Googleのトップページのロゴは、毎日、さまざまなデコレーションがされている。なぜそんなことをするのか。脳科学者の茂木健一郎氏は「あれはdoodle(落書き)だ。シンプルにロゴだけでふざけているのが、グーグルの見識の深さであり、哲学であり、プライドなのだろう」という――。

※本稿は、茂木健一郎『緊張を味方につける脳科学』(河出新書)の一部を再編集したものです。

写真=iStock.com/Prykhodov
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Prykhodov

■誰も予想していなかった幕尻力士の初優勝

2020年の大相撲初場所で優勝したのは、驚くべきことに、幕尻力士、徳勝龍関でした。

思ってもみない人が、あるとき突然「化ける」ことがあります。

この場所で徳勝龍関は、ほとんどぎりぎりまで追い詰められながら突き落としで勝つなど、なんでこんな勝ち方ができるのだろうと目を見張る勝ち方を毎日続けました。

このような神がかり的状態は、どのような脳状態なのか、私は非常に興味があります。こうした例は、人間は誰でも突然変わることができるという証明であり、私たちの潜在能力について、大切な示唆を与えてくれているように思うのです。

本番では緊張により思ってもみないようなことが起こるのです。

では人間が大きな成功を収める瞬間、人間が大変貌を遂げる瞬間を見て、人間が変わるときはどんなときなのかを、脳科学の見地から考えていきましょう。

■追い詰められると脳の抑制が外れる

動物では、弱いものほど、追い詰められたときに致死的な攻撃をすると言われています。動物も、火事場の馬鹿力を発揮することがあるのです。

攻撃力が高い動物は、一撃がどのような結果をもたらすかわかっているので、まず威嚇だけをして、自分と相手の能力を測り、事を収めようとします。

一方、弱い動物は、強い動物に襲われるとどうせ死ぬしかないと思うのか、全ての抑制を外し、全力で戦うのです。

追い詰められて、脳が脱抑制した状態が、動物の火事場の馬鹿力のもとと言えそうです。小さな動物にしてみれば、「戦ってやろう」「力を見せつけてやろう」ではなくて、本当に追い詰められて、体当たりするしかない状態なのです。

人間でも、「こうでなければならない」という意識的な抑制を外して、無意識が全力で働くようになったときに、大きな力を発揮することがあるのです。

■スポーツも芸術もビジネスも、リラックス状態が大事

私の友人である骨董の目利き白洲信哉さんは、「現代の焼き物は、作家性が出過ぎているから、面白くない」とよく言います。

茶碗でも、皿でも、ぐい呑みでも、展覧会に出そうという芸術作品には、必ず作者名が付いています。各作家は、他の人には真似のできないことをしてやろうと腕を競って、「どうだ、良いものができたぞ」と出してくるわけです。

しかし骨董の世界では、例えば、今日本の国宝になっている井戸茶碗は、朝鮮で李朝時代(1392〜1897)の人々が日用品として、自分たちが使うために何の気なしに焼いたものを、「これはいいな」と思った人が日本に持ってきて、「これと同じものは二つとない」と感じた人が受け継いで、大切に人の手から手へと渡ってきたものです。

「芸術作品を作るぞ」と作家が気負って、「どうだ」と出すものでなく、使い勝手だけを一生懸命に考えた、無私で無名の作品を、最高のものとするところがあるのです。

スポーツでも、芸術でも、ビジネスでも、リラックスしていることが大事です。

「どういうことが価値があるのか」などと意味を考えて意識してしまうと、力が入って、最高のパフォーマンスが発揮できないことがあります。

写真=iStock.com/Chinnapong
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Chinnapong

■グーグルのトップページに見る無意識の哲学

つまり意外なことに、「こうしてやろう」という意識、「がんばり」「やる気」などなくした無意識のところに、潜在能力を発揮するチャンスが出てくるのです。

グーグルのトップページを思い浮かべてみてください。

真ん中に一つ検索窓があり、「Google」という文字が毎日楽しくデコレーションされています。そのことからわかるのは、いかにグーグルが、力を入れないいたずら、落書き(doodle)を重要視しているかということです。

グーグルがもし広告収入を重要視していたら、検索窓の横に大量の広告を貼るのが手っ取り早いでしょう。実際、他の検索エンジンは、検索窓の他にたくさんの広告がトップページに貼られてごちゃごちゃしています。しかしグーグルのトップページには、窓とロゴへのシンプルな落書きしかないのです。

