名鉄名古屋本線宇頭駅からすぐにあるダイワスーパー。京都や博多、東京にフルーツサンド専門店を出店する(筆者撮影)

八丁味噌で有名な愛知県岡崎市の西端に位置する宇頭町。名鉄名古屋本線宇頭駅前に小さなスーパーマーケットがある。厳選した旬の果物をふんだんに使ったフルーツサンドが有名な「ダイワスーパー」だ。

今では京都や博多、東京にフルーツサンド専門店を出店するなどその勢いはとどまることを知らない。どの町にもある昔ながらのスーパーを全国区にした立役者が2代目社長の大山皓生さんだ。

イベントサークルで50万〜100万円の利益

この日、店を訪れると平日にもかかわらず、小さな子どもを連れた家族が店の前に置かれたテーブルで買ったばかりのフルーツサンドをおいしそうに頬張っていた。フルーツサンドの売り場へ行ってみると、大山さんは若い女性のグループの接客をしていた。

話を聞いてみると、彼女たちは地元の大学に通っていて、「ダイワスーパー」のインスタをフォローしたのをきっかけに店へ来るようになったそうだ。この日はフルーツサンドをまだ食べたことがない友達を連れてきたという。インスタのフォロワー数はなんと、3万6000。このように、フルーツサンドはインスタを見て来店した客からの拡散と口コミで広がっていったのだ。

「スーパーは母方の実家で、祖父が50年前に創業しました。20歳のときに家を飛び出してから母とは音信不通になっていて、2017年の年末に弟から、『スーパーの経営状態が危ない』と連絡があって、4年半ぶりに帰ったんです」

大山さんが小学5年生のときに両親が離婚。スーパーで働いていた父親が出ていき、母親と弟、祖父母と暮らしていた。その商才の片鱗は大学時代に示していた。イベントサークルを立ち上げて、BBQやクラブイベント、スノボ合宿などのイベントを企画し、そのたびに50万円から100万円の利益を出していたという。

「大学時代はいわゆる“パリピ”だったんですよ(笑)。BBQに600人とか、人数が多かったのでそれだけ儲かりました。いちばん思い出に残っているのは、『Zepp名古屋』を貸し切りで開いたクラブイベントですね。1500人集まりましたから」

ところが、2年生になるとイベントに参加していた学生たちが街のクラブへ遊びに行くようになり、イベントを開催しても以前のようには人が集まらなくなった。大山さんが母親のもとから飛び出したのは、その頃だった。

「それまで父親の姓を名乗っていたのですが、母から成人を迎えるにあたって、姓を変えると言われたんです。小学校の頃からずっと姓をイジったあだ名で呼ばれていたので、それが嫌で母とケンカになって家を出ました」

何となく、大学にも足が向かなくなって、2年の夏に退学。それからは隣町で父が営んでいるたこ焼き屋で働いた。仕事はハードだったが、お祭りやイベントでの出張販売にやりがいを感じた。全国の商工会議所や商工会に入会し、各地で開催されるイベントに年間400回以上も出店した。たこ焼きのみならず、焼きそばやかき氷、焼き牡蠣などもメニューに加えて売りまくった。

「たこ焼き屋で働き始めた頃は年商3000万円だったのが、1億4000万円にまで膨れ上がりました。が、店の経営方針をめぐって父とケンカをしてしまい、店を辞めることにしました。弟からスーパーのことを聞いたのは、ちょうどその頃でした」

1日50人を目標に客の名前を覚える

4年半ぶりにスーパーに足を踏み入れると、客があまりにも少ないことに驚いた。しかも、来店する客は車に乗らない高齢者ばかり。そもそも、大山さん自身は当時、小松菜とホウレン草の違いすらもわからなかった。そんな自分にいったい何ができるのかを考える毎日だった。2カ月が経った頃、祖父から経営を引き継いでほしいと頼まれた。


ダイワスーパーの大山皓生社長(筆者撮影)

絶対にできないと固辞したが、いつかはやらねばならないと思い、2代目の社長となる決心をした。そして初めて帳簿を見せてもらい、経営状態が明らかになった。毎年、300万円の赤字が10年間も蓄積していて、このままでは潰れてしまうという危機感を抱いた。そこで、社長として初めての朝礼で、2つの目標を掲げて宣言した。

1つは、1年で売り上げを倍にすること。そして、もう1つは、店の前に100人行列を作ること。これらを達成するために、具体的に何をすればよいのかを考えた。

「大手スーパーと比較したとき、品ぞろえや価格ではとても太刀打ちできないことはわかっていました。では、どの部分で勝負すればよいのかと考えたとき、『人』にたどり着いたんです。

