【前園真聖コラム】第312回「内田篤人はミックスゾーンでいつも立派な態度でした」
内田篤人が引退を発表しました。スパイクを脱ぐタイミングは自分で決めるものですが、どうしても寂しい気持になってしまいます。
僕は直接1対1でインタビューしたことはなかったのですが、試合後に選手が報道陣の前を通るミックスゾーンなどで会ったときは、毎回きちんと立ち止まって頭を下げて挨拶してくれる、とても律儀な、そして好感度の高い選手でした。キャリアの最後を古巣に戻って日本に恩返ししたという男気を見て、甘いマスクとのギャップを感じていました。たぶん、とても人情味溢れる性格だったのだと思います。
そんな人間性だけではなくて高い実力を兼ね備えていたのは、鹿島で3回リーグ優勝したり、ドイツで8年にわたりプレーし、チャンピオンズリーグでも活躍したことで明らかです。決してガッチリとした体型に恵まれていたとは言えないのに、ブンデスリーガでレギュラーとして躍動できたのも能力の高さを表しています。
とても残念なのはケガが選手生命を短くしたかもしれないということです。確かにアスリートにとってケガというのは向き合わなければいけないことなのですが、内田のようなクレバーなタイプは、ケガが無ければもっと長くプレーできたのではないかと思うとやるせない気持になります。
日本にとってサイドバックはあまり層が厚いポジションではありません。引退後は何をするかわかりませんが、貴重で大きな経験値を重ねてきたプレーヤーとして、ぜひ彼の得た経験を日本に伝えて残していってほしいと思います。
僕は直接1対1でインタビューしたことはなかったのですが、試合後に選手が報道陣の前を通るミックスゾーンなどで会ったときは、毎回きちんと立ち止まって頭を下げて挨拶してくれる、とても律儀な、そして好感度の高い選手でした。キャリアの最後を古巣に戻って日本に恩返ししたという男気を見て、甘いマスクとのギャップを感じていました。たぶん、とても人情味溢れる性格だったのだと思います。
とても残念なのはケガが選手生命を短くしたかもしれないということです。確かにアスリートにとってケガというのは向き合わなければいけないことなのですが、内田のようなクレバーなタイプは、ケガが無ければもっと長くプレーできたのではないかと思うとやるせない気持になります。
日本にとってサイドバックはあまり層が厚いポジションではありません。引退後は何をするかわかりませんが、貴重で大きな経験値を重ねてきたプレーヤーとして、ぜひ彼の得た経験を日本に伝えて残していってほしいと思います。
関連情報(BiZ PAGE+)
1973年生まれ。横浜フリューゲルス、ヴェルディの他、ブラジルなどでプレー。アトランタ五輪では、主将として28年ぶりに五輪出場を決めた。2005年引退後は解説の他、少年サッカー普及に従事。2009年、ビーチサッカー日本代表としてW杯に出場。ベスト8に貢献した。