タクシードライバーになった元社長が語りかけることとは?(写真;bee / PIXTA)

「もうかれこれ20年以上になるが、新卒で就職した会社を1年半で辞めてから、一貫して金がない」

これは、ノンフィクションライター・山田清機氏による『東京タクシードライバー』(朝日文庫・第13回新潮ドキュメント賞候補作)の書き出しだ。コロナ禍において、収入が著しく減じた人も多い。タクシードライバー、そして、ライターも例にもれない。しかし、筆者である山田氏は人生一貫して金がないのだ。

そんな彼がタクシードライバーに惹かれ、彼らを取材し描き出した人生模様は、読むと少し勇気をもらえる作品となった。『東京タクシードライバー』から、一部を抜粋・再構成して紹介する。

もしも人生というタイトルのメニューの中に、幸福のリストと不幸のリストが載っているとしたら、私はそのふたつのリストのうち、相当な数を味わったのではないかと思う。もちろん不幸のリストだけでなく、幸福のリストもだ。

私は食い詰めたときに、靴屋、植木屋、椅子の据え付け工事といろいろな工事をやった。工事現場でもののように扱われたときには、これが人生の底辺かと思ったこともあったし、靴屋の社長から娘をもらってくれと暗に迫られたこともあった。もしもあのとき「はい」と返事していたら、私はいま頃、小さな靴店の跡取りになっていたかもしれない。

こういう人生を波乱の多い人生だとか、浮沈の激しい人生だとか呼ぶのかもしれないが、もしそういう人生を送ってこなかったら、私はタクシードライバーの話に興味を持つ人間にはならなかったかもしれない。

離婚し、親権を取られ、財産を失ったあのとき

あれはたしか、離婚をして、親権を取られて、子供だけでなくわずかばかりあった財産まですべて失ってしまった後の、師走のことだった。

子供と別離するストレスは想像していたよりもはるかに激しいもので、私は毎晩のように悪夢を見た。暗闇の向こうから、子供がこちらに向かって走ってきて両手で私を突き飛ばす。そうかと思うと、まだ幼いはずの子供が見る見るうちに成長して中学生ぐらいになって、「てめえのせいで、こんな人生になっちまった」と私に向かって悪態をつく。自分の叫び声で目を覚ますと、いつも枕が濡れるほど汗をかいていた。

そんな日々が、半年以上も続いた。日中眠くて仕方ないので睡眠導入剤を飲んでみたが、一向に熟睡できない。私はやがて、深酒をするようになった。もともとあまり量を飲める方ではなかったが、吐かない程度にだましだまし飲み続け、ある値を超えると、すべてがどうでもよくなる酩酊状態を維持できることを知った。一時的な現象ではあったけれど、それは私にとっては救いだった。

その日も、東京のどこだったか、おそらく渋谷か赤坂界隈でそんな飲み方をして終電を逃してしまい、タクシーに乗り込んだのだった。ドライバーは私よりかなり年かさらしい、恰幅のいい人物だった。車に揺られていい気分になって、よまやま話を始める。最初は天気の話。野球もサッカーも好きではないから、景気の話。国道246号線から世田谷通りに入り、もう少しで多摩川を渡るというあたりで、ドライバーが身の上話を始めた。

「実は私、以前は会社の社長をやってましてね」

「へえ、なんの会社ですか」

「まあ、輸入関係なんですが、バブルがはじけましてね」

「バブルでやられましたか」

「やられました。取引先が飛んでしまったんです」

「飛びましたか」

「飛びました」

元社長はその後しばらく、黙ってハンドルを握っていた。私には経営のことなど、わかりはしない。「飛ぶ」という言葉が「倒産」を意味するのか「逃亡」を意味するのかも、はっきりとはわからなかった。

多摩川を渡り切ったあたりで、元社長が再び口を開いた。

「私の会社自体は悪くなかった。まったく悪くなかった。順調に行っていたんです。私は経営者としてはね、よくやっていたんです。相手が飛んじゃっただけで、私の会社はまったく順調だったんですよ」

「ああ、そこの床屋の先で止めてください」

”元社長”が見せてくれた記録

料金を払うとき、元社長はルームライトをつけてくれた。礼を言って降りようとすると、元社長が大きな声を出した。

「旦那、ちょっと待ってくれよ、これを見てくれよ」

取り出したのは、分厚い大学ノートだった。

「いいですか、一番左が日付。次が乗せた時刻と場所。その次が降ろした場所。次が運賃、そしてお客さんがどういう職業だったか。私はこれをね、毎回、全部記録しているんです。そして分析しているんです。分析して、いいお客さんを乗せるためには、いつどこへ行けばいいかを毎日毎日考えて走ってる。だから、営業所でトップなんです。いつもトップの成績なんですよ。わかりますか、旦那」

元社長は、しきりになにかを訴えていた。やり場のない思いを、私に向かってぶつけていた。

うだつの上がらない呑ん兵衛サラリーマンだった父親は、80を過ぎてからがんを患って、いま病院のベッドの上にいる。好きな酒の代わりに、点滴の針を体に入れている。

人生には思い通りにならないことがたくさんある。家族と別れたり、挫折したり、人から蔑まれたり、騙されたり、金が払えなかったり、仕事をクビになったり、ノイローゼになったり、病気に罹ったり。どんなに辛くても人は生きなければならないなどと私は思わないし、生きてさえすればいいことがあるとも思わない。最初から最後まで、辛いことばかりの人生も、たぶんある。

そして、人生で一番思い通りにならないのが、死だろう。どんなに死にたくなくても、いつか必ず人は死ぬ。死ぬのがどれほど怖くても、死は確実に近づいてくる。なぜ、人間は死なねばならないのか。いずれ確実に死ぬのに、なぜ、生まれなくてはならないのか。

なんの答えもない、それでも・・・


私は、なんの答えも持っていない。なんの答えも持っていないが、にもかかわらず私は、父親に、もう一度だけうまい日本酒を飲ませてやりたいと思わずにはおれない。

元社長は、分厚いノートをダッシュボードにしまい込みとこう言った。

「旦那、来年はいい年にしましょうよ。がんばってさ。来年こそいい年にしようよ」

「はい。いい年にしましょう」

私は、赤いテールランプが闇の中に消えていくのを見送った。