「億万長者」作家・橘玲が決めた「読まなくていい本」

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国際金融小説『マネーロンダリング』で2002年に作家デビュー、同年刊行の『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』がベストセラーに。その後、『臆病者のための株入門』 『臆病者のための億万長者入門』など、小説のみならず投資や経済の解説書でも人気の作家・橘玲(たちばな・あきら)さん。最新刊は『「読まなくていい本」の読書案内』。橘さんがなぜブックガイドを? その理由を聞きました。


賞味期限の切れた知識に気をつけろ!


――橘さんは、顔も本名も非公開の覆面作家なんですが、以前、cakesで「もうすぐ顔を出すかも」っておっしゃってましたね(cakes「橘玲 vol.1 どうして『お金持ち本』が売れるんでしょうか?」)
橘 『マネーロンダリング』を出すときに、出版社と「素性を明かさないほうが面白いんじゃないか」と考えたのが理由で、後ろめたいことがあるとか、隠さなければならない事情があるわけではないので(笑)。べつに顔出ししてもいいんですが、逆に顔が売れたからといっていいことがあるわけでもなさそうだし。作家としては、一人でも多くの読者に自分が書いたものを読んでもらいたいという願望は当然持っていますが、自分の顔をみんなに知ってもらいたいとはまったく思わないのと、「顔出しNG」だと、テレビ出演とか、たいていの講演や対談の依頼も断れるので気が楽です(笑)。まあ、そのうち気が変わるかもしれませんが。


――橘さんの場合は『マネーロンダリング』とか『タックスヘイヴン』とか、魑魅魍魎が跋扈(ばっこ)する金融業界と闇社会を小説に描かれているので、正体不明のほうが読者にとっては想像力が掻き立てられます(笑)。
最新刊は『「読まなくていい本」の読書案内』についてお聞きしたいんですが、タイトルが「読まなくていい」と挑発的ですね。橘さんは投資や経済の本が多いので、読書ガイドというのはちょっと意外でした。
橘 取材にくる若い人たちから「どんな本を読んでるんですか?」「どういう本を読めばいいですか?」ってよく聞かれるんです。彼らはきまってすごくマジメで、すでに読まなきゃいけない本のリストを膨大に持っていて、さらにそのリストに追加する本を探してるんだけど、そんなの不可能だからすごいプレッシャーになっている。問題は本の数が多すぎることで、1年間に出版される本の点数は、僕が大学生の頃の3倍以上になっている。だったら読まなくていい本を先に決めちゃえばいいんじゃないの、とアドバイスしたのがこの本のきっかけです。
もうひとつ感じていたのは、テクノロジーと自然科学の急速な進歩によって1970年代くらいから巨大な知のパラダイム転換が起きていて、複雑系、進化心理学、ゲーム理論、脳科学などの新しい知の分野がこれまでの常識を次々と書き換えているのに、日本ではなぜかそういうことを言う人があまりいない、ということです。自然科学の側から人文・社会科学を侵食する主役は進化生物学、進化心理学などの「現代の進化論」で、人間の本性や社会の仕組みを進化の産物として読み解こうとします。これはいまでは欧米のビジネスパーソンには議論の前提になっていて、たとえばグーグルの人事システムについて書いた『ワーク・ルールズ!』(著者は人事担当上級副社長ラズロ・ボック)でも、採用や評価、職場環境の設計に行動経済学や進化心理学の最新の知見を取り入れていると当たり前のように書かれています。ところが日本のアカデミズムはあいかわらずのタコツボで、いまだにヘーゲルの哲学、フロイトの心理学、マルクスの経済学など賞味期限の切れた“教養”をありがたがって、高い学費を取って教えている。だからこの本では、「知の革命」のおおまかな枠組みを紹介して、古いパラダイムで書かれた「名著」は飛ばしてもいいんじゃないのと提案してるんです。


この残酷な世界で生き延びるために


――大事にしまってあった株券が暴落して紙クズになっていた……みたいなことが、知の世界でも起こっていると。スキップしていい本として出てくるのが、たとえば、ポストモダンの思想書で。
橘 80年代のはじめにはフランス思想について語ることがカッコよかったし、僕もフーコーとかにハマっていました。フランス系の思想書って、わかりにくいほど高尚だみたいなところがあって、当時はわからない自分がバカなんだと思ってたんだけど、『知の欺瞞』が暴いたように、実は著者たちもよくわかってなかったんですよね(笑)。もちろんいま読んでも面白い本はあるんですが、古いパラダイムで考えているから、学問的な価値はほとんどなくなっている。なのに、そういう知識がいまでも「学問」として権威をもっていることが問題なんですね。「趣味」であればなんの文句もありませんが。
――金融リテラシーが低いとカモにされるので自衛しないといけない、というのは、橘さんが著書で繰り返し書かれていることですが、教養においてもそうだと。
橘 人は夢や幻想がないと生きていけないから、幻想を売って商売する人が出てくるのは市場経済の必然なんですが、高い値段がついているから価値も高いというわけではなく、なかには使い物にならないものもたくさんあるってことですね。金融の世界はとくにその傾向が顕著で、「この株は絶対上がる」とか「この投資用マンションは絶対儲かる」とか“うまい話”をばら撒くひとがたくさんいて、「だったらあなたが自分で買えばいいじゃないですか」ということなんですが、それを言うのはエチケット違反ということになっている。競馬だって、予想屋がいないと盛り上がらないわけですから。
現代の消費社会で起きてることは、消費者を二極化させて、騙されない消費者は放っておいて、騙せる消費者からいかにボッタくるかという構図なんです。医療でも教育でもぜんぶ同じですが、わかりやすいのは消費者金融ですね。
預金金利が0%のときに、20%の金利を払ってお金を借りるのがものすごく不利な取引だということは、ほとんどのひとが直観的に理解できます。でもそういうひとは、最初から潜在顧客の勘定に入っていないからどうでもいいんです。ところがテレビなどを使ってたくさんのひとに宣伝すると、3%とか5%とか、それをうまい話だと誤解するひとが一定数いる。そういうひとを効率的に見つけ出して、彼らに高利のお金を貸して利益を上げるのが金融ビジネスの基本です。
でもこれは、「消費者金融は悪徳業者だ」という話ではないんです。彼らのビジネスはすべて合法で、非難されるいわれはどこにもない。ただ、ビッグデータとか統計学とかを使って利益を最大化しようとすると、結果として、情報弱者から徹底的にボッタくるビジネスモデルができあがってしまうんです。これは金融業界だけでなく、ダイエットとか健康法とか、あるいは自己啓発や芸術・教養とか、市場経済のあらゆるところに広がっている知識社会の暗黒面で、僕はそれを「残酷な世界」と表現しましたが(詳しくは『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』)、そんな世界で生き延びていくためにもリテラシーを高めなくてはいけない、ということですね。


―――「読まなくていい」と言ってしまって、思想哲学系の人から反論はこないですか?
橘 まったくないですね。僕は研究論文を書いてるわけじゃなくて、さまざまなところで起きている知のパラダイム転換を紹介しただけですから、反論があるならオリジナルの研究を反証してください(笑)。僕がやってることって、基本は編集なんです。誰も言ってないこと、みんなが知らないことをいろんなところから見つけてきて、それを編集して面白いストーリーにして見せる、という編集者の仕事ですね。
――他の人が指摘しないことをズバッと言うのが橘さんらしさで、「宝くじは愚か者に課せられた税金」とか、身も蓋もなく合理的なことを言い切る芸風ですね(笑)。

後編に続く

橘玲(たちばな・あきら) 
作家。1959年生まれ。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。著書は『永遠の旅行者』『貧乏はお金持ち 「雇われない生き方」で格差社会を逆転する』『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』『(日本人)』『日本人というリスク』『橘玲の中国私論 世界投資見聞録』など多数。
橘玲 公式サイト