JRが秋葉原―御徒町間の高架下で運営する商業施設「2k540」。高架下の特徴を生かした不思議な空間が魅力的だ(記者撮影)

東京の渋谷や品川、大阪の梅田など鉄道会社による大規模再開発計画が目白押しだが、一方で鉄道の高架下の再開発も大都市の至る所で行われている。昭和の香りを残すガード下の飲み屋街や人けのない空き地が、最新の商業施設に生まれ変わる。そんな高架下開発の最前線を追った。

秋葉原の奥地でも外国人観光客が集まる


JR神田駅近くの高架下にある飲み屋街「今川小路」。ほとんどの店が閉じられた(記者撮影)

東京・有楽町―新橋間の高架下にある居酒屋街は毎夜多くのサラリーマンでにぎわうが、ひっそりと姿を消そうとしている居酒屋街もある。「今川小路(いまがわこうじ)」。東京のJR神田駅から徒歩2〜3分の場所にある高架下の飲み屋街だ。頭上をひっきりなしに列車が行き来する中、狭い道の両側に小さな居酒屋がひしめき合う。近くには日本銀行本店があり、超高層ビルも林立する。都心の超一等地の片隅にあって、まるで昭和30年代から時計の針が止まったかのような場所だ。

戦後の混乱が抜けきらない1950年ごろから居酒屋が店を構えるようになり、高度成長期のサラリーマンの憩いの場として栄えた。しかし、1990年前後の東北新幹線の東京駅乗り入れ工事や、最近では2015年開業の上野東京ラインの線路建設工事に伴い、出店していた店は次々と撤退。今年9月にも店じまいした居酒屋が数店あり、10月末時点で残るのはごくわずかだ。すでに取り壊され空き地になっている場所もある。いずれ、何らかの再開発が行われるかもしれない。

JR東日本(東日本旅客鉄道)は高架下の再開発に力を入れている。これまで駅近くの高架下は飲食店や駐輪場、倉庫ぐらいしか活用方法がなかった。駅から離れると薄暗くて人通りが少なく、「夜は怖くて歩けない」といった場所もある。そんな高架下のイメージが大きく変わりつつある。

秋葉原のメインストリート、中央通りは、家電量販店やアニメショップが立ち並び、買い物客や外国人観光客で終日にぎわう。JR山手線や京浜東北線の高架下はメインストリートから6本もの道路を挟み、かなり奥まった場所にあるのだが、それでもアトリエや工房、カフェなど約50店が並ぶ一角に多くの客が集まっている。JR東日本が秋葉原―御徒町間の高架下で運営する「2k540(ニーケーゴーヨンマル)」という商業施設だ。

路面店が並んでいるように見えて、高架の柱や梁(はり)がそのまま残されている。「丸柱は珍しいということで、それを生かすデザインにした」と、同施設を開発したジェイアール東日本都市開発・開発事業本部の北田和美氏は説明する。丸柱と店先が織りなす光景はまるでアラブの商店街のようだ。活気あふれる秋葉原のメインストリートから想像もつかない異空間がそこに広がっていた。

1975年の貨物駅廃止や1989年の神田青果市場移転などにより、JR秋葉原駅の北側には広大な土地が創出された。これが2000年代に大規模開発され、秋葉原はオフィス街としても飛躍することになったのだが、秋葉原―御徒町間の高架下一帯は取り残されたままだった。繁華街にもかかわらず、夜になると人通りが途絶える。この状態を解消するために高架下開発計画がスタートした。

どんなコンセプトの開発を行うか。ヒントとなったのは地場産業として靴、かばんなどの革製品や傘などのメーカーが集積していた点だ。また、御徒町は日本唯一の宝飾問屋街「ジュエリータウン」として知られている。だが、これらのメーカーは製品を問屋に納めるため、利用者の声を直接聞く機会がない。そこで、「客と作り手が交流できるような施設があれば喜ばれるのではないか、と考えた」(北田氏)。これによって、「ものづくりの街」という現在のコンセプトが決まった。


2k540では高架の柱や梁(はり)をデザインに生かすことで、独特の雰囲気を作り出している(記者撮影)

ちなみに2k540というユニークな名前は、東京駅から2540メートル付近に位置することに由来する。開業は2010年。最近は日本人だけでなく、外国人観光客の姿も目立つ。「海外の旅行雑誌にも掲載されているので知って頂いているようです」(北田氏)。

飲食店や倉庫といった型どおりの高架下開発ではなく、地域特性を生かした開発としたことが、2k540のオリジナリティを高め、成功を引き寄せた。そして、ほかの路線における高架下開発のモデルケースになった。

かつて阿佐ヶ谷には「女子」向けの店がなかった


JR阿佐ヶ谷駅の高架下に誕生した「ビーンズ阿佐ヶ谷」。高架下っぽさのない店作りが特徴だ(記者撮影)

