンにファンを使うという発想がない時代です。ノートパソコンに搭載できるような小型ファンそのものがありませんでしたし、ファンを搭載すれば消費電力が増えますから、ノートパソコンにファンは適さないと考えられていたのです。

あるとき、富士通の親会社である古河電工に、ヒートパイプという技術があることを知り、それを使ってみようという話になりました。当時のマザーボードは小型化が難しく、むしろ性能向上によって部品が収まらなくなるとさえ言われていました。しかもCPUの発熱は増加傾向にあり、それを回避するためにマザーボードとキーボードの間に、放熱板を設置しなければならないという状況でした。ここに、CPUの熱を逃せるヒートパイプを利用しようと考えたのです。

排出した熱がキーボードの一部に集中しないよう均等に熱を放出する必要があり、広くヒートパイプをはわせないといけません。そこでマザーボードの部品レイアウトを巡って回路設計と構造設計が議論を戦わせるわけです。

構造設計が「ヒートパイプを通すから、この部品をどかしてくれ」というと、回路設計が「この部品をここからどかすとノイズが発生するから無理だ」ということになります。マザーボード上には1,500個以上の部品が意図を持って配置されていますから、簡単に変更できるわけではありません。それをひとつひとつ議論をしていくのです。

でもお互いに譲らないものだから、あげくの果てには「もうやってられない!」ということになり(笑)、そこに山本さん(山本正已氏、のちの富士通社長、会長)が仲裁に入るという具合でした。古河電工のヒートパイプは丸い形状でしたが、薄型が求められるノートパソコンのために、現在でも利用されている平らなヒートパイプを作ってもらうこともやりました。このヒートパイプはB5サイズのBIBILO NLシリーズで採用しています。

1995年発売「FMV-BIBLO(450NL)」

五十嵐氏:その後はビルドアップ基板が登場して部品の小型化などが進み、マザーボードのサイズが大幅に小さくなり、ヒートパイプを通す場所が得られたり、冷やすための場所が作れたりといったことで、放熱設計における課題解決はずいぶん楽になりました。また、マザーボードの小型化によって、マザーボードの下にハードディスクなどを配置することがなくなり、平行に並べられるようになって薄型化にも貢献しています。

このとき私は、マザーボードを半分にするという目標を掲げ、現場の開発者からはずいぶん嫌がられたものです。個人的にはここでマザーボードのサイズを半分にできたことが、富士通のノートパソコン事業にとってエポックメイキングな出来事だったと思っています。モバイルノートには「トルプル8」と呼ぶ、重量800g、バッテリー駆動8時間、薄さ18mmという目標があり、それを目指して開発していましたが、それがグッと引き寄せられました。

―― 五十嵐さんといえば、やはりLOOXです。LOOXの開発にはどんな姿勢で取り組んだのですか?

五十嵐氏:2000年9月に発売した初代LOOXは、その1年前から開発をスタートしています。そのとき、モバイルパソコンを富士通のパソコン事業にとって柱にしたいという思いがありました。

2000年に登場した初代LOOX(FMV-BIBLO LOOX S7/60W)は、この時代ですでに通信回線機能を内蔵していた

五十嵐氏:一方で、1990年代後半は富士通の携帯電話部門が成長を遂げていた時期でもあり、携帯電話の開発チームにパソコンの開発者が異動するといった関係もありました。あるとき担当役員から、パソコンと携帯電話の技術をコラボレーションできないかという話が出て、私は、安易に「そうですね」と答えてしまったんです(笑)。それがLOOXの始まりです。

LOOXは小型化したパソコンを作るという狙いで始まったものではなく、携帯電話の通信技術を活用して、どこでもインターネット接続が可能なワイヤレスパソコンを作ろうということから始まった製品なのです。ただ、携帯電話会社に話をしても、まったく興味を示してもらえませんでした。

最終的には、PHS網の新たな利用を模索していた当時のDDIポケットと連携して、「H" LINK(エッジリンク)」を内蔵することにしました。PHSモジュールは省電力かつ、通信方式としても省電力化に貢献する仕組みであり、パソコンに搭載するには最適であることがわかりました。

初代LOOXが搭載していた通信回線は、当時のDDIポケットが提供してたPHS通信「H"IN(エッジイン)」」

五十嵐氏:また、CPUにトランスメタのCrusoe(クルーソー)を採用したことも省電力化に貢献しました。海外の説明会でCrusoeの仕様を聞き、いくつかのメーカーが採用する動きを見せるなかで、省電力を重視したLOOXの開発に取りかかっていた富士通が一番に採用できるのではないかという思惑も働きました。画像を扱うような使い方にはCPUパワーが低かったのですが、WordやExcelなどには十分な性能で、私もLOOKはずいぶんと仕事に使ったものです。

