死人に口なし!?平安時代にもあった悪質な架空請求事件に痛感する世の不条理

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古来「死人に口なし」とはよく言ったもので、故人が反論できないのをいいことに、遺族に好き放題な要求を突きつける輩は後を絶ちません。

そんな手口は昔から横行していたようで、今回は平安時代の古文書から、実際にあった架空請求事件を紹介したいと思います。

「証拠はないけど、とにかく返せ!」理不尽きわまる要求に……

時は長徳3年(997年)5月20日、内蔵貴子(くらの たかこ)という女性が検非違使庁(けびいしちょう。警察機関)に一通の告発状を提出しました。

それによると、彼女の夫である物部茂興(もののべの しげおき)が亡くなった際、丹後掾(たんごのじょう。国司の補佐官)である秦兼信(はたの かねのぶ)が彼女の実家に押しかけ、老母と弟の覚珍(かくちん。僧侶)に法外な要求を突きつけたといいます。

兼信は2.5石もの米を貸したというが……。

「わしは数年前、茂興に2石5斗(2.5石)の米を貸したのじゃ。本人が死んだ以上、その遺族であるお前らに、利息を含めた25石を返してもらおうじゃねぇか!」

兼信の要求を聞いて、二人はたいそう驚きました。茂興がそんな借財をしていたなんて話は聞いていなかったからです。

「おうおう!米25石さっさと返せ!さもなけりゃ家屋敷から何もかも失うことになるぞ!」

一気にまくしたてる兼信に、老母はただうろたえるばかりでしたが、覚珍はさすが出家者とあってあくまでも冷静な態度で臨みます。

「ちょっと待って下さい。義兄が生活に困窮していた様子はなく、そのような借財を本当にしたのか、にわかに信じがたいところです。まずは義兄が借財をしたという証文を確認させて下さい」

ごく当然の対応ですが、兼信はこれに応じず逆ギレします。

「うるせぇ!部外者のてめぇにそんなモン見せる必要はねぇ!いいからさっさと米25石を返すか、今すぐ家屋敷を明け渡しやがれ!」

借財は返せ、でも証文は見せない……根拠のない言いがかりであることは明らかです。それなら、と覚珍は返答しました。

「私どもは部外者なのですね?ならば、返済を求めるのは筋違いと言うもの。もし茂興殿の借財が事実であるなら、まずはその妻である姉のところへ参られては?」

普通ならこれで完全論破……な筈なのですが、元から無理筋であることなど百も承知で来ている兼信は完全に開き直ります。

「ぐぬぬ……黙れ黙れ黙れ!大人しく従えば命だけは助けてやったものを……おぃ野郎ども、やっちまえ!」

「「「おぅ!」」」

覚珍らの全財産を奪い去る兼信一味。

ドカッ、バキッ、グシャ……兼信は手下どもに命じて老母と覚珍を家から叩き出し、家屋や土地の権利書をはじめ、全財産を奪い取ってしまったのでした。

兼信の違法行為は明らか。だが……

……以上は「三条家本北山抄裏文書(さんじょうけぼん ほくざんしょううらもんじょ)」の一つ「内蔵貴子解(くらの たかこげ)」の概略です。

裏文書(うらもんじょ)とは現代で言うウラ紙(リサイクル使用)のことで、当時は紙が絹よりも高価だったため、書類のウラも有効に活用しました。

また解(げ)とは目下の者が目上の者に差し出す文書全般を指し、解状(げじょう)や解文(げぶみ)などとも呼ばれます。

当時、検非違使庁に寄せられた数多くの書類が、保存期限を過ぎて処分される際に紙がもったいないからとウラ紙に再利用され、今回はそれが検非違使別当(長官)である藤原公任(ふじわらの きんとう)の手に渡って儀式礼法書『北山集』が書かれたことで、事件が現代に伝わったのでした。

月岡芳年「月百姿」より、藤原公任。彼は貴子の訴えを、どのように裁いたのか。

さて、貴子の訴えがその後どうなったかについては、残念ながら記録が破棄されてしまったので不明ですが、兼信の要求が違法であることは明らかです。

時を遡ること200年以上前の宝亀10年(779)年、時の光仁(こうにん。第49代)天皇がこのような勅命を発せられています。

「一倍を過ぐるの利を以て得ざれ」

【意訳】貸した元本の100%を超える利息を得てはならない。

つまり、もし本当に兼信が茂興に2.5石の米を貸していたのだとしても、そしてどれほど歳月が流れていたとしても、要求してよい利息の上限は2.5石、元本と合わせて5石までということになります。

※ちなみに、元本の返済が終わるまで際限なく利息が膨れ上がってしまう鬼畜な融資条件を行政が公認するようになるのは、実に江戸時代以降のことでした。

「じゃあ、兼信の要求は明らかに違法なのだから、貴子の全面勝訴でしょ?」

と思いたいところですが、いかんせん兼信は地域の有力者でしたから周囲の者も忖度してしまい、兼信の要求を丸ごとは受け容れられないとしても、何がしかの形で「手打ち」をさせた可能性も十分に考えられます。

今も昔も、なかなか正義が通らない世の不条理を痛感させられますが、せめて藤原公任が公正な裁きを下していて欲しいと願うばかりです。

※参考文献:
繁田真一『平安朝の事件簿 王朝びとの殺人・強盗・汚職』文藝春秋、2020年10月