‐幸福の資本論1‐ 「幸福な人生」を実現するために必要なものとは?

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作家・橘玲の話題の新刊『幸福の「資本」論』発売を記念してお送りする2回連載の1回目。今回は、「幸福」を定義するために必要なインフラについて。「幸福」とはなにか? その答えを論理的に考えます。

「幸福」とはなんだろう? こんな疑問を口にすると「スピリチュアル」とか「自己啓発系」とかのレッテルを貼られそうだが、精神世界の入口をくぐる前に一歩踏みとどまって、幸福についてできるだけロジカルに考えてみたい。

幸福の条件としての「資本」を考える

 まず、幸福の条件として3つの資本=資産を考えてみる。「金融資産」「人的資本」「社会資本」だ。

 金融資産は、「経済的独立Financial Independence」に必要なインフラだ。好きなことをして(より現実的には、嫌なことをしないで)生きていけるだけの財政基盤があれば、バカな上司に振り回されることも、生意気な部下をなだめすかすことも、モンスタークライアントに悩まされることもなく、定年と退職金を目標に毎日歯を食いしばってはたらく必要もなくなる。すなわち、じゅうぶんな金融資産は「自由」をもたらすのだ。

 資産運用とは金融資本(お金)を金融市場に投資して利益を得ることだが、それと同様に、私たちは人的資本を労働市場に投資して収入を得ている。これが経済学でいう「人的資本理論」で、これによって働いてお金を稼ぐことを資産運用の枠組みで考えられるようになった。“稼ぐひと”は、大きな人的資本を効率よく運用しているのだ。

 しかし人的資本には、金融資本とは大きく異なる特徴がある。それは私たちが、仕事から「やりがい」や「生きがい」を得ていることだ。

 給料やボーナス、福利厚生など外的な条件がいくらよくなっても、それに応じて幸福感が高まっていくとはかぎらない。そればかりか、好きなことをお金のためにやると、好きでなくなってしまうこともわかっている。これが「内発的動機づけ」だ。

 なぜこんなことが起きるかというと、(お金に換算できない)プライスレスなものを、(お金に換算できる)プライサブルなものに変えてしまうからだ。私たちは、愛とか友情とか、ほんとうに価値のあるものは「プライスレス」だと思っている。だから、好きなこと=プライスレスにお金が介在すると楽しくなくなってしまうのだ。

 内発的動機づけの理論は、「市場原理主義」が気に入らないひとたちにものすごく人気がある。「仕事はお金じゃない」という当たり前のことが、社会科学の実験によって証明されたからだ。

 とはいえ、これは間違ってはいないとしても、「やりがいの搾取」という強烈な副作用をともなっている。なぜ若者がブラック企業で死ぬほど働くかというと、その仕事に「やりがい」が巧妙に仕組まれているからだ。

 このように人的資本の運用は、給料が多ければいいわけでもないし、やりがいがあればいいともいえない。それだけ人間の心理が複雑だからだが、それでも人的資本が「自己実現」という幸福の条件になるのは間違いない。

「幸福は社会資本からしか得られない」

 金融資産や人的資本に比べて社会資本はより漠然としているが、幸福を考えるうえでいちばん重要だ。なぜなら、徹底的に社会的な動物であるヒトは、共同体の仲間から評価されたときに幸福感を感じるように進化の過程でプログラムされているからだ。すなわち、「幸福は社会資本からしか得られない」。

 お金がなくても、仕事がつまらなくても、愛するひと(恋人や家族)と心を許せる親友がいれば幸福だ、と思うひともいるだろう。もちろんこれは素晴らしいことだし、そんな人生こそが理想かもしれない。

 しかし、家族や共同体の「強いつながり」は別の面でも人生に大きな影響を与えている。愛や友情はたしかに大きな幸福感をもたらしてくれるが、その一方で、憎悪や嫉妬、裏切りなどあらゆる嫌なことも「強いつながり」からやってくるのだ。このように共同体(家族だけでなく、会社やママ友も現代日本の典型的な共同体=ムラ社会だ)は、よいことと悪いことがトレードオフになっている。

 社会資本には、「強いつながり」のほかに、もっとドライな「弱いつながり」もある。これはビジネスライクな関係のことだが、お金を介した関係にかぎるわけではない。

 私が聞いた面白い例はフットサルで、若者たちがチームをつくって対戦するのだと思っていたら、(すくなくとも最近の東京では)プレイヤーは決まったチームを持たずに、暇なときに近くのフットサルコートに行って、人数が足りなかったり、競技者が抜けたコートに入ってプレイするのだという。

 ゲームが終わると互いにハイタッチして解散で、相手の年齢や仕事はもちろん名前すら知らない。そこでもっとも嫌われるのは、友だちとつるんでやってくることで、「そういう奴らにはぜったいにパスを回さない」のだという。見知らぬ者同士がたまたま同じコートでフットサルをプレイするのが、いちばん楽でいいというのだ。

「弱いつながり」からは愛や友情のような強烈な幸福感は得られないが、面倒なこともいっさいない。社会が複雑化し人間関係がますます大変になると、ひとは「強いつながり」より「弱いつながり」に魅かれるようになっていくだろう。

私たちはみんな「幸福の製造ボックス」を持っている

 このように「幸福の条件」にはさまざまなトレードオフがあるから、「億万長者は幸福だ」「給料が高い仕事のほうが幸せになれる」「家族や友だちがたくさんいなければ不幸だ」などと一概にいうことはできない。しかしそれでも、この3つの資本=資産が幸福の重要なインフラであることは間違いない。

 このことを、次のように説明することもできる。

 私たちは、金融資本、人的資本、社会資本を「市場」で運用し、そこから富を得ている。人生設計とは、金融資産、人的資産、社会資産から得られた富を資本に加え、幸福のインフラをより大きく育てていくことだ。

 あるいは、私たちはみんな「幸福の製造ボックス」を持っていると考えることもできる。そこに金融資産、人的資本、社会資本を投入すると、なんらかの手続きによって「幸福」に変換される。

 このように考えれば幸福への戦略はものすごくシンプルで、たった2つに要約できる。

(1) 幸福の製造装置へのインプットをできるだけ多くする。
(2) 幸福の製造装置の「変換効率」をできるだけ高くする。

 しかしここには大きな問題があって、幸福の製造装置はブラックボックスで、そこでなにが起こっているかこれまでほとんどわからなかった。

 でもこれは、幸福について考えてもなんの意味もない、ということではない。そればかりか、近年の脳科学の急速な進歩を背景に、進化心理学、社会心理学、行動経済学、行動遺伝学などの分野で「こころ」の解明が大きく進んでいる。幸福というとらえどころのないものについても、ようやく科学的に(証拠=エビデンスに基づいて)語ることができるようになってきたのだ。

 ひとつだけ確かなのは、「インプットがなければアウトプットもない」ということだ。金融資産、人的資本、社会資本のすべてを失ってしまえば、幸福とはほど遠い人生を送るしかない。

 さらに、金融資産、人的資本、社会資本の3つの資本=資産の組み合わせから、8つの典型的な人生のパターンを考えることができる。次回はそれについて説明してみたい。

橘玲氏の新刊『幸福の「資本」論』は、好評発売中

 

橘 玲(たちばな あきら)

作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』『橘玲の中国私論』(ダイヤモンド社)『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)など。ダイヤモンド社から新刊『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』が発売中。