お客様が会いたい、話がしたいと思うような魅力ある人間になれば、大手スーパーと対等に渡り合えるかもしれないと思いました。そこで、1日50人を目標にお客様の顔と名前を覚えることを自分に課しました。何しろ、お金は一切かけられませんから、それしか思いつきませんでした」

大山さんは店に足を運ぶ客に名前を聞き、その日の会話の内容や特徴をすべてメモにとった。そして、次に来店したときには名前で呼んだ。この日、別の売り場で客の名前を呼び、親しげに話すスタッフの姿も見られた。こんな光景はほかのスーパーでは見たことがない。聞いてみると、スタッフも大山さんを見習って、名前を覚えるようにしているという。

近頃は“付かず離れず”のスマートな接客をよしとする向きがあるが、ここは真逆。ひと昔前の八百屋や魚屋のようなベタな雰囲気。しかも、見てのとおり、大山さんはかなりのイケメン。年齢に関係なく、名前で呼ばれてうれしくない女性はいないだろう。当時は近所に住む高齢の客が来店することが多かったため、自分の孫に会いに来る感覚だったと思う。

「孫が店を継いで頑張っている、というのは伝わったと思います。しかし、新規のお客様を呼び込まないことには先細りしていくのが目に見えます。そこで、インスタの公式アカウントを開設するのと、その時季のオススメ商品や私のお客様への思いを手書きでつづった『ダイワ新聞』を毎月発行することにしました。

ところが、スーパーの事務所にはコピー機がなかったんです(笑)。自分の給料から5万円を下ろし、それを握りしめてコンビニで5000枚印刷しました」

夜の7時半頃に店が終わり、それから事務仕事と夕飯を済ませて9時、10時から店周辺の住宅に「ダイワ新聞」のポスティングをした。配り終えるのは深夜2時になることもあった。そして、翌朝5時には市場へ仕入れに行く、という具合に2、3時間しか睡眠が取れない日々が続いた。

そんな努力が報われたのか、徐々にではあるが客足が伸びていった。新聞に「えびす券」というクーポンを付けて、来店時にサイコロを振ってゾロ目が出たら野菜がもらえたりするミニイベントを開催したのだ。

これにより、小さな子ども連れの若い母親の姿がよく見られるようになった。それまで1日の平均来店数が200〜250人だったのが、300人を突破した。1日の売り上げもプラス10万円となり、このペースで行けば累積していた年間300万円の赤字を食い止められるまで持ち直した。が、大山さんは決して満足することなく、次の一手を考えていた。

店の前に100人の行列を作りたい!

「たこ焼き屋をやっていた頃は、行列ができるのが当たり前だったんですよね。目標として掲げた、店の前に100人行列を作るには、夏に向けて何か新しい取り組みをしなければ到底ムリだと思いました。たこ焼き屋で夏場はかき氷を出していたことを思い出しました。しかし、どうせやるならどこにもない、八百屋らしいかき氷を作ろうと」

大山さんが考案したのは、氷の上に茹でたホウレン草とニンジン、スライスしたキュウリとトマトをのせてドレッシングをかけた「野菜のかき氷」。野菜にちなんで831円で出した。やはりというか、当たり前というか1つも売れなかった。

そこで野菜ではなく、果物を使うことに。とはいえ、フルーツを使ったかき氷はどこにでもある。大山さんはインスタのフォロワーに意見を求めた。当時、フォロワーは400人程度だったが、親切にアドバイスをしてくれた。

「あれは5月の下旬でした。市場に並び始めたメロンを使ってみようと思いました。半分にカットして種を取り除いたメロンを器にして、その上に氷をのせてメロンのシロップをかけました。これをインスタに載せたところ、フォロワーさんから『おいしそうだけど、ちょっと物足りない』という意見をいただき、氷の部分にもカットしたメロンをたっぷりとのせることにしました」


たっぷりのフルーツを使ったかき氷は1680〜3000円(写真:ダイワスーパー)

メロンをふんだんに使ったかき氷を「八百屋の作る本気のかき氷」というキャッチコピーとともにインスタにアップした。2週間ほど経ったとき、あるインスタグラマーが食べに来た。かき氷の写真がアップされると、6000もの「いいね!」がついた。その日だけでフォロワーが一気に3000人に増えた。その翌日、大山さんが目標として掲げていた「店の前に100人行列を作る」ことが実現した。

ただ、それを手放しで喜べなかった。朝から夕方まで客足が途絶えることがなく、店の前の道路は駐車場が空くのを待つ車で大渋滞ができてしまったのだ。周辺の店からクレームの電話が相次ぎ、対応に追われた従業員からも辛辣な言葉を浴びせられた。

さすがに落ち込み、祖父に相談すると、「俺が50年かけて売ったメロンの量をたった2日で抜いたんだ。もっと自信を持て!」と励ましてくれた。地元の人と信頼関係を築きつつ、もっとお客さんに喜んでいただこうと決意を新たにした。

