猫と一緒に暮らすのが夢だと語ってくれた康介さん(仮名、筆者撮影)

一般的に30歳は節目の年と言われている。今の30歳は1988年、1989年生まれ。景気のいい時代を知らない現在の30歳は、お金に関してどんな価値観を抱いているのか。大成功をした著名な人ばかり注目されがちだが、等身大の人にこそ共感が集まる時代でもある。30歳とお金の向き合い方について洗い出す連載、第12回。

親にネグレクトされて育つ

取材当日、ずいぶんと筋骨隆々の男性が現れた。趣味で格闘技をやっているらしい。康介さん(30歳、仮名)は関東某県出身で、現在はパチンコ店と倉庫での荷降ろし作業のバイトを掛け持ちしているフリーター。「この仕事、もう辞めたいんです」と、取材依頼の連絡を取ったときから打ち明けていた。


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話を聞いていると、康介さんはいわゆる機能不全家族(家庭内にアルコール依存症の人がいたり虐待が起こったりして家庭が崩壊している状態)だったことに気づいた。現在は家族と絶縁状態のようで「父も妹も生きているかどうか知りません」と、少々ぶっきらぼうに言い放った。

父は会社員で母は専業主婦。母はアルコール依存症で、時折酒のおつかいに行かされ、その際に渡されるお金のお釣りをお小遣いにしていたこともあった。また、母親の口癖は「金がない」で、理不尽な理由で殴られることが多かった。

「小学生の頃、食事が用意されていないことも多かったので、学校の給食が頼りでしたね。これで1食は確保できる。お小遣いは月に1000円くらいもらってたんじゃないかな。当時はやっていたカードゲームや漫画を買っていたような気がします。

僕が15歳のとき、母は酒の飲みすぎで肝臓を壊して亡くなりました。その後、父と妹と3人で暮らしていたのですが、急に父の羽振りがよくなって頻繁にお小遣いをくれるようになりました。それは母が死んで生命保険が振り込まれ、父が仕事を辞めたからだと後になってわかりました。そして、その保険金を使い込んで父は失踪してしまいました」

このとき康介さんはまだ高校生。保護者が必要な年齢だ。幸い、失踪した父親はすぐに見つかったが、父親が失踪している間、妹は親戚の家に預けられ、康介さんは飼い犬とともに一軒家で1人過ごした。

その後、康介さんも妹とは別の親戚の家に預けられた。しかし、親戚と折り合いが悪かったため、あまり帰らず、友達の家を泊まり歩く日々が続いていた。飲食店でアルバイトも始めたが「態度が悪い」と言われ、わずか1週間でクビになってしまった。

「その後、食品加工会社でバイトを始めました。時給は880円で、月7万〜8万円くらい稼いでいました。当時、友達の家を渡り歩いていたので、食事代やら生活費に消えましたね」

だまされてキャッシュカードを取られてしまう

高校3年生で進路について周りが考え始める中、進学は無理だと最初から諦め、何も考えずに過ごしていた。そして、在学中にアルバイトをしていた食品加工会社に誘われてそのままそこに就職。手取りは月20万円ほどだった。しかし、パワハラやモラハラがひどく、3カ月で仕事を辞めてしまう。

「辞めてやろうと思い始めたとき、ちょうど寝坊して遅刻してしまい『辞めちまえ!』と言われたので、ほぼバックレる感じで辞めました。会社の寮に入っていたので、夜逃げするようにすぐに荷物をまとめて出ていきました」

寮を出て行ったところで、親戚とも折り合いが悪いので行くあてがない。とりあえず、女友達の家に転がり込んだ。その後2カ月ほど友人の家で過ごした後、とある大人に出会う。何の仕事をしているのかよくわからないが、「自称社長」の男性だ。その男性が一軒家を持っていて1部屋空いているので貸してくれるというのだ。

「まだ19歳の世間知らずだったので、今思うとだまされてしまいましたね。確かに住む場所は与えてもらったのですが、キャッシュカードをその男性に預けることになり、生活費は自動的にそのカードから使われていたようです。だから、家賃の額も全然知りません。とりあえず飲食店や派遣のバイトをしていたのですが、給料もその男性に管理されていて、必要なものがあるとその人が僕の給料から買ってくれる感じでした」