1967年の営業開始から長年にわたりJR阿佐ヶ谷駅の近隣住民に愛されてきたレトロな高架下商業施設「ゴールド街」が、おしゃれに生まれ変わった。7月にオープンした「ビーンズ阿佐ヶ谷」である。3つのゾーンから構成されるが、中でも注目したいのは新たに作られた「ビーンズてくて」というゾーンだ。高架と店舗は完全に独立している。そのため、高架上を電車が走っても振動や音が店に伝わらない。


ビーンズ阿佐ヶ谷の「ビーンズてくて」(記者撮影)

ビーンズてくての先には同じく高架下商業施設の「阿佐ヶ谷アニメストリート」がある。こちらはいかにも高架下然とした雰囲気が漂う。一方のビーンズてくては、中を歩くと高架下であることを忘れてしまいそうだ。レストランやカフェが中心の店舗構成。30〜40代の女性がターゲットで、華やかな雰囲気が漂う。

今でこそ阿佐ヶ谷は女性に人気の街となったが、ゴールド街の全盛期には庶民的なイメージが残っていた。つまり、おしゃれな女性が移り住むようになってきても、彼女たちが立ち寄りたくなるような店は少なかったのだ。そこに商機があった。「ファミリーや女性グループでのランチはもちろんのこと、遅い時間に“おひとりさま”でも安心して食事ができるお店にするよう心掛けた」と、ビーンズ阿佐ヶ谷を開発したジェイアール東日本都市開発・ショッピングセンター事業本部の西村尚史氏は話す。

よく見ると、どの店にもアルコールはほとんど置かれていない。その理由は、「駅周辺のお酒が飲める店との差別化を図るため」(西村氏)。つまり、周辺の商店街と競争するのではなく、共存を図ろうとしているのだ。

昔のゴールド街のイメージが強すぎたのか、誘致しようとしたテナントにビーンズ阿佐ヶ谷のコンセプトがなかなか理解してもらえず、出店を躊躇した企業も少なくなかった。「およそ130社にアプローチしたが、その半分には話も聞いてもらえなかった」(西村氏)。しかし、完成した“街並み”を見て、「こんなふうに完成するなら、出店しておけばよかった」、と残念がった企業もあったという。


南海電鉄・なんば―今宮戎間の高架下を開発した「なんばEKIKAN」。飲食店に加え、スポーツ関連ショップやクライミングジムまである(記者撮影)

歩きたくなる高架下の大成功例が関西にもある。南海電気鉄道・なんば―今宮戎(いまみやえびす)間の高架下を開発した「なんばEKIKAN」だ。なんば駅周辺には「なんばパークス」や「高島屋」といった大規模な商業施設があり、高架下は商業施設としては不利なエリアだった。しかし、趣味性の高い店舗を集積し、感度や趣味の似た人々が交流できるようにすれば付加価値を高めることができる、と考えた。


「なんばEKIKAN」の店内には、高架下の構造物が残されている(記者撮影)

そこでレストラン、カフェに加え、家具、DIY、さらに自転車、スキューバダイビングなどのスポーツ関連ショップを誘致。2014年から段階的に開発を進め、今秋の第4期開発では、高さ最大4mのボルダリング施設を備えるクライミングジムが入居した。趣味性の高い店を集めるという狙いは当たり、休日には行列ができる店も現れるほどの人気だ。

なお、南海電鉄はなんば―今宮戎間に宿泊施設を2018年2月に開業すると11月1日に発表した。「高架下における宿泊施設の開発は当社初」(同社)というが、鉄道業界でもこうした例はあまり聞かない。高架下開発の新たな方向性として注目されそうだ。

高架下は「宝の山」ではない

大都市圏には多くの鉄道路線が走っており、高架下もたくさんある。では、再開発が可能な「宝の山」が至る所にあるかというと、そうでもない。

たとえば、西武池袋線・富士見台―練馬高野台間の高架下にある医療モール「練馬高野台駅メディカルゲート」。高架下に内科、小児科、調剤薬局などの医療施設を誘致したのはグッドアイデアであり、ほかの駅間の高架下にも展開可能なようにも見える。しかし、練馬高野台駅の近くには順天堂大学の付属病院があり、風邪などのちょっとした病気は医療モールで、より難しい病気は大学病院でと役割分担すれば、沿線住民にメリットが大きいという判断からこの地が選ばれた。どこの駅間で可能というわけでもなさそうだ。

商業施設にしても、列車の運行に支障のないよう工事ができる高架下は限られる。JR東日本の例でいうと山手線では上野―新橋間、中央線では高円寺―吉祥寺間が開発候補になりうる高架下のようだ。

かつて見慣れた高架下の光景が減っていくのは残念ではあるが、知恵と工夫を凝らして地域に根差した高架下に生まれ変わるのは悪い話ではない。