八百屋の作る本気のフルーツサンド

かき氷の売れ行きは好調だったが、季節商品である以上、夏の終わりとともに売り上げも落ちていくのは目に見えていた。この行列をずっとキープし続けるには、季節を問わず通年用意できる新たな商品が必要だった。

「あれは7月上旬でした。コンビニでフルーツサンドが売られているのを見たんです。『八百屋の作る本気のフルーツサンド』として、日本中どこにもないフルーツサンドを作ろうと思いました。調理師学校を出た社員に頼んで、フルーツの味を邪魔せず、引き立てる日本一の生クリームを作りました」

フルーツサンドの味の決め手となるのは、やはりフルーツのクオリティー。市場に並ぶ旬のフルーツを目利きで仕入れて……というのが本来の形だろうが、当時の大山さんは野菜やフルーツについてまったく無知だった。


フルーツサンド(330〜2000円)には高級なフルーツがギッシリ!(写真:ダイワスーパー)

だから、直感的においしそうだと思ったものを1つだけ購入して、その場で食べた。その様子をインスタで発信した。それが逆に客の目には新鮮に映り、社長自らが市場で食べておいしいと思ったものを使っていると印象づけた。

7月半ばにフルーツサンドが店内に並ぶと、瞬時に売り切れた。しかし、スタッフの数が足らないうえ、大山さん自身も「ダイワ新聞」の制作やポスティングなどに追われて、販売するのは週に2回、それぞれ60個くらいしか作ることができなかった。

「ちょうどその頃、インスタで『ポスティングを手伝わせてください』というメッセージをもらいました。しかも、ボランティアでも構わない、と。本当にありがたかったですね。これをきっかけにその子は社員として採用しました」

フルーツサンドは1日200個まで生産することができた。販売も週2回から3回、4回と増えていき、週5回になった。インスタでもその情報は拡散され、店頭に並んですぐに売り切れることがほとんどだった。「売り上げを倍にする」という目標もわずか半年足らずでクリアした。こうしてフルーツサンドは「ダイワスーパー」の代名詞となった。

期間限定でかき氷店をオープン

さらなる転機が訪れたのは2019年3月。岡崎市役所からの電話だった。市内の観光スポットである「奥殿陣屋」内で営業していた茶店が閉店することになり、そこでかき氷を販売してみないかという話だったのだ。

「前の年にはかき氷目当てのお客さんで店の前の道路が大渋滞になったこともあり、別の場所に店を出そうかどうか迷っていました。とはいえ、うまくいくかどうかもわからないですし。

そんな矢先に岡崎市役所から連絡があったんです。『やります!』って即答しました。4月30日から8月30日までの期間限定で『氷屋ダイワ』をオープンさせました。9月以降も従業員が働けるように、直営のカフェを作ることにしました」

直営のカフェ「ダカフェ」は、フルーツサンドやパフェ、ソフトクリームのほか、新たに商品化したフルーツゼリーもラインナップに加えた。9月1日のオープンだったので、「氷屋ダイワ」の従業員たちも間髪入れずに働くことができた。

また、昨年の7月には京都に、11月には博多にFC店がオープン。いずれも地元では評判となっている。さらにコロナ禍の真っただ中の今年3月31日、東京・中目黒に直営店「ダイワ中目黒店」をオープンさせた。

「時期が時期だけに周りは大反対でしたね。でも、東京からわざわざ岡崎まで来るお客さんもたくさんいましたから、自信はありました。ところが、自粛要請で花見ができなくなって、1日100個単位で余ってしまったんです。半ばヤケクソで1週間くらいは道行く人にタダで配りまくりました。

それが功を奏したのか、ツイッターでバズりました。3日間にわたってリツイートされまくって、店の前には大行列ができました」

従業員数は2年で「5倍」に増えた

社長に就任した2018年の年商は1億円。翌2019年は3億円。そして、2020年は6億円。と、年を追うごとに倍増している。このコロナ禍でも順調に売り上げを伸ばしているのは、フルーツサンドというテイクアウトメニューを主力商品にしたことや、インスタなどのSNSを効果的に使っていることなどの理由が挙げられる。

しかし、それはごく表面的な部分にすぎず、本当の理由は、大山さん自身の人間力に尽きると思った。

14人だった従業員(パート含む)も2年で70人に増えている。しかも、平均年齢は24歳と若い。

世間では現代の若手のことを「失敗を恐れている」とか「進んで苦労すべきではないと考えている」「出世よりもプライベートを優先している」など酷評されているが、そんな従業員は見当たらない。それは、彼らが目指す成功者の見本として、大山さんが身近にいるからだろう。