介護だけでも大変なのに、それが毒親だったとしたら…(写真:プラナ/PIXTA)

介護だけでも大変なのに、その対象がかつて自分を物理的、精神的に虐待した親=毒親だとしたら。どんなに嫌でも介護せざるをえない状況はありうる。また、介護によって、実は毒親だったと気がつくこともある。『毒親介護』を書いたジャーナリストの石川結貴氏に聞いた。

毒親でも介護しなければいけない状況

──避けたい組み合わせですね。

家族の問題を追ってきて、虐待、過干渉などで親に傷つけられたり、振り回されたりした人を多く取材しました。そうした人の心の傷はなかなか癒えない。親から離れて暮らしていても、親が高齢になって病気で倒れたり、認知症気味になったり、経済的に困窮したりすると、向き合わざるをえなくなる。再び親と関わることになり「苦しい」「困った」という声が、10年くらい前から聞こえてきました。

──毒親の介護を避けられない。

施設に入れて他人にお任せ、と思っても施設が足りない。特別養護老人ホームへの入所待機者は全国で36万人超、1施設当たりの平均待機者数は117人です。介護人員は現在でも不足気味なのに、団塊世代が後期高齢者になる2025年には介護職員が37.7万人不足するという推計もあります。社会保障費抑制のため、国は施設の新設、拡充には消極的で、「在宅介護」を推進しています。毒親でなくても、民間の施設に入れての「他人介護」は、親か子供がまとまった資産を持っていないと難しい。

──少子化、未婚化の影響も。

いま介護に直面している世代は、兄弟姉妹がいたとしても、多くて3〜4人くらいで、遠くに住んでいたり、配偶者の親を介護していたりすると当てにできません。さらに未婚、離婚で単身だと、介護できるのは自分だけ、となる。

日本では、どんな親であろうと介護の必要な親を放っておくなんて人に非ずという風潮がいまだにあります。長らく音信不通でも周りの親戚から「親が大変なことになっているから、何とかしろ」と連絡が来たり。毒親であろうと介護しなくてはいけない状況になる。

──とはいえ、事例では毒親の面倒をよく見ている感じです。

介護が必要になった親は、以前と違い弱々しくなっているし、自分の哀れさを子供にアピールする親もいます。また、親から傷つけられてきた人たちは、親の命のタイムリミットが迫っているのを目の当たりにすると、なおのこと、「死ぬ前に一言謝ってほしい」「自分を認めてほしい」と考えて、放っておけなくなりがちです。

──そこに危うさを見ています。

誰もがやったことに対して認められたい、報われたいと思う。在宅介護は関係が濃密になり、周りの意見を得にくい。憎い親の介護が生きがいになり、承認欲求が強いあまり、言うことを聞かない親に暴力を振るうこともある。「視野狭窄」に陥っている危うさに当事者が気づかない可能性があります。

毒親介護で人生が崩壊する懸念も

──毒親を“発見”することもある。

親の老いは過去と家族関係をむき出しにするんです。子供の頃に暴力を振るわれたわけではないけれど、言葉の端々にとげがある、ほかの兄弟をひいきしていると感じていた、改めて介護で接触が増すと、自分が愛されていなかったとわかるのです。気づいてからつらいのは、周囲が理解してくれないこと。本人には重大問題なのに、「考えすぎだ」とか言われる。


石川結貴(いしかわゆうき)/家族・教育問題、青少年のネット利用、児童虐待などを取材。これらのテーマのコメンテーターとしてのテレビ出演、講演など幅広く活動。義母を11年間介護、現在は実父を遠距離介護中。著書に『スマホ廃人』『ルポ 居所不明児童』『ルポ 子どもの無縁社会』など。(撮影:今井康一)

──毒親の介護で、自分の人生が崩壊する懸念もあります。

都内在住のあるサラリーマンは、九州で一人暮らしの母親に認知症の症状が出たけど、妻も仕事を持っているので自分が行くしかない。各種申請ができるのは平日なので隔週で休みを取って行く。「明日は出社」と予定していても、母親の問題行動で戻れなくなったりで、周囲の視線が冷たい。「いつ潰れるかわからない」と、言っていました。毒親でなくても、1人で見ると介護離職のおそれがあります。

実際、仕事を辞めて、そろってアルツハイマーの症状が出た「無関心な父とキレやすい母」を実家で介護している女性は、親の貯金も自分の貯金も減少し、自分の老後破綻が避けられない。「親が死んだら自分も死にたい」。自分の娘に同じ思いをさせたくないからです。

また、未婚で無職となった女性は、毒親だった母を介護しながら無職の弟妹とともに母の年金で暮らしていますが、「毒親だった人が子供に世話されて、子供のほうは全然報われない」と言います。

──やりきれないですね。

「認められたい」「報われたい」は、親に変わってもらうのが前提ですが高齢の親には難しい。老年学の第一人者、長田久雄・桜美林大学教授は「健康的な諦め」を提唱しています。死ぬまで変わらなくても、しょうがない、と。「礼も言わずに死にやがって」と思うよりも、いろいろあったけどできる範囲で金は出した、半年は面倒を見た、自分はよくやったと考えたほうが救いになると、取材を通して感じました。

それと、老いによる変化を念頭に置くべきです。誰しも老いれば頑固になり、物忘れもする。毒親だからではなく、老いによって毒親的に見えることがある。「昔から私を無視する」という人に「耳が聞こえにくくなっているのでは」と話したら、ハッとしていました。

「親を捨てる」という選択肢もある

──絶対に毒親介護が無理なら?

捨てる。積極的に推奨するわけではありませんが、親を捨てるという選択肢を知っておくのは重要です。親の介護はすべきという圧力に負けて、大嫌いな親を抱え込み、最悪の場合殺してしまうという結末は避けるべきです。子供が親を捨てても何とかなる。子供がいなくても介護サービスを受けている高齢者はいるのですから。


捨てるときは、全然関わらないのか、少しは関われるのかを判断し、関われるならどこまでかを決める。施設入所の保証人にはなるとか、月に○回は訪問するとか。それと、介護事業者にこれまでの親子関係や今後できることを話す。子供側の本音がわからないと、「こんなはずじゃなかった」というケアプランになるかもしれません。

──それにしても、事例の方々はよくここまで深い話をしましたね。

私自身、離婚した夫の母の介護という理不尽な状況で経済的にも困窮しました。介護は美談では済まないという点で共感し、胸襟を開いてもらえたと思います。兄弟間の葛藤など次につながる話も蓄積できました。

(聞き手 筒井幹雄)