2人の争いは大学時代から!?(※写真はイメージです)

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 6月21日午前。政治資金の私的流用など、様々な疑惑を追求された舛添要一(67)は逃げるように東京都庁を去った。

 同じころ、舛添氏と不思議な因縁を持つ人物が、この世から去った──鳩山邦夫・元法務大臣(注1)。享年六十七。天才と呼ばれた男の早すぎる死だった(注2)。

 言うまでもなく鳩山邦夫の祖父の一郎は元首相、父の威一郎は元外務大臣、兄の由紀夫は元首相。さらに母方の祖父はブリジストン創業者の石橋正二郎という超セレブ&エリート一家の出身であり、幼少時から抜群の頭の良さを見せてきたという。参考書は本屋で立ち読みしただけで暗記、高校時代の全国模試で何度も全国1位を獲得し、当然のごとく東大法学部へ入学。

「最近は知りませんが、かつては駿台予備校の模試で現役高校生が全国1位を取ったのは、私と、同じ高校の後輩の片山さつき(注3)くらいでしたよ」(鳩山邦夫

 この東大時代に、席を並べていたのが舛添要一だったというわけだ。一部で<邦夫が首席卒業し、舛添は2位>という都市伝説が囁かれているが、トップを争って鎬を削っていたのは事実だ。

 ここまで非の打ちどころの無い経歴だったが、政治家になってからの鳩山邦夫は紆余曲折に見舞われる。「田中角栄の秘書→1976年に新自由クラブ推薦で初当選→自民党入党後、宮澤内閣で文相→羽田内閣で労働相→兄の由紀夫と(旧)民主党を結党して副代表に→1999年に民主党を離党して都知事選挙に立候補」……ここで同じく立候補した舛添要一と<宿命の対決>に臨んだ。

 結果は石原慎太郎の前に、枕を並べてダブルスコアの討ち死に──。

■愛すべき「バカ正直」

自民党に復党してからは、選挙区を変えたりしながらも法務大臣、総務大臣を歴任してきた。しかし我々の鳩山邦夫に対する印象の多くは、「何を言いだすか分らないヒト」では無かったか? それほど暴言、失言、不可解な発言、そして笑ってしまう発言が多かった。

・「日本国憲法はアメリカからの押し付け」
・「あのような人物(菅直人)を一国の総理にしてはいけない」
・「私の友人の友人がアルカイダなんですね」
・「(週刊文春に朝からフォアグラと天ぷらを食べると書かれて)朝から天ぷらは食べるがフォアグラは食べない」
・「私は清潔な白いハト。もう一羽のハトは私の兄だが、政治資金収支報告書がウソばかりだから黒いハト」

 などなど。<正論>もあれば、爆笑してしまうものもある。一方では法務大臣として13人に死刑を執行(注4)。朝日新聞から「死神」と揶揄されたが、

「どんなにつらくても社会正義のためにやらざるを得ない。(略)そういう軽率な文章を平気で載せる(朝日新聞の)態度自身が世の中を悪くしていると思う」(鳩山邦夫

 と一蹴して見せた。

 妻のエミリーさんは、『仮面ライダー』にも出演した元人気アイドル。趣味は蝶の収集と家庭菜園と料理。特に料理はプロ級の腕前で、よく秘書たちや取材陣にもふるまってくれた。 

 筆者も一度、鳩山邦夫と酒席を共にしたことがあるが、とにかく明るくキャラクターの立った人であった。ボンボン気質が抜けなかった点など問題も多いが、本音を糊塗しない「バカ正直」な政治家の冥福を祈りたい。

 東大で競い合い、東京都知事選で闘い、元妻の高校の先輩だった鳩山邦夫が世を去り、それなりの評価を得ている。旧友、いや仇敵だった舛添要一も、惜しんでもらえる人間を目指すべきだろう。

(注1) 鳩山邦夫…以下、文中敬称略。
(注2) 早すぎる死…十二指腸潰瘍。近年、檄痩せで心配されていた。
(注3) 片山さつき…現・国会議員。元・舛添夫人。
(注4) 13人に死刑執行…1993年の執行再開後では、最多。あの幼女連続誘拐殺害事件の犯人にも執行した。

著者プロフィール


コンテンツプロデューサー

田中ねぃ

東京都出身。早大卒後、新潮社入社。『週刊新潮』『FOCUS』を経て、現在『コミック&プロデュース事業部』部長。本業以外にプロレス、アニメ、アイドル、特撮、TV、映画などサブカルチャーに造詣が深い。Daily News Onlineではニュースとカルチャーを絡めたコラムを連載中。愛称は田中‟ダスティ”ねぃ