「あんなに優しかったのに、一体どうして?」

交際4年目の彼氏に突然浮気された、高野瀬 柚(28)。

失意の底に沈んだ彼女には、ある切り札があった。

彼女の親友は、誰もが振り向くようなイケメンなのだ。

「お願い。あなたの魅力で、あの女を落としてきてくれない?」

どうしても彼氏を取り戻したい。柚の願いは、叶うのか──。



「ねえ見て。あの人、芸能人かな?」

「うわ…めっちゃかっこいい」

「絶対一般人じゃないよ。オーラがすごいもん」

銀座中央通り、土曜20時すぎ。

高野瀬 柚(28)がタクシーに乗り込もうとしていると、通りすがった女子大生たちがコソコソと耳打ちしあうのが聞こえた。

― まただ。

柚は、小さく笑った。

「オーラがすごい」と言われているのは、柚ではない。隣に立っている高校時代からの親友・東山創だ。

創は芸能人ではないものの、目を引く綺麗な顔立ちにスラリとした高身長の持ち主だ。高校時代からどこにいっても視線を集め、常に女子からチヤホヤされていた。

「創、相変わらずの人気ね」

後部座席の隣のシートに創が腰掛けると、嗅ぎ慣れたブルガリの香水がふわりと鼻をかすめる。

「そうだね。そんなことより柚、大丈夫?手が震えてる」

「ほんとだ…」

動き出したタクシーの中で柚は、小刻みに震える自分の指先を見つめた。

「なんか、力が入らなくなっちゃった。…ショックだったからかな」

「そりゃそうだよな」

創は大きな目に憐れみを浮かべ、泣きそうな顔で微笑んだ。創の背後の車窓に、きらびやかな銀座の街が映っては流れ去っていく。

柚はたった今、彼氏の賢也から裏切られたところだ。

そんな自分が哀れで、気を抜いたら泣いてしまいそうだった。

「ああ。私、賢也のこと、こんなに好きなのにな」

震える声でつぶやくと、創は何も言わずに紺色のシルクハンカチを差し出した。

「…ありがとう」

そのとき柚は、ふとあることを思いついた。

「そうだ。ねえ、変なお願いをしてもいい?」


柚の突飛な「お願い」とは?


「お願いって?」

首を傾げた創に、柚は少し迷いながらも言った。

「賢也の浮気相手を口説いて、落としてみてくれないかな?」

創は目をしばしばさせて、「え?」と言った。

「突拍子もないことを言ってるのは、わかる。でも創が誘ったら、きっとあの人はすぐに賢也への興味をなくすと思うの。そしたら賢也は、泣く泣くでも私のところに戻ってくるわ…」

