インタビューに応じてくれた井手口正昭。「弟の成長は素直に嬉しい」と語る。写真:佐々木裕介

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 以前からずっと、話を聞きたかった選手がいた。名前は井手口正昭。Jリーガーだったが、決して万人が知る選手ではなかった。香港やベトナムでのプレー経験を持ち、日本代表の井手口陽介の兄でもある。
 
 彼の笑顔と人懐っこさに魅せられ、彼のアジアでの動向は常に気にしていた。そんな7月のある日、突然彼から“所属クラブを解雇された”という悲題を伴った連絡をもらった。ならば、「そのアジアでのアレコレをぜひ聞かせてほしい」と、今回のインタビューと相成ったのである。
 
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―――やっぱり聞かずにはいられない質問から。兄弟でサッカー選手、しかも弟は日本サッカー界期待のホープのひとり。比較されたり、よく弟の話を聞かれるのでは?
 
「確かによく聞かれます(笑)。でも素直に弟の成長は嬉しいですし、どんどん活躍してほしいと願っています。陽介とは8歳違い、幼少期はすごく可愛いがっていましたよ。そのまま歳がスライドしただけで、今でも気持ちは変わらないというか(笑)」
 
―――ご出身は福岡ですよね?
 
「はい、福岡空港に程近い場所で育ちました。私が大学進学と同時に上阪し、その後に陽介が中学進学のタイミングで母と一緒に来て、今では父も大阪に住んでいます」
 
―――そして陽介さんはガンバ大阪のアカデミーでメキメキと頭角を現わしたのですね。
 
「ガンバ大阪はジュニアユースからお世話になっています。小学校までは福岡にいて、アビスパ福岡のスクールに通っていたんです。私が大阪にいたこと、またガンバ大阪のアカデミーの好評判も知って、もっと高いレベルでやらせたい、越境して懸けてみようと母は思ったんだと思いますよ。母は気持ちが強く、嗅覚が凄いんです。陽介には才能を感じたのでしょうね(笑)」
 
―――家族皆で集まったり、兄弟でサッカーの話をしたりはするんですか?
 
「全員で集まれることは少ないですね。兄弟同士で連絡は取り合いますが『代表どうだった? 本田や香川と話した?』的なミーハーな質問くらいで、深いサッカーの話はほとんどしないです。最近は近況も含め“母経由”で情報を共有する家族になっています(笑)」
―――ではご自身について聞かせてください。大学卒業後に横浜FCでプロデビュー。その後、姉妹チームの横浜FC香港でもプレーされています。
 
「私がプロ3年目、横浜FCが香港で活動をスタートするタイミングで声を掛けていただき、半シーズン+半シーズンの延べ1年間、香港でお世話になりました。初めての海外生活、当初は不安だらけでしたが、場所柄多くの日本人の方々に助けていただいて、海外でやっていく自信が付き、以後海外でのプレーを続けたいと思うようになったきっかけの場所が香港です。日本より物価が高かったり、普段の生活の中で多種多様な人種と接したりと、思考の幅が広がった時期です」
 
―――その後一度、横浜FCへ戻った後にベトナムのクラブへ完全移籍されました。1年半プレーされた“ベトナムリーグ”は如何でしたか?
 
「外国人枠がふたつしかないので、助っ人への要求がすごく高いと感じました。なので、どこのチームも攻撃的ポジションに“デカくて速い”アフリカ人選手を置いて、ディフェンスラインからFWへフィードするオールドスタイルのチームが多いリーグです」
 
―――この夏、所属チームから契約解除された要因を、どのように分析されていますか?
 
「開幕からスタメンで出ていた中での3連敗、私は守備面で期待されていた助っ人ですからね、チームの結果が出せなければ一番に切られますよね」