新次郎とは何だったのか「あさが来た」155話

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朝ドラ「あさが来た」(NHK 月〜土 朝8時〜)4月1日(金)放送。第26週「柔らかい心」第155話より。原案:古川智映子 脚本:大森美香 演出:西谷真一


155話はこんな話


新次郎(玉木宏)が息を引き取り、ひとりになって泣くあさ(波瑠)の頭上に雨が降りしきる。

表の155話


4月1日朝8時9分、新次郎、あさの腕の中で死す(ドラマ時間ではない放送時間)。
これは、朝ドラ史上、重要な日時として語り継がれるであろう。

「朝までもたないかもしれません」と医師(渡辺いっけい)が予測したとおり、夜明け前のまだ暗い時分に、新次郎は息を引き取った。
まんじりとしないで夜を明かしていた家族、親戚たちや従業員たちに加えて、張り子の猫までが映し出される。まるで父・正吉(近藤正臣)が迎えに来たかのようだ。
うめ(友近)は、臨終を確認するため部屋に入ろうとする医者を「お願いだす もうちょっとだけもうちょっとだけ」と引き止める。

そして、お葬式。
咲いた梅の数が増えている。新次郎を偲ぶ人たちも多く訪れた。
新次郎のことを、「道楽もん」「ふらふらしてお気楽な人生やったな」と語る人がいることに憤慨している千代(小芝風花)に、ふふふと笑い出す男たち。
「ひょっとしたらなお兄ちゃんはそない言われてたほうが嬉しいのかもわからしまへんで」と榮三郎(桐山照史)。
「それでこそわでだすがな とかなんとかいうてな」と亀助(三宅弘城)。
よくお通夜やお葬式の後の食事の時間にめそめそするより、故人のことを思って楽しく過ごすほうがいいなんて話もある。とくに新次郎は、榮三郎たちの言う通り、どんな時でも飄々としていたのだから、自分のせいで皆が塞ぐのを喜ばないだろうという考えも理解できないことはない。
だがあさだけは、ひとり堪え兼ねて庭へと走り出る。
「あかん、あかしまへんがな」
大森美香はここであさのモノローグを書く。
「あさが来た」はこれまでずっと大森美香の冴えたダイアローグで紡がれてきていて、いかにもな説明台詞もほとんどなかったし、ここ名言です、切り取ってくださいね〜っていうようなものも少なく、いい言葉の会話のなかにさりげなく入っていた。ひとり語りがあっても、たまに長い演説がある程度だった。それが優れた作家たるところだったのだが、ここへきての主人公にモノローグだ。だが、あさが誰にともなく語ることで、これまでずっと自分の言葉受けとめてくれた人の不在を強調する。
その前に周囲の人間がいやに亡くなっていったのも、最後、ふたりきりになった、その最後の半身すら失ってしまった時の、哀しみを一層深くする。
「寂しい 寂しおます」
キャッチボールのできない言葉は、こんなにも寂しい。あさの孤独が真に迫った。

裏の155話


うめいわく「楽しい夫婦」だった、あさと新次郎。
そして「あさが来た」は、どんな時でも、笑ってやり過ごす生き方もテーマにしていた。

ふたりの別れをどう描くか、悩みに悩む大森美香(以下妄想)。

新次郎とあさが、笑いながら別れを迎えるというパターンもないこともない。
そうだ「ぽっくりぽんや」を最後にもっていくのはどうだろう。いや、でもさすがにこれはハイブロウ過ぎる。新次郎に美しい夢を抱いている視聴者を裏切るわけにはいかない。でも「ぽっくりぽん」はいいアイデアだし使わないのはもったいないから、ちょっと前に使っておこう。そして最後はやっぱり感動で終わらせよう。大森美香は一心にキーボードを叩くのだった。(終)

新次郎とはなんだったのか


新次郎のモデル・信五郎は64歳の時、喉頭がんで亡くなったそうだ。
新次郎と同じくモデルもまた道楽ものだったようだが、御妾さんに子供を4人(内、ひとりは男)も生ませるエネルギッシュぶり。それに比べて新次郎は、千代のみ。仕事もそんなにしてないし、ストレスレスそう。
若い頃は三味線を熱心に稽古していた新次郎だったが、結局、芸事に邁進しているようにも描かなかったから、体力面でも無理してなさそう。
幼少時のトラウマがあったとはいえ、五代のように心身を酷使していた感じでもなく、いったい何が新次郎を病に倒れさせてしまったのか。もちろん、病は予期しないところにやってくるものである。とはいえ、新次郎の人生って、あさを支えるためだけにあったようで、彼の死を見ながら、なんだか不思議な気持ちになってしまった。
玉木宏がかっこいいので、ついついかいかぶってしてしまうが、結局新次郎は、顔がいいのみで、とくに才能があるわけでなく、実は体も丈夫じゃなかったりして、だからこそ自分にないバイタリティーに溢れたあさを支える生き方を選んだのではないか。もしかしてずーっと最後まで自分には何もないことをコンプレックスに思い続けていたのかもしれない。
いや、何も残さない、出会った人達に楽しかった記憶を残すのみ。とりわけあさを幸せにすることを大事にした。まるで柔らかな風のような人であったのかもしれない。
新次郎、最後まで、ふわりふわりを貫いたあっぱれな人物だった。
(木俣冬)

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