話が戻りますが、PHSならではの課題にも直面しました。ひとつは、実地での接続テストが必要だった点です。無線LAN(Wi-Fi)は一定の接続試験だけで済むのですが、PHSは電車で移動しているときにハンドオーバー(編注:基地局の切り替え)がしっかりできることを確認しなければなりませんでした。私鉄に乗ってテストしたり、接続しにくい場所まで直接出向いて検証したりといった試験が必要なのです。

そんなことはまったく知りませんでしたから、慌てて約50台の試作機を用意して、開発者だけでなく秘書を含めた様々な部門の社員、新人からベテランまでを動員して、各地で接続試験を行いました。数人で鉄道に乗り込み、複数の路線で始発駅と終着駅を何往復もするテストをしたり、ミニバンの車を借りて離れた場所まで試験に出かけたり、ということが何度もありました。

最初はソフトウェアの問題もあって、なかなかうまくハンドオーバーしません。試作機を改良してまた現地でテスト――。これを何度も繰り返しました。テストのたびに、使用する回線番号を申請しなくてはなりませんし、このテストは想定以上に工数がかかりましたね。

FMV-BIBLO LOOX S7/60Wは、幅243×奥行き151mm、約980gという小型軽量を実現していた

五十嵐氏:製品としての見通しが立ったあとは、量販店でLOOXを購入してもらうときに回線契約をどうするかという点も課題でした。現在は量販店で携帯電話やスマートフォンを回線契約できますが、当時はそうした窓口がなかったのです。どこで契約するのか。PHSの回線契約には身分証明書が必要でしたから、パソコンを買うのに身分証明書を持ってきてくれるのかといった課題もありました。「このままでは売れない」と気付いたのはLOOXが完成してからのことです(笑)。慌ててDDIポケットに相談しました。

最終的には、購入時点では回線契約をせず自宅に持ち帰り、帰宅後に自宅からインターネットにつながる仕組みになりました。Web上で回線契約の手続きを行い、さらに必要書類を郵送してDDIポケットが確認後、書類が返送されて回線が開通するというスキームを特別に用意してくれました。契約時に限定するとはいえ、回線契約をしていないのにPHS通信ができるのは異例中の異例。これは電波法の問題や不正利用が起きないように配慮しながら実現したもので、DDIポケットだからこそ可能だった方法です。

そうした苦労の成果もあって、初代LOOXは2001年の日経優秀製品・サービス賞を受賞するなど、市場からも高い評価を得ることができました。

―― 初代LOOXはユニークなデザインも目を引きます。

五十嵐氏:デザイナーの提案によって、新しいコンセプトにあわせて斬新なデザインを採用しました。前方向と左右にウェーブがあり、全体を取り囲むように帯のようなデザインを施しています。富士通のロゴ(インフィニティマーク)を天板部に浮き立たせるように大きくデザインしているのですが、当時の技術ではこれを実現するのが難しく、ずいぶん苦労したことを覚えています。

本体は金属として質感を高めつつ、アンテナ部分はプラスチックにして感度を高める工夫をしたり、飛行機に乗るとき通信を切れるようにスイッチを配置したり。2代目LOOXでは、アンテナなどのプラスチック部分を透明にして、接続しているとランプが光るようにする工夫も凝らしました。

初代LOOX(FMV-BIBLO LOOX S7/60W)の本体は曲線を用いたデザイン

初代LOOX(FMV-BIBLO LOOX S7/60W)のキーボード面

こちらは2002年発売の2代目LOOX(FMV-BIBLO LOOX S73AW)

2代目LOOX(FMV-BIBLO LOOX S73AW)では、PHS通信モジュール「AirH"(エアーエッジ)」のアンテナ感度を高める工夫

―― 当時のLOOXは、正式名を「FMV BIBLO LOOX」としていました。ノートパソコンのブランドであるBIBLOのひとつという位置づけでしたが、ここから独立させる考えはあったのでしょうか。ちなみに、FCCL(富士通クライアントコンピューティング)では、40周年記念モデルとして、2022年6月にFMV LOOXを発売します。LIFEBOOKブランドから独立させています。

