昨年9月から、メンタル不調で休職しているタイシさん(筆者撮影)

現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。
今回紹介するのは、「フルタイムで働いていたのに、家賃と食費ですべて消えてしまいます」と編集部にメールをくれた40歳の男性だ。

ストレスが重なり、メンタル不調で休職

「社会保険料の支払いをお願いします」

「最近、調子はどうですか?」

「このままだと、解雇ということになってしまうよ」――。


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昨年9月から、メンタル不調で休職しているタイシさん(40歳、仮名)。この間、彼のもとには、保険料の支払いを求める勤務先の担当部署からの手紙や、近況を尋ねる上司からのメールなどが複数回にわたり届いた。しかし、「ほとんど放置しています」。

メールへの返信もしていないし、最近は郵便物の封も開けていない。「クビになる覚悟はできているんです。でも、返事をするのが怖いんです」とタイシさん。私が、何が怖いのかと尋ねると、「悩みがなくなることが怖いんだと思います」という。

悩みがなくなることが怖い――? 当初、私にはタイシさんの心情がちょっと理解できなかった。

都内の医療機関で清掃員として働いている。最近では、多くの医療法人が経費削減のため、清掃や医療事務、設備管理といった医療行為以外の業務を外部委託しているのに対し、タイシさんは医療法人が直接雇用した正社員。給与も月約18万円で、同様の仕事に就いている人に比べると、恵まれた待遇といえるだろう。

一方で人間関係は悪かったという。タイシさんによると、事務方の上司から、ロッカーやイスなど施設内で使う備品の選定といった清掃以外の仕事を任されたところ、同僚たちから「あいつは掃除をまじめにしていない」と陰口をたたかれるようになった。

「上司は、清掃員の中でも若手の僕に、いろいろな仕事を覚えさせようとしたみたいなんです。でも、長年掃除の仕事だけをやってきた、特に60代、70代の清掃員たちに冷たくされたり、怒られたりするようになりました」

年配の同僚から叱責されたとき、実際に汚れが残っていたこともあったが、やっかみからくるただの言いがかりだと感じたこともある。いずれにしても「嫌われたと思うと、つらくて仕事に行けなくなってしまいました」。

ストレスが重なり、昨年9月に医療機関で適応障害と診断された。その後、休職。現在は、傷病手当金として毎月約12万円を支給されている。

職場での人間関係をつくるのが下手

首都圏のある地方都市、自営業を営む両親の下で育った。大学4年生のときに中退。その理由についてこう説明する。

「友達と遊んじゃったんです。カラオケとかダーツとかボウリングとか――。気がつくと取り返しがつかないくらい単位が足りなくなっていて。楽しいことに流されてしまった僕が悪いんです。親からは留年したら、学費は出さないと言われました。なぜ、働きながら卒業しなかったのか、ですか? 僕には無理だと思ったので。(中退したことは)後悔はしていません」

その後は、スーパーの倉庫整理や訪問介護ヘルパー、ホテルの清掃員など10回近く仕事を変えた。アルバイトだったこともあれば、正社員だったこともある。共通していたのは、ほとんどの職場で、毎月の手取り額が15万円前後と低水準だったこと。ボーナスは、高齢者向けグループホームで働いていたとき、一度だけもらったことがあるという。

転職のきっかけは、人間関係のトラブルや倒産、待遇が悪すぎたから、などさまざま。タイシさんは「落ち込みやすくて、弱い性格。職場での人間関係をつくるのが下手で、仕事が続きません」と自分を分析する。

家族との関係は「最悪」だという。特に父親のことは「できれば話したくない」。

父親はしつけに厳しく、学校の成績について文句を言われたことはないが、食事中にくちゃくちゃと音を立てただけで、茶わんやコップが飛んできたという。

また、高校時代にバンドを組んでいたタイシさんが、初めてライブハウスで演奏をしたときも、両親からは「みんなに迷惑をかけていることを自覚しなさい」と言われた。「(バンド活動については)その後も、たびたび『迷惑』と言われました。バイトをしていなかったので、(バンド活動に)おカネがかかって迷惑という意味だったのか、今でもよくわかりません。そのせいで、音楽をすることは悪いことという意識が今も抜けません」という。

