【前園真聖の転機】訪れた栄光の「後」の日々

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1992年、高校を卒業してJリーグの横浜フリューゲルスに入団するときから前園真聖はスターだった。1994年元旦の天皇杯決勝には先発出場し、チームの栄冠に貢献する。1996年には日本にとって28年ぶりとなる五輪にキャプテンとして出場し、ブラジルを破るという「マイアミの奇跡」を起こした。

だが念願のスペイン移籍が破談に終わってしまう。またドリブルで突っかけていくスタイルは、止められないと思った相手からの反則を招き、ケガを負わされることが相次いだ。

失意や痛みに耐えつつピッチに立ち続けたが、31歳のとき、ついにスパイクを脱ぐ決断をする。それまでサッカー一筋で人生を過ごしてきた男は、そこで大きな転機を迎えた。そのとき前園は何を思ったのか。正直な言葉で語ってもらった。

【取材:日本蹴球合同会社・森雅史/写真:Backdrop・神山陽平】

楽しいよりも苦しい時期のほうが長かった

現役を終えるときっていうのは、やっぱり一つの転機でしたよ。

だんだん自分の思うようなプレーができなくなったときは、人それぞれ、例えばカテゴリーを落とすとか、海外に行くとか、いろいろな選択肢はあるかもしれないです。

けれど僕自身の中では、もう自分のトップレベルの、思うようなプレーができないという感覚があったので、それを我慢してでも……我慢してというか、下のカテゴリーだったらできるだろうとか、そういうことも考えなかったんですよ。ある程度のレベルで自分のプレーができないんだったら、やっててサッカーが楽しくなくなってしまうから。

それに、サッカーを遊びじゃなくてプロとしてやるということは、プレーに対してお金をもらうわけですから、いいプレーをしなければいけないという責任があると思うんですよ。

そんなプレーができないのに、プロとしてピッチに立つという気持ちは、自分の中ではあまりなかったんですよね。そう考えていたので「辞める」って決断してからは、迷いはなかったですね。

当然、現役生活を続けたい気持ちはありましたし、長くやれたほうがいいとは思います。だから引退を決めるまでは時間がかかったというか。

やっぱり練習場に行けば楽しいですし、ちょっと自分の思うようなプレーができれば「まだやれるんじゃないかな?」って思うときもあるし。でも、そんな体調がずっと続くわけじゃなくて。

周りは「まだやれるでしょう」って言ってくれましたし、今でも「まだやれたでしょう」って言われることもあります。でもどこを引き際にするのかって、自分自身と向かい合って決めたことなんで。カズさんみたいに今もまだ現役にこだわってやる人もいるけど、それがみんなできるかっていえばできないし。僕はあのタイミングだったのかなって思いますね。

冷静に考えてみても、よくやったほうだと思いますよ。僕は今、もう現実を受け止められるようになってます。だって僕は今でも1996年アトランタ五輪のブラジルに勝った「マイアミの奇跡」のときのキャプテンとして紹介されるわけだから。

ということは、1996年以降はそれを上回る実績をあげてないってことですよ。だってワールドカップも行けてないし、チームで優勝したわけではないし。1996年アトランタ五輪が僕にとっては一番の実績だと。

でもあれは1996年のことで、僕が現役を引退したのは2005年ですから、そこから9年間あったんです。その間には得点したり、ちょっと活躍した時期もあったけど、でもあれ以上の僕の実績はなかったわけだから。

だからどちらかというと、楽しかった時期よりも苦しかった時期のほうが長かったということです。そういうことを冷静に考えると、もしかしたら辞めるのはもっと早くてもおかしくなかったでしょうね。

でも、やっぱりサッカーをやりたかったから。苦しい時期のほうが長かったけど、やっぱりサッカー楽しいからやってたし、そう考えると2005年までやれたってのは……ね。

ケガもね、2001年には左足首の骨折も経験したし。ケガをすると孤独感を感じるし、もう引退しなきゃいけないんじゃないかっていう気持ちになるんですよ。1人別メニューでチームから離れてね。それまで普通に歩いていたのが歩けなくなるわけじゃないですか。それも余計に気を重くさせるし。

そこから松葉杖、杖を外して歩く、走る、ボールを蹴るっていう段階を経て復帰するんですけど、蹴れるようになると喜びがあって、またサッカーをやる楽しさを感じられるようになるし、そのときは、「またやるぞ!」って思うけど。

……長く現役生活ができたほうじゃないですか。2001年のケガは復活の手応えを感じたときだったから……。でも、それも、ケガしなくても、あのあとどうなったかわからないし。まぁいつかは引退しなきゃいけないんで。それが僕は32歳の年だったっていうだけですよ。

スケジュールが埋まらず不安が募る日々

引退すると決めて、一番最初にやったのがサッカー教室でした。サッカーを教えるって、それまでの自分の経験ですぐできることだったし、現役時代からやりたいことの一つだったんです。今も続けてるんですよ。

僕は子どものころ、セルジオ越後さんの「さわやかサッカー教室」に、たくさんの子どもたちの中の一人として参加したんです。あの当時、日本にプロサッカーはなかったし、本当を言うと、セルジオさんがどういう人がわかってなかったけど、サッカーのすごくうまい人が来る、楽しさとかうれしさをずっと覚えていたんですよ。