五十嵐氏:当時、山本さんからは、そういう考えがあることを聞いていました。BIBLOブランド以外にも、LOOXというブランドを独立した形で作り、モバイルパソコンにおいて確固たる地位を築きたいという狙いがありました。ただ、欧州ではこのブランドがすでに使われており、海外向けはLIFEBOOKとして展開しました。

2022年6月発売の「LOOX」は13.3型2in1タイプになった。本体(タブレット)のみの重さは599g

―― LOOXシリーズの経験は、その後どう生かされましたか。

五十嵐氏:パソコンにワイヤレス通信機能を搭載したときの、ノイズ制御のノウハウは数多く蓄積できました。小型化も同様です。これらの経験は、その後の様々なノートパソコンの開発に生かされています。

例えば2007年に発売した初代LOOX Uでは、LOOXシリーズの進化として、約580gの超軽量ボディに5.6型ワイドスーパーファイン液晶を搭載しました。幅171×奥行き133mm×高さ26.5〜32.0mmという手のひらサイズの本体で、フルスペックのWindowsが動作する世界最小のパソコンです。

2007年発売の「LOOX U」

五十嵐氏:2006年には、超軽量・超薄型モバイルノートを目指したFMV-LIFEBOOK Qシリーズを発売しています。これはドイツのFujitsu Siemens Computersが提案し、欧州市場向けに開発したもので、薄さという点で尖ったパソコンを目指しました。12.1型ワイド液晶を搭載しながらマグネシウム合金の本体にしたり、ヒンジ部にチタンを採用したりすることで、軽さ約985g、薄さ18.2mmを実現しています。

欧州市場向けには、3G携帯電話に対応したUMTS(Universal Mobile Telecommunications System)通信カードも搭載し、初代LOOXで目指したワイヤレスパソコンとして進化を遂げました。価格は30万円前後と、当時としては高価。エグゼクティブ向けモバイルパソコンと位置づけて販売しました。

LOOX UとLIFEBOOK Q によって、小型化と薄型化のそれぞれに尖ったものを作り上げ、富士通の圧倒的な強みを訴求しました。軽量化を目指したLIFEBOOK Qシリーズは現在、FCCLの世界最軽量を誇るLIFEBOOK UH-Xにつながっている製品ではないでしょうか。

2006年発売の「FMV-LIFEBOOK Q」シリーズ

―― 五十嵐さんがパーソナルビジネス本部長として、パソコン事業を統括しているときには、ユニークなパソコンが数多く登場していた印象があります。具体的には、世界初の二方向ヒンジタブレットPCやAV機能に特化したFMV-TEOのほか、水冷システムのノートパソコン、セカンドディスプレイであるタッチスクエアを搭載したノートパソコン、高齢者向けのらくらくパソコンなどです。当時、開発チームにはどんなことを言っていたのでしょうか。

五十嵐氏:開発者には「なにかしらでナンバーワンが取れる製品を目指してほしい」と言っていました。VAIO、東芝、NECなど、日本のパソコンメーカーが元気な時代でしたから、一番と胸を張れるものがないとすぐに埋もれてしまう危機感がありましたね。

欧米やアジアでビジネスをするときも、尖ったものを作っていることが他社との差別化で武器になっていました。お客さまの声を聞いて製品化することも大切ですが、年に1回くらいは、自分たちが先を行き過ぎるようなものを作ってもいいと思っています。

もちろん、尖ったものが売れ筋モデルになることは稀です(笑)。売れ筋モデルは売れ筋モデルとしてしっかり作り、尖ったものを作っている富士通のパソコンなら購入したいと思ってもらい、全体の売れ行きにも貢献する構造を作ることが大切です。



五十嵐氏:富士通のパソコン部門には、いいものを作りたいという熱意を持った開発者が多いですから、チップメーカーやチップセットメーカーからサンプルが届くと徹底的に解析して、改善点を指摘するなど必要以上に協力するんですよ(笑)。しかし、そうした開発者の熱い気持ちが、富士通パソコンのモノづくりの姿勢につながっています。

2007年以降はパソコンが成熟化しはじめ、富士通のパソコンはどこに行くべきかと議論していた時期でもありました。常に驚きを与え、使いたいと思ってもらい、所有したいと思ってもらえるパソコンを作り続ける開発姿勢は、過去も現在も変わらない富士通パソコンの基本部分だと思っています。そして、ユニークなものを作るには、自分たちで作れる体制がなくてはいけません。開発、生産、販売のリソースを日本に自前で持つ富士通パソコンの強みはいまも変わらず、こうした姿勢が続いているのはとても心強いことです。