一人で遭難してもリア充っぽくふるまう方法

一人ぼっちで遭難しても、見栄をはってSNSで「リア充」のふりをする男をご存知だろうか。「リア充」とは「リアルが充実」つまり、日常生活が充実している人を指す言葉だ。平日は有名な会社でバリバリ働き、休日は仲間とバーベキュー、あるいはオシャレなカフェを巡りSNSに写真をアップ。それがリア充だ。

リア充と反対に「ぼっち」という言葉もある。これは「ひとりぼっち」の略で、「ぼっち」は会社で浮いていて一人でランチをするし、休日にバーベキューをする仲間なんてもちろんいない。なんなら働いているかどうかすら怪しい。しかし、そんな「ぼっち」でも、リア充っぽく見せる方法があるという。

こちらの写真はぼっちな生活を送っている地主恵亮さん(31歳)である。築33年の鉄骨のアパートで一人暮らし、特に仕事はしておらず友達もいない。もちろん恋人なんてもってのほかだ。まさにお手本のようなぼっちと言っていいだろう。

そんなぼっちの彼なのに「テクニックを駆使すればSNS上でリア充を装うことは可能」と豪語する。そう、彼はぼっちな生活を送りながらも、SNS上ではリア充な生活を装っているのだ。本日はその「リア充を装うテクニック」を見せて貰おう。

例えばこの写真。ジャケットを着て、六本木ヒルズの前で写真を撮っただけだ。しかし、Facebookでは、新進気鋭のベンチャー企業の社長に見える。本当は無職なのに。地主さんは自著「インスタントリア充」の中で、ぼっちでも、FacebookなどのSNS上だけはお手軽にリア充に見える写真を撮る方法を紹介している。


最近、彼が寄稿した雑誌では肩書きが「無職」となっていた。これは正しい。しかし、SNS上ではバリバリ働き、休日は彼女と甘い生活を送っているように見える写真をアップしている。こうやってリア充を装うことによって、非リア充の「ぼっち」でも、充実しているように見せるのだ。

そして本日も、「リア充写真」の撮影に行くというので同行させて頂いた。普通のリア充ではもう満足できない地主さんが今回挑むのは、「一人で遭難してもリア充に見える写真」だ。

その「遭難してもリア充」の参考にしたのが、本日Blue-ray&DVDがリリースされたこちらの映画「オデッセイ」だ。

マット・デイモンが演じる主人公「マーク・ワトニー」は火星にひとりぼっちで置き去りにされるが、その過酷な状況下でもたくましく生き延び、その姿は充実しているようにも見えるという。

火星への有人探査計画で、トラブルにより一人取り残される主人公のマーク・ワトニー。わずかな物資だけで、次の調査部隊が来る4年後まで生き残らなければならない。過酷な環境の中でワイルドにサバイバルするのだ。



今回は地主さんにも、映画のように一人で遭難してもらい、そんな状況でもリア充になれる方法を紹介してもらう。マーク・ワトニーは火星なのに家庭菜園でジャガイモを作ったり、1970年代のディスコミュージックを流したり、一人で取り残されたにもかかわらずたくましく生き延びようとする。同じく地主さんにも「遭難してもリア充」を見せてもらおう。

ということで、遭難してもらった。

地主さんには砂漠で遭難してもらった。上の写真のようにあたり一面空と砂だけ。マーク・ワトニーと同じく絶望的な状況と言える。あちらは火星だったけれど、こちらは現実的に地球で「ぼっち」になっている。彼はここからどのようにリア充を演出していくのだろうか。

「まず格好を見て欲しい」と言う。確かに砂漠にはそぐわない格好に見える。彼曰く「フェスに行くリア充を装っている」らしい。そろそろ音楽系の夏フェスが各地で開催される時期だ。この手のフェスはリア充の巣窟であり、アウトドアでリア充を装うにはこのファッションしかないそうだ。

さらにこの遭難した状況を逆手に取る方法があるという。カバンから布と絵の具を取り出し、砂漠に広げ、何かを描き始めた。布と絵の具だけで、この砂漠でぼっちという境遇を、「いいね!」をもらえる状況に変えることができるのだろうか。

見たことある、こういうの見たことある! 

「勝手に周れよ!」と思うけれど、作った横断幕を揚げて写真を撮りSNSにアップすればリア充にしか見えない。元気な大学生にありがちな一枚だ。砂漠という日本でない感じが、横断幕に説得力を持たせている。「周」の字の「口」を地球にするといった、「いいね!」が稼げる小技も光っている・

このように地球をテーマにすると「いいね!」が集まりやすくなると地主さんは語る。映画「オデッセイ」でも、主人公のマーク・ワトニーはただ火星で生き延びるのではなく、なんとか地球に帰ろうと奮闘する姿が共感と応援を呼ぶ。

地主さんは次に本を読み始めた。しかしただ読むだけではない。付箋も取り出し、本に貼りつけてゆく。聞けば「賢く見える本の読み方」とのこと。付箋を貼ることでただの読書ではなく、仕事として読んでいるように見えるそうだ。