だから、現役を辞めてすぐだし、自分でまだ経験なんかを伝えられるので、子どもたちにサッカーの楽しさや素晴らしさを伝えようって決めてました。

ただ、仕事はそれ以外決めてなかったんですよ。辞めたあとも、サッカーは軸だけど、サッカーだけにこだわっていこうとは思ってなくて、チャンスがあればいろんなことをやりたいと思ってたんです。現役のときは、当然ですけどサッカーしかできないんで。

それにテレビの仕事って興味があったんですけど、やりたいからやれるもんではないし。やりたいと思ってても、オファーが来ないとできないじゃないですか。たまたまそういうサッカー、スポーツニュースの解説者みたいな話をいただいたんで、サッカーに携わることだし、これはやらせていただこうと。

そういうサッカー解説者として番組のお話をいただいたのと、サッカースクールみたいなことが、現役の選手から軸が変わってきたところでしたね。この2つは、すぐにシフトチェンジできる仕事でした。

でも戸惑いはありましたね。仕事の内容より戸惑ったのは、環境も生活のサイクルも変わったことでした。現役時代は毎日練習場に行ってたのが、毎日仕事があるわけじゃなくなったから。

サッカー選手のときって、一日のサイクルも、一年のサイクルも決まってるじゃないですか。練習場に行ってトレーニングして、身体のケアして帰ってくる。休みの後はフィジカルトレーニングからスタートして、週末は試合で翌日が休み。それが現役生活の間はずっと変わらなかったんです。

ところが引退すると、最初はスケジュールが埋まってないんですよ。一日家にいる日もあるし、「あれ? 何かしなきゃいけないんだろうけど、別に何もすることがない」っていう状態です。もし下部組織のコーチになったのだったら、時間帯は変わるだろうけど、毎日グラウンドには通うでしょう。けれど、そうじゃない引退選手はがらりと変わるんです。

サッカー教室も毎日はやってなかったから、最初は当然時間があって、それはいいんだけど、ちょっと不安になるんです。テレビ番組への出演が始まっても、番組は週末の夜だったりするし、Jリーグを見に行こうと思っても週末だけだし。

平日はちょっと時間ができちゃって。そういう心が落ち着かない時期も最初はありました。次第にいろんな仕事が入ってきて埋まっていったんですけど、最初はそこのシフトを変えるのが大変でしたね。

それから解説者って、現役でずっとやって来てたから、見る目線もまだ自分がやってるような、「自分だったらこうするな」というイメージで見たりもできたし。ただ、そういう解説でもいいんでしょうけど、本当は冷静に俯瞰してみる部分も必要だと思うし、最初はどう話せばいいかという難しさも多少はありました。

現役時代は正直に、自分のこともチームのこともダメだったらダメと口にしてました。本音で言うから捉え方によっては批判されることもありましたけど、現役のとき僕はそれでもいいと思ってたんです。ただ、現役を離れて解説とかコメントする立場になると、そういうわけにもいかなくて。

僕のことならいいけど選手のことや、チームのことに気をつけなきゃいけないし、あとは見ている視聴者がどう思うかとか、番組側の意図も考えなきゃいけないとか。そこが慣れるまでは難しかったですね。コメント一つにしても、現役の僕が発することとは違うから。

僕は現役が一番大切だと思ってるんですよ。現役のときは練習や試合の後、体のケアをしている間は番記者のみなさんたちを待たせてたけど、それは選手としてはどうしても必要なことじゃないですか。

だけど今度は報道する立場に自分がなったら、それは選手を待たなきゃいけない。それはプレーしている選手がJ3だろうが、僕が知らない選手だろうが、有名無名関係ない。僕は現役が一番偉いと思ってるから。そこはずっと変わらないでいますね。

待つのも仕事だし、現場には現場のルールがあるから、知らない取材スタッフには教えたりしましたね。選手に失礼になったらいけないから。バラエティとスポーツの現場は違うじゃないですか。

バラエティ番組はいろんな場面を切り取ってちょっとおもしろおかしくするし、それはそれでいいんですけど、スポーツの現場ではそれは違うから。そこは一応、知らない人には言うようにしています。

まぁ最初は苦労だったかな……いろんな経験をさせてもらったというか。それにテレビに出て解説をやらせてもらう、コメンテーターをやらせてもらったことで、ワールドカップにも行かせてもらったし。

現役では行かせてもらえなかったけども、取材する立場としてそこに行けたというのはうれしかったですよ。ワールドカップはなかなか取材できないですからね。苦労しがいはあったけど、引退して、そういうお仕事をいただけたのはありがたいと思ってます。


前園真聖(まえぞの・まさきよ)

1973年10月29日、鹿児島県生まれ。キャプテンとして臨んだ1996年3月アトランタ五輪アジア予選準決勝、サウジアラビア戦で2ゴールを挙げ、日本を28年ぶりの五輪出場に導いた。現在は実直な人柄から人気を博し、様々な番組に引っ張りだこ。プリン好きの一面も見せている。