行き場のないお骨と向き合う心優しき行政マンに見えた「家族遺棄社会」のリアルに迫る(写真:kuro3/PIXTA)

年間孤独死約3万人のニッポン──。そんな孤独死大国に押し寄せる無縁化の波と人知れず向き合い、葛藤している人がいる。それは、人の最終地点である「葬送」を生業とする人たちだ。彼らはこの社会にどんな思いを抱き、どう向き合っているのか。『家族遺棄社会 孤立、無縁、放置の果てに。』から一部抜粋・再編集してお届けする。

引き取り手のないお骨が増えている。

2017年7月16日付の毎日新聞によると、国の政令市で2015年度に亡くなった人の約30人に1人が、引き取り手のない無縁仏として自治体に税金で弔われていたことが、調査でわかったという。全政令市で計約7400柱に上り、10年でほぼ倍増。大阪市では9人に1人が無縁仏だった。同紙では、死者の引き取りを拒む家族の増加や葬儀費を工面できない貧困層の拡大が背景にあり、都市部で高齢者の無縁化が進む実態が浮き彫りになったとしている。

まさに家族遺棄社会の成れの果てが漂流遺骨というわけだ。火葬を行う人が見つからない場合は、市区町村が火葬する。その後、自治体はそのお骨を引き取ってくれる遺族を探すのだが、その引き取りを拒否する遺族が増えている。

それでは、引き取り手のないお骨はどこにいくのか。意外なことに、それは通常業務をしている市役所の奥の倉庫にもあった。

横須賀市福祉専門官の北見万幸がその場所を案内してくれた。

通常業務を行っているカウンターの奥にある、ロッカーの鍵を開けると、7段ほどある棚の足元から頭のてっぺんまで密閉状態で、骨箱がつめ置かれていた。ここが、行き場のないお骨の仮保管場所だ。漂流する遺骨の行き場のラストエンドは、意外なことに市役所のロッカーなのである。そこには、家族遺棄社会の行き着く先があった。注目すべき点がある。ここでは、行旅死亡人と書かれている名前のない骨壺は、1割に満たず、ほとんどの遺骨に名前があるという点だ。

北見は、骨たちに視線を落としながらつぶやく。

「行旅死亡人の人が増えているとメディアは書いているけど、実際は、そんなことはないの。みんな名前があるんですよ。身元がわかっている人ばかり」

骨壺にはそれぞれ付表がついている。昔、そこには身元不明のため割り振られた番号ばかり書いてあった。いわゆる行旅死亡人といい、氏名や本籍が判明せず、さらに引き取り手がない遺体のことである。つまり、簡単にいうと行き倒れた人たちだ。しかし、今の骨壺の付表には、どれも人間の名前ばかりが並んでいる。

ここは、行き場のないお骨のいわば仮保管場所だ。お骨はここで3年間保管され、その間に市役所が懸命に親族を探す。しかし、その期間に引き取り手が現れるのは、年間に1人か2人。

誰も引き取り手がなければ無縁納骨堂へ

最終的に引き取り手がないお骨は、市内某所にある無縁納骨堂へと移される。

北見は、市有地にある無縁納骨堂も案内してくれた。そこは、入り口近くに、等身大のお地蔵さんが鎮座している静かな墓地の一角だった。シトシトと雨に濡れたお地蔵さんの前で、北見は目をつむり、固く手を合わせて、一礼する。そして懐中電灯を片手に、納骨堂の中にゆっくりと入っていく。私もそれに続いた。

真っ暗闇の中、北見の人懐っこい顔が浮かびあがる。


北見が案内してくれた無縁納骨堂(筆者撮影) 【2020年10月18日9時40分追記】初出時、写真の説明に誤りがあり、挿入位置とともに修正しました。

納骨堂のまん中には、銀色のパイプの棚が配置されていた。北見の懐中電灯に照らされて、怪しく光を帯びている。四段ほどの台の上には、所狭しと大小様々な骨壺が並んでいる。立方体の桐製骨箱のものが多い。

菊の刺繍が施されたシルバーの骨箱カバーに挟まれたゴールドの骨箱カバーが懐中電灯に照らされて、怪しく光を帯びる。ここにあるのは、市役所で一定期間引き取り手を待っていたものの、結局、誰も引き取り手が現れなかった骨たちだ。

「役所からここに持ってくるのはやろうと思えば、職員たちみんなでやれば一瞬で終わるの。だけど、ここに持ってきちゃうと、もうここで終わりという感じがする。1月にやろうかとか、12月にやろうかとか思ってるけど、なかなか腰が上がらない。持ってきちゃうとさ、もうねーという感じでしょ。みんな着手したがらないんだよ」

北見は寂しそうにそう言ってうつむきながら、苦笑した。

北見が、「終わり」というのは、引き取り手が見つからず、本当の無縁になってしまったということを意味する。家族を探そうと奮闘したが、ついには最終地点まできてしまったというわけだ。

名前も身元も判明しているのに、無縁納骨堂が最後の行き場となってしまう。北見はとてつもなく優しい男で、そんな遺骨の状況を誰よりも憂えていた。

急増する一般市民の無縁仏が現す社会

なぜ、引き取り手のない遺骨が増え続けるのか。

横須賀市役所は平成30(2018)年度、53人の方の遺骨を預かっている。これらは、いわば無縁納骨堂に入れる仮の候補者たちだ。もちろん、市の職員は、身内を探す。そのうち10件は電話番号が不明で、住民票を調べて親族にお悔やみの手紙を送って知らせたが、いまだに連絡がつかない。他の43件は、遺族に連絡を取ったものの、引き取りを拒否されている。