それはグーグルの見識の深さであり、哲学であり、プライドだと私は考えています。

■長電話中の落書きは、脳科学的に創造的な営みだ

脳科学的に、落書きはとても創造的な営みであることがわかっています。

誰かと長電話しているときに、相手の話がずっと続いて「そうか」「そうか」と生返事をくり返しているようなときに、私たちは手元で落書きをします。話を押しつけられて苦痛に感じているようなとき、私たちは落書きによって、その場から逃れている。自分の無意識を自由にしているのです。

「これをやらねばならない」「すごいものを作らねばならない」と自分でプレッシャーを感じているようなときも、とにかく手を動かしてしまう。落書きからはじめてしまうと、すっと課題に入り込めることがあります。

意識的にやろうとしても、止まってしまうだけで動けなかったのが、落書きしていると自然に動いてくる。追い詰められて「やる気」などなくしても、とにかく意味なく動いてしまうことで、意識のコントロールから、無意識を解放させることができるのです。

落書きのような無駄に見える遊びによって、人は自由になってIT技術革新を起こすのであって、既成概念に囚われて自分たちは不自由になったりしないのだ、力が入って縮こまったりせず、どんなときも楽しんでいることが大事なのだ、というメッセージが、グーグルのトップページです。一人の人間の大変身の秘訣もそこにあるのかもしれません。

写真=iStock.com/RgStudio
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/RgStudio

■ビギナーズ・ラック=「地道な努力+天真爛漫」

1992年バルセロナオリンピックの競泳女子200メートル平泳ぎで、岩崎恭子さんが14歳で初めてオリンピックに出て、史上最年少でいきなり金メダルを獲得しました。

レース後の彼女の言葉「今まで生きてきた中で一番幸せです」は、いまだに大勢の人の記憶に強く残っています。

最近では、ゴルフの最も権威あるトーナメント、全英女子オープンで2019年、渋野日向子さんが彗星の如く現れて、日本人としては42年ぶりにメジャー優勝を果たしました。あり得ないことを成し遂げているのに、ケロッとしている姿が印象的でした。

オリンピックや全英オープンなどの大きな舞台で、実際そのようなことはときどき起きてきました。

では、思ってもみない人が思ってもみない成績を収めるとき何が起こっているのか。

全員に共通していることの一つは、力が抜けているということです。

新人がいきなり大きな成果を出す「ビギナーズ・ラック」もよく知られています。

ゲームのルールがよくわかっていなくて、今この場所この場面の重要性がわかっていない。だから気負わずにプレーができて、勝ち抜けてしまう。しかし続けていって、一つひとつの意味がわかってくると、それが重荷になって、慎重になり勝てなくなってしまう。

初めてを楽しんで、天真爛漫にやっている人が、大変貌する可能性が高いのです。ビギナーズ・ラックは、「地道な努力+天真爛漫」と言えるでしょう。

■努力を続けていれば、あるとき突然結果が現れる

英語の学習などでも、本人はものすごく努力をしているのに、テストの点数が全く良くならない、全く話せるようにならない、という時期があることが知られています。

茂木健一郎『緊張を味方につける脳科学』(河出新書)

この時期は「サイレント・ピリオド」と呼ばれていますが、これを過ぎるとあるとき突然英語が話せるようになるのです。見えないところで変化は続いていて、それが突然閾値を超えて現れてくるのです。

何も変化していないように見えても、地道な努力をしていれば脳の中は着実に変化していきます。結果はあるとき突然現れる。そのときに、科学的にはまだ説明できない、いわゆる「ビギナーズ・ラック」や「化ける」という現象が起こり得るのです。

今は「意識」に対する信頼がとても大きな時代です。

見えるものだけが全てとされ、結果をすぐに求められる。それでは地道な脳の変化など起こしていられません。

意識への妙な信頼のせいで、無意識が抑えつけられてしまう。そのことが私たちの潜在能力を呼び起こす阻害要因となってしまうこともあるのです。

----------
茂木 健一郎(もぎ・けんいちろう)
脳科学者
1962年東京都生まれ。ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。東京大学理学部、法学部を卒業後、同大学院理学系研究科物理学専攻課程を修了。博士(理学)。「クオリア(意識における主観的な質感)」をキーワードとして、脳と心の関係を探求し続けている。『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞受賞、『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞受賞。
----------

(脳科学者 茂木 健一郎)