さらに「漢字の読み方なんかを間違えると、『モノを知らない』『教養がない』とか、何かというとすぐにバカにしてくるんです」とタイシさん。大人になってからは、とにかく家で過ごすことが苦痛だった。仕事が終わった後、深夜まで街中で時間をつぶしたり、失業したことを言えずに、毎朝自宅を出て終日図書館で過ごしたりしたこともあったという。そして数年前、ついに家出同然に実家を飛び出した。現在は都内の家賃約5万円のシェアハウスで暮らしている。

今年6月、走行中の東海道新幹線で、男が無差別に乗客に襲いかかる事件が起きた。このとき、犯人の父親が取材に対して「(息子は)今は家族ではない」「変わった子」などと答えたことが、一部で批判を浴びた。タイシさんに言わせると、「もし僕が事件を起こしたら、僕の父親も同じことを言いそうです」。

一方で、休職して以降、シェアハウスの家賃約5万円は両親が負担しているのだという。このあたりの親子の距離感も、私にはちょっと理解ができなかった。

「僕のことをダメな人間だと思ってますよね」

大学には奨学金を借りて通ったが、現在の残額がいくらかは「よくわかりません。多分半分くらいは返したと思うんですが……」と首をひねる。勤務先の休職期限についてもよくわからない、とのこと。私が就業規則に書いてあるはずだと言うと「ちゃんと読んだことがないのでわかりません」と言うのだ。

自分のことに関心がないのか、それとも取材を警戒して答えをはぐらかしているのか――。

大学を中退したことも、仕事が続かないことも「僕が悪いんです」と言いながら、「僕らロスジェネ世代には、フルタイムで働いても生活できないような仕事しかない」と世代論を持ち出したりする。

「大学を卒業した同級生も、会社が倒産したり、転職先がブラック企業だったりして仕事を転々としてます。ロスジェネ世代には本当にそういう人が多いです」

ロスジェネ世代――。1970〜1980年代前半に生まれ、就職氷河期に社会人になった世代を指すとされる。この世代の中でも有効求人倍率や就職率に差はあったが、私自身、この時代に就職活動を経験したので、タイシさんが時代を恨みたくなる気持ちは少し理解できた。

とはいえ、就職が厳しいからこそ、せっかく入学した大学はなんとか卒業したほうがよかったのではないか。傷病手当金を受けている以上、現状について勤務先に報告くらいはしたほうがよいのではないか――。そんなふうに指摘すると、「僕のことをダメな人間だと思ってますよね」と返されてしまった。

取材中、タイシさんは何度も左手首に付けた腕時計型の端末「Apple Watch」を操作していた。主にツイッターなどをチェックしている。そして、ツイッターでは同じロスジェネ世代の人たちと、「社会や経済についての意見」を交わすのだという。

「(働き方改革などと言っても)決して(ロスジェネ世代の)アラフォー世代を採用しようとはしない」「(両親たちの言うことは)話半分にしか聞きません。あなたたちがつくった氷河(※原文ママ)を私たちは必死で生きている」「転職先の社長から『君もがんばり次第で月給18万円になれるよ』って言われたw」――。

タイシさんの話を聞き、ツイッターで「#ロスジェネ世代」を検索してみた。そこは想像以上に、当事者と思われる人たちの閉塞感と、「恵まれた世代」への怨嗟の声に満ちていた。

月給18万円を目指して頑張れという社長――。タイシさんの月給はまさに約18万円である(現在は傷病手当金の約12万円)。冒頭にも記したが、この金額を聞いたとき私は「比較的恵まれている」と感じた。ということは、私の感覚も麻痺しているのかもしれない。

”絶望の連鎖”に陥ることを警戒

タイシさんはこう主張する。

「フルタイムでちゃんと働いたら、年収300万円くらいは欲しいです。そうしたら、僕の場合、趣味の音楽におカネをかけることだってできる。仮定の話ではありますが、そうやって気持ちの余裕ができたら、職場でしかられたり、人間関係がうまくいかなくても、もう少し穏やかな気持ちになることができて、仕事だって頑張って続けることができたかもしれないと思うんです」

タイシさんは、勤務先からの督促に返事をすることが怖いと言っていた。返事をすれば、確実に退職を促される。そうなれば、新たに仕事を探さなくてはならない。しかし、きっとろくな仕事がないだろう。そのことを、タイシさんは痛いほどわかっているのだ。

タイシさんが怖いのは、どうあがいても抜け出すことができない“絶望の連鎖”なのではないか。そう考えると、少し彼の心持ちが理解できた気がした。

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