映画「オデッセイ」の原作である「火星の人」を読んでいる。この本は上下巻であるが、彼が読んでいるのは「下巻」。上巻を読んだのか尋ねると、「読んでない。ただ下巻を読めば、上巻を読んだと周りは錯覚する。一冊しか読んでないのに2冊読んだと思われるので、本が好きな人に見える。読書家ってカッコいいでしょ」と語った。

繰り返しになるが彼は上巻を読んでいない。「かんじがにがてだからふだんはまったくぶんしょうをよまない」と彼は言うが、読んでないにも関わらず付箋を貼り続ける。ペラペラとめくって適当に貼っているそうだ。何故ならそのほうが賢い人に見えるから。リア充はけっこう簡単になれるのかもしれない。

扉ページにも付箋を貼っていたので、本当に何も考えずに付箋を貼っているのだろう。「読書家っぽいでしょ?」彼は誇らしげだ。ぼっちであることを感じさせない。悲壮感もない。遭難から脱出するつもりか聞いたら、「どうせ家に戻っても寝ているだけだからこのままでも良い」と彼は答える。彼は無職でぼっちなのだ。彼の帰りを待つ人はいない。ちなみに映画「オデッセイ」の主人公の帰りは70億人が待ち望んでいる。

マーク・ワトニーは必死に生き抜き地球に戻ろうとする。そして植物学者であることを生かし、火星でジャガイモを育てるのだ。彼もぼっちなのに、悲壮感がない。そういう点では地主さんと同じなのかもしれない。

地主さんも負けじと砂漠に緑を植え始めた。農業で使う虫除けの帽子を被りながら彼は言う。「乾いた大地に潤いを与えることで、きっとみんなに感動を与えることができる」と。ただ彼には植物の知識がないし、そもそも砂漠でどうやって水を調達するのか。

よく見ると彼が植えているのは造花だ。「造花なら水をあげる必要はないので楽だし、緑を植える立派な人っぽく見えるでしょ?エコはいいね!が稼げるんで。温暖化?知りません」と地主さんは言い捨てた。エコの風上にもおけない態度だ。

「オデッセイ」のシーンをほぼ再現できたと地主さんは言う。「僕ってほら、ほぼマット・デイモンでしょ」と、迷いもなくいい切る。自分にいいようにだけ考える。実にポジティブだ。それがリア充への入り口なのかもしれない。

映画のマット・デイモン

自称マット・デイモン


顔を見る限り真面目にやっているから、なんか言いにくい。

「そろそろ食事にしましょう」と地主さん。砂漠から廃墟に移動し、カバンからおもむろにジャガイモを取り出した。食事でもリア充を発揮できるのだろうか。映画のマット・デイモンもジャガイモを食べた。意識しているのだろう、俺は日本のマット・デイモンだ、と。

ジャガイモを鉄の箱の横に置くと、彼はデッキチェアに腰を下ろした。遭難しているのに、南国でのバカンスのようだ。これもリア充を意識してる。リア充はちょっと長い休みになるとすぐ南の島に行き、写真を撮ってSNSにアップする。それと一緒だ。

すると後ろで爆発が起きた。爆発が起きたのは先ほどジャガイモを置いた場所だ。爆発でも彼は動じない。爆発に余裕をもって接するのがリア充の見せ所なのだそうだ。

「オデッセイ」でも、爆破によって主人公が絶体絶命の危機においこまれるが、どんな状況でもあきらめず、時にはジョークを言いながら対処する主人公がカッコイイのでそれを見習ったという。


その後、何度か爆発が起きる。

すると、焼きあがったジャガイモが転がってきた。ジャガイモは実に美味しそうに仕上がっている。地主さんは言う。「爆破で飯を作りました」 頭がどうかしてるな、と思った。

「朝飯や昼飯があるけれど、その中で最もワイルドでリア充を感じるのが『爆破飯』です」と地主さんは言う。「リア充は弱火でグツグツなんてしませんし、中華のような強火でもまだ弱い。爆破するのはワイルドだし、ワイルドもまたリア充なんですよね」。彼曰く、リア充のレベルは火力と比例するそうだ。どこの学校で教えている公式なのかは教えてくれなかった。


「小さじ何杯とか、みじん切りだとかじゃなくて、素材をそのまま爆破する調理法。遭難中だから、火薬は大切にした方が良いだなんて思いません。後先考えずに、一気に使ってこそリア充なんですよ。その瞬間に輝いてさえいればそれで良いんです」 

リア充の定義がだいぶブレてきているように思えるが大丈夫だろうか。


ただ地主さんは後先を考えなさすぎたようだ。爆風で飛ばされた木の破片により腕に怪我を負ってしまう。遭難中な上に、ぼっちでの怪我は大変なことだ。病院も行けない。ちなみに彼はもう30歳を超えているけれど、無職だからほんの数年前まで、親の扶養に入り保険証を持っていたらしい。

すると地主さんはウィスキーを口に含み…