その部屋には1年ほど住み、20歳になったことをきっかけに出ていった。結局カードは戻ってきていないが、20歳になれば法的にも大人として扱われ、もっと自由に生きられると思ったからだ。友人に手伝ってもらい、荷物を運び出して逃げた。そのとき働いていたのもやはりパチンコ店。月収は手取りで17万円ほど。給与が振り込みになると部屋の管理をしている男性の手元に入ってしまうため、最後の2カ月は現金手渡しでもらった。

「もう20歳になったしと思い、親戚の家へ戻りました。祖母がアパートを持っていたので、そこに家賃3万円で住んでいいよと言われ、1年ほどはそのアパートに住みました。そのときも別のパチンコ店で働いていたのですが、やはりパワハラがひどくてすぐ辞めました。そしてまた新たなパチンコ店へ渡り歩くという……日雇いの工事現場の仕事をしていたこともあります。日給7000〜8000円でした」

そんな生活をしていたが、ある日家賃を滞納してしまい、祖母にうるさく問い詰められて面倒になり、部屋を出ていくことにした。しかし、引っ越し費用がないため、ここで康介さんはネットカフェ難民となってしまった。ナイトパックで1泊1200円。洗濯ができなかったため、服が汚れてきたら買い換える生活をしていたら、まったく貯金できなかった。

21歳のとき、康介さんは上京。家賃4万円のシェアハウスに住み、またパチンコ店で働いた。

「なんだかんだでパチンコ店になっちゃうんですよね。パワハラがあっても時給がよくて、一応社保もあったので。ただ、そこの店は労働時間が6.5時間で短く、手取りは月15万円ほど。家賃を引かれると10万円ちょっとで生活しなきゃなりませんでした。食費や携帯代、遊びに使っても残るはずなんですが、まったく残らず……」

康介さんは今もパチンコ店を渡り歩いている。ハローワークなどでもっといい環境の仕事を探さなかったのかと聞くと、「一度ハロワに行ったものの、提示されている条件と現実が違う会社が多かった。実はこの資格が必要だとか、実は残業がこのくらいあるよとかで、もうええわ!と思い使わなくなった」という。

人の役に立つ仕事に就いて猫と暮らしたい

冒頭でも述べたが、現在はパチンコ店と倉庫の掛け持ちのフリーターだ。手取りは2つ合わせて月21万〜22万円。現在は5万5000円の家賃のアパートで一人暮らしをしている。

「光熱費がけっこうかかっちゃって月2万円近く。そして、趣味の格闘技のジム代が月2万円。あと、ファッションが好きなので服を買います。格闘技では大会にも出ています。今までめちゃくちゃな生き方をしてきたので、自分に価値はないと思っていたんです。でも、格闘技の試合中は周りの人が応援してくれたり助けてくれたりするのが唯一の生きがいになっています」

康介さんはパチンコ店を早く辞めて、今後は人の役に立つ仕事がしたいと語る。

「『パチンコ店で働いていると』人に言うとめちゃくちゃイメージが悪いんですよね。だから、お世話になっているジムのオーナーくらいにしか自分の仕事を伝えていないです。人の役に立つ仕事ってなんだろうと考えたところ、介護が浮かんだのですが、知人が介護をしていてとてもハードみたいで、躊躇してしまいました。

貯金もゼロです。でも、こないだネットのニュースで今の20代〜30代の約3〜4割は貯金がゼロだと知りました。貯金、しようと思えばできるんでしょうけど、ストレスがたまると食に走ってしまうんですよね……」

結婚願望についても聞いてみた。

「無理だと思っています。こないだまでちょっといい感じの女性がいたのですが、どうやら振られたっぽくて……。これ、振られた原因だと思うのですが『子どもはかわいいけど俺は絶対欲しくないなぁ』とポロッと言っちゃったことがあるんです。自分自身がロクな育てられ方をしていないので、こんな僕が子どもを育てたらロクな人間にならない。この連鎖を僕が断ち切らないといけないなって」

今は非正社員の康介さん。今後の目標は猫が大好きなので猫と一緒に住むことだという。今は、保護猫カフェでお気に入りの猫と触れ合うのが至福のひとときとのこと。

話していると、根はとても優しい男性だと感じられた。人からも「お前は優しすぎるから格闘技は向いてないんじゃないか」と言われるそうだ。彼が人に役立つ職に就き、そしていつか猫と一緒に暮らせる日がくることを願う。