「…それ、柚は幸せなの?」

「なんでもいいの。賢也を失いたくない」

どんな手を使ってでも、賢也との未来が欲しい。その気持ちだけが、柚の心に溢れていた。




最初に賢也に疑いを抱いたのは、4日前のこと。

その日、柚はいつものように、リモートワークを終えてキッチンに立っていた。

鶏肉にきつね色の焼き目がついたのを確認し、鍋に牛乳をそっと注ぎ込む。食欲をそそる香りを感じながら、すがるように願った。

― 今日は、早く帰ってきてくれるといいんだけど。

付き合って丸3年、同棲して丸1年の賢也は、最近とても忙しそうなのだ。2ヶ月前から、かなりの頻度でこんなLINEが来るようになった。

『ごめん、今日も遅くなる』

連絡が来るのは決まって19時前。その場合、帰りは0時を回る。そんなことが週に2、3回あるのだ。

― 賢也、お仕事頑張ってるんだなあ。

大手総合商社勤務の賢也は、責任感が強い性格だ。きっと会社でも頼りにされる存在なのだろう。

だからこそ、家では賢也を労ってあげたい。その一心で、柚は料理をはじめ家事全般に精を出してきた。

とはいえ柚も、賢也の比ではないものの多忙だ。大手化粧品メーカーのマーケティング職で、チームリーダーを務めている。

― もし1人暮らしだったら、平日のお夕食くらい適当に買って済ましてもいいんだけど…。

それでも、熱心に働く賢也に美味しいものを食べてほしいという気持ちが、疲れた柚を張り切らせるのだった。

目の前の鍋の中でコトコトと煮込まれているのは、シュクメルリだ。先週末に賢也と一緒に見たテレビ番組で、レシピが紹介されていた。

「これ美味しそうね。今度作ってあげる」。テレビの前でそう言ったら、賢也は「いいね」と笑ってくれたのだ。

― よーし、できた!いい感じ!しかも賢也の好きな味!

味見をして微笑んだそのとき、柚のスマホが鳴り、賢也からのLINEメッセージをホーム画面に表示した。

『ごめん、今日も遅くなる』


疑いを持ち始める柚。彼女のとった行動とは?


― …またか。

『わかった。夕食は?』

『不要』

柚は一人、肩を落とした。

こんなふうに食事の用意がムダになることが、ここ2ヶ月続いている。

本当は、嫌味のひとつでも言いたい。連絡をしてくれるだけいいが、もっと早い時間にわからないのか。しかしそれでも賢也を労いたい気持ちが上回り、明るく返事をするのだった。

『そっか!例のシュクメルリ作ってみたの。明日食べてね!』

かわいい猫のスタンプと共に送ると、賢也から返信が来る。

『しゅくめるり?なんだっけ』

『ほら、週末テレビで見たやつ!』

『そうだっけ』

そっけない返信に、柚のワクワクした気持ちは一気に冷めてしまった。

― …賢也、最近どうしたんだろう。お仕事が大変なのはわかるけど、冷たすぎる。

「私、なんかしちゃったのかな」

コンロの火を止め、リビングのソファに寝転ぶと、やるせない気持ちでいっぱいのままInstagramを開いた。




「あ…いいなあ」

指輪と婚姻届の写真。「#さっそく式場見学予約」のハッシュタグ。同じマーケティング職で活躍している、後輩の投稿だ。

― いいなあ。私も、賢也と式場探ししたいなあ…。

交際4年目になっても、賢也は結婚について何も言ってくれない。そのことに柚は、ひそかに不安を募らせていた。

しかし、不安になるたびに自分に言い聞かせるのだ。

「仕事が大事な時期っていうのもあるもんね。28歳なんて、特に正念場よ」

しかしそのとき、柚はふと自問した。

― 最近忙しそうなのって、ほんとに仕事が理由なのかな?

賢也はこれまでだって、大きなプロジェクトを任されたり、海外を飛び回ったりしていた時期が何度もあった。

それでも、どんなに忙しい時期も短い電話をこまめにくれたし、会話の内容もしっかり覚えていてくれた。

「……もしかして、浮気だったりして」

これまでは、なんの疑いもなく仕事が理由で遅くなるのだと信じていた。賢也が女関係で自分を裏切ることがあるなんて、まったく想像ができなかったのだ。

しかし、一度疑いの気持ちを持ってしまうと、その感情はなかなか晴れない。

まっすぐ信じる気持ちに、突如暗い影が落ちた。



0時すぎ。

賢也がようやく帰ってきた。

「ただいまー」

賢也はそっけなくそう言っただけで、すぐにお風呂に入ってしまった。今日はなんと、浴室にまでスマホを持ち込んでいる。

柚はそっと立ち上がり、賢也の部屋のドアノブに手をかけた。

― ごめん、賢也。こんなことしたくないんだけど、許して。…私はとにかく安心したいだけなの。

心の中で繰り返し詫びながら、賢也の仕事用のカバンのチャックを開け、茶色い革の手帳をそっと取り出す。

賢也は、予定をアナログで管理する人間なのだ。怪しいことがあるとすればきっと手帳にも書いてあるだろう。

「えーっと」

5月のページを開いた、そのとき。

強烈な違和感を放つある文言が、柚の目に飛び込んできた。

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賢也の手帳の中に見つけた、浮気の証拠。