多くが、「高齢で、遠いからいけない」「入れるお墓がない」など、もともと親族間のつながりが薄かったのではと感じるケースである。

北見が無縁仏と向き合うようになったのにはあるきっかけがある。

2017年以前は、無縁仏が出ると北見ら、市の職員は海軍墓地の山の上に持っていくのが習わしだった。骨壺から土嚢袋に詰め替えた骨を持っていき、穴を掘って埋めていく。骨壺のままでは大きすぎて入らないためだ。

「それで気がついたんですよ。今、無縁の納骨堂に持っていかれちゃうのは、一般市民なんだということを。今までは葬儀もお骨の引き取りも、ご家族がやってくれていた。だけど、1人暮らしが増えちゃって、家族でできない人がたくさん出てきちゃった。親族も遠くに離れている。そういう状況なのに、我々が黙って見放していていいのか」

北見が無縁化を後押ししたと感じる2つの大きな時代の変化がある。

1つは単身世帯の増加だ。日本中で1世帯当たりの平均世帯員数が3人を割り込んだのが、1992年。このころから、引き取り手のない遺骨が横須賀市でも徐々に増え始めた。

もう1つは、携帯電話の普及だ。携帯電話が固定電話の契約件数を抜いたのは2000年。電話をしても、連絡先がわからなくなったということが大きな壁となり、引き取り手のない遺骨は急増していく。そんな状況の中、さらに北見にとって、衝撃的な事件が2015年8月にあった。

「私死亡の時、15万円しかありません。」

それは横須賀市内在住で1人暮らしをしていたある男性の死がきっかけだった。ペンキ職人である佐藤幸作(仮名・79歳)は、癌になる78歳まで働いて、79歳の時に前立腺がんで亡くなった。佐藤の住むアパートには、Tシャツのパッケージに使われる厚紙が置かれていて、その裏にはこう書いてあった。

「私死亡の時、15万円しかありません。火葬と無縁仏にしてもらえませんか。私を引き取る人がいません」

佐藤には東北地方に住む妹がいたが、ほとんど交流がなかったため、連絡すると遺体の引き取りを拒否された。佐藤の通帳の中には25万円入っていたが、相続人は妹のため、そのお金を引き出すことはできない。北見は、まずいなと思った。

「僕らは他人だし、佐藤さんの場合、福島には妹がいるので、僕らは預金を下ろせないんです。遺書の発見される前に公費、つまり税金で彼のお骨は焼いてしまった。もちろん我々は税金で焼くときは、賛美歌も歌わないし、和尚さんにお経をあげてくれと頼むこともできない。つまり、我々が疑問に思ったのは、『仏』にしてくださいと書いてあるのに、『仏』にする手続きはやったのかと。15万円使ってくれと書いてあるのに、それを実行できたのか。

昔は、親族も近くにいるし、数もたくさんいた。だから誰かしらやってくれた時代があった。今は、親族の数が少なくなって、距離も離れたんです。だったら、そこの最後の部分を支えるのは役所がやるべきだと考え始めたんです」

役所の職員たちは一様に、男性を無縁「仏」にすることすらできないという事実に泣いた。あまりに男性の境遇を哀れんだ北見は、知り合いの僧侶に頼み込み、自腹を切って「仏」にすることにした。北見の尽力もあり、男性は、晴れて「無縁仏」になった。

しかし、やはり生前に本人の希望を聞くこと、それを実行するために行政がある程度本人と話し合っておくこと、その重要性を感じた出来事だった。

北見は、その後、横須賀市の業務としてエンディングプランサポート事業と、終活登録という事業を立ち上げた。

終活登録は、何かあった時の緊急連絡先やかかりつけ医を登録してもらうことで、万が一の時、本人が指定した方に開示するというもの。エンディングプランサポート事業は、一人暮らしで身寄りがなく、一定収入以下の人が市の協力葬儀社と生前契約をして、費用を預けてもらうというプランだ。

北見は、この2つの事業を周知すべく、日本全国を講演や出前トークで、飛び回っている。実際に、横須賀市と同じ事業を立ち上げた地方自治体も多い。

私は、北見が車を走らせながらつぶやいた言葉を反芻していた。ギスギスした社会について、何気なく私が話を振ると、北見はこう返してきた。

「みんな、放り出されているんだよ」

「家庭が、ガタついてるからさ。そもそも3世代同居の家庭がなくなって、じいちゃんばあちゃんという逃げ場もない。兄弟もいないから、かばい合いもなくて、人間づきあいが下手。会社が家族のように関わる時代でもない。葬式もやってくれるわけではない、みんな、放り出されてるんだよ」


みんな放り出されている──、この言葉が、やけに印象に残った。そうかもしれない。北見は物憂げな視線でハンドルを握り、窓の外を見つめていた。北見は、「放り出された者」たちと懸命に向き合い、抗おうとしていた。放り出された者たちは生ける者も、死者も、各々がさまざまな形で、どこか出口を求めてさ迷っている。家族遺棄社会とは、そんな社会なのかもしれなかった。

北見の行為は、人間愛、慈悲にあふれている。北見の優しさが、私の心に突き刺さる。北見が役所のロッカーに、ため込んだ行き場のないお骨たち。そこにはその最後を引き受ける生者の苦悩があった。

しかし、根本的には捨てる人、捨てられる人を作り出した孤立と分断によって成り立っている日本社会の問題が根深く横たわっている。そこが解決しない限り、引き取り手のないお骨は増え続ける。無縁納骨堂で見た北見の寂し気な後ろ姿がふと、脳裏によみがえった。その姿は、私たち1人ひとりに、日本が向かう未来はこれでいいのかという問